『蜻蛉洲大和の国のサンライズタイム』ー外国人参政権反対、移民政策反対、背乗り工作反対!盗聴・盗撮は日本では犯罪です!ー

キラキラネームは日本の漢字文化を破壊するための、カルトの工作活動です!公務員の国籍条項と外国人土地法の復活求む!

漢字の話(キラキラネームの秘密、秘密二)

2017年08月31日 22時58分58秒 | 日記
(二)複合姓の秘密


・縁起の悪い名前 卑猥な名前

キラキラネームは、「世界に羽ばたく」と言いながら、家族や学校の友人、その人物を知っている人々にしか読めません。その意味で、公共性が無く、閉じられた世界の中で使われる名前と言えます。公共の場で使われる時には、漢字単独で使われることはなく、必ず振り仮名が必要になります。それは漢字の正しい使われ方ではありません。閉じられた世界から公共の世界に出て行く時、テレビ・新聞でルビ付の名前として報じられる時に、奇妙な名前は本格的に日本の漢字文化を破壊する事になります。

そもそも「世界に羽ばたく」と言うからには、海外での活動を考えているはずです。海外で注意しなければならないのは、自身の安全とパスポートの紛失です。もし、旅先で病気やけが、犯罪に巻き込まれたりパスポートを紛失した時、日本人にも外国人にも読めない・記載を間違え易い名前は、その人物にとって有益と言えるでしょうか。保険の手続きやパスポートの再発行を困難にする名前は、「世界に羽ばたく」名前と言えるのでしょうか。更に、同じ漢字文化圏の人間からは、意味の通らない奇妙な名前と笑われる物です。どこの「世界に羽ばたく」のだろうと思います。

また、キラキラネームを付けるもう一つの理由は、「個性的な名前を子供に付けたい」という物でした。自分の子供を特別視したいという気持は理解できなくもありませんが、世の中に通行する『名付け本』を見ると、大多数の本が、「人気名前ランキング」「人気読みランキング」「人気漢字ランキング」等々を載せています。「個性的な名前」が目的である筈なのに、何故、「人気ランキング」が必要なのでしょう。

表面的には「人気の名前を参考にする」と言う理由からなのですが、それらの名前には必ず「大翔(ひろと)」「結愛(ゆあ)」等のキラキラネームが含まれています。どの様にランキングを集計しているのかも疑問ですし、ランキングが上位であろうが無かろうが、インチキである事に変わりはありません。多少想像を膨らませるなら、ランキングに掲載される事によって、キラキラネームに意図的に市民権を与えるよう工夫がされている、とも言えます。

更に、「最高の名前が見つかる」と言いながら、縁起の良くない名前・卑猥な名前もあります。例えば、「読みから選ぶ女の子の名前リスト」の「なな」の項目を見ると、

・七々・なな・七南・奈々・菜七・七菜・七渚・菜々・奈那・那奈・那南・南那・奈南・南奈・菜那・那菜・菜南・菜愛

という名が列んでおり、小学生に集めさせても、もっと気の利いた物ができあがるのではないか、と思われるような程度の悪さです。だいたい「七」は一文字で「なな」と読みますから「菜七・七菜」は(ななな)ですし、「奈那・那奈」は疑問・反語の「いかんせん」で、どうしよう・どうでしょう等の意味になります。「七渚」の「渚」は、ひょっとしてもしかして、「なぎさ」を分解して「な」だけを取り出したのでしょうか、とんでもないインチキです。しかし、これらの中で最悪なのは、「七々」です。

・「七々」
「七」(漢音シツ、呉音シチ)
訓には、なな・ななつ・ななたび等の意味があります。部首は「一部」で、漢和辞典を開くと、「一」の次に出てくる数字が「七」です。『説文解字』によれは、易の陽の正数で、「一」は大地をあらわし、縦の線は地中の陰気が立ち上るさまをあらわします。


小篆 七



隷書 七


「々」は、「踊り字」です。同一の文字、或いは、言葉を重ねる場合の記号で、漢字ではありません。「送り字」「重ね字」「畳字(じょうじ)」「繰り返し符号」とも言います。日々・半々・我々・等々など、漢字を重ねる時に用いられます。

旧表記では他にもいろいろな記号が使われており、例えば、仮名一字の繰り返しに使われる「ゝ(一つ点)」は、ちゝ・はゝ・たゞ・ほゞ等に使われます。漢文の訓読によく用いられる「〻(二の字点)」は、字訓の繰り返しに用います。例えば、略〻(ほぼ)・稍〻(やや)・交〻(こもごも)・熟〻(つらつら)・愈〻(いよいよ)等です。この他、二字以上の仮名の繰り返しに用いられる「くの字点」などもあります。

少し話が逸れましたが、要するに「七々」とは「七七」の事です。「七七」は「なな」とは読みません。「しちしち」と読みます。「七七」「七七日(しちしちにち)」「七七忌(しちしちのき)」「七七期(しちしちき)」「七七齋(しちしちさい)」「七七之祭(しちしちのまつり)」は、みな同じ意味です。人が亡くなると、七日毎に供養をして冥福を祈りますが、その七回目の日、つまり四十九日目の祭を「七七之祭」と言います。子供の名付けの本に、この様な名前が出て来るのは異常です。普通の日本人なら絶対に付けませんし、まともな神経をしていたら、例文に取り入れる事はしません。この本の著者が、うっかり、何かの拍子に紛れ込ませた、単なる手違いだったのでしょうか。そんな筈はありません。

同書の「生まれる季節から名前を選ぶ・季節に関する美しい日本語」の項では、男の子に「土筆」という名を付けるよう勧めています。

「日本には古くから伝わる美しい言葉がたくさんああります。そのままでも名前に使えるもの、季節のイメージの参考になるものを集めました。

男の子におすすめ

・土筆(つくし)、早春に生える、筆の先のような形をした植物。空に向かってすくすくと伸びる様子から、健やかな成長や素直さのイメージ。」

「泡姫(アリエル)」「黄熊(ぷう)」の例からも分かるように、キラキラネームの根底にある物は、子供に良い名前を授けよう、という善意ではありません。「世界に羽ばたく」「個性的な名前」「最高の名前」と言うのも、看板に偽りありと言えそうです。


もう少し続きます。

漢字の話(キラキラネームの秘密、十七)

2017年08月25日 08時17分10秒 | 日記
さて、「えな」と「えま」の名前の「え」の部分に使われている漢字を抜き出し、音と訓を書き出すと次の様になります。

・永(漢音エイ・呉音ヨウ)
永は、水すじが長い、川がながい、という事を描いた象形文字です。そこから、事がながい、遠い、遥か、久しい、という意味があります。名乗り訓は、ナガ・ヒラ・トホ・ノリ・ヒサです。「エ」とは読みません。インチキです。



金文 永



篆書 永



・依(漢音イ・呉音エ)
よる・もたれる・たのむ・たよる・たもつ・たすける・いつくしむ等の意味があります)名乗り訓はありません。この文字は、仏教用語に使われる他、外国語の音訳によく使われる文字です。例えば、依報(えほう)・依利薩伯(エリザベス)・依士企摩(エスキモー)等です。

・英(漢音エイ・呉音ヨウ)
英は『詩経』は「華」と同義とし、『孟子』には、優れる・抜きんでる、という意味で「英才」という熟語が出てきます。誉れ、才徳の優れた人物等の意味で使われる文字です。名乗り訓には、ツネ・テル・ヒデ・ヒラ・フサ・ハナがあります。この文字は名前に使われる文字ですが「エ」と読むのはインチキです。

・絵(漢音カイ・呉音エ)
えがく・いろどる・あやなす・あやぎぬ・ぬいとり・え等の意味があります)名乗り訓はありませんが、絵師(えし)・絵合(えあわせ)・絵馬・絵巻物等々、「絵」から始まる単語は少なくありません。

・恵(漢音ケイ・呉音エ)
恵は『説文解字』には「惠仁也(恵は仁なり)」、『論語』には「其の民を養うや恵」と出て来ます。「仁」とは、儒教における最高の徳であり、人道の根本を言います。人に対する思いやり・情けが「仁」です。そこで、「恵」には、めぐむ、いつくしむ・愛する、おもいやり・よい・美しい等の意味があります。名乗り訓には、サト・シゲ・アヤ・ヤス・ヨシがあります。但し、一字目で「エ」と読む場合には、恵光(えこう)・恵能(えのう)等々の僧侶の名前か仏教用語、或いは、恵方(えほう)等の陰陽道に関係のある言葉に使われます。『往生要集(おうじょうようしゅう)』を著した源信も、恵心院(えしんいん)に隠棲していたところから、尊敬をこめて恵心僧都(えしんそうず)と称されました。

・笑(ショウ)
この文字は、『説文解字』では竹冠の下に「犬」が書かれており、犬が人にあまえるときの鳴き声が本義である、という説もあり、竹冠の下が「夭」の文字で、風で竹がまがる様子が、人の笑う姿に似ている意味を表している、という説もあります。どちらが本当の意味なのかは分かりませんが、本来は、口を開けて笑う、という意味のようです。その他、笑う・ほほえむ・喜ぶ、「夫子莞爾(かんじ)として笑う」というと、声を出さずに微笑む事ですし、花が咲くという風流な意味もありますが、例えば「五十歩を以て百歩を笑う」とは嘲笑うという意味ですので、人名としてはあまり好まれず、名乗り訓もありません。また、「ほほえむ」或いは「えむ」で一つの言葉で、一字で「エ」とは読みません。インチキです。



小篆 笑

・慧(漢音ケイ・呉音エ)
この文字には、さとい・かしこい・あきらか等の意味がありますが、仏教の「さとり」を意味する文字でもあります。仏教には呉音を用いることが多いのですが、この文字の場合は、仏教関係の場合には「エ」、それ以外では「ケイ」の音、とはっきりと分かれています。例えば、「慧眼」という熟語は「眼識の鋭いこと・さといまなこ」という意味で、一般的には(けいがん)と読みますが、仏教用語で「実在界の真理を識別する心のまなこ」の場合には(えげん)と読みます。その為、この文字を「エ」と読む場合、特に一文字目に「慧」の文字が来ると殆ど僧侶の名か、或いは、仏教に関係のある言葉です。例えば、慧海(えかい、智慧が深く広いことを海に例えた仏教用語)、慧因(えいん、唐の高僧)、慧南(えなん、宋の高僧)、慧琳(えりん、南朝宋の高僧)等々がこれです。名乗り訓は、サト・アキラです。それにしても、「世界に羽ばたく」って、僧侶になる事だったのでしょうか?

愛(漢音アイ)
めでる・おしむ、いつくしむ(親の慈愛)、あわれむ(憐れむ)、したしむ(親しむ)、したう(慕う)、恋する、おしむ(惜しむ)等の意味があります。名乗り訓には、チカ・ヨシ・ヤス・ナル・ツネがあります。仏教では、物を貪る意となり、良い意味も悪い意味もありますが、「エ」とは読みません。どこから出てきたのか想像もつきません。途方もないインチキです。

咲(音ショウ)
意味は、わらう・さく。この文字は、「笑」の古字です。日本では、花の蕾が開く意に用います。「咲」も「笑」同様に「エ」とは読みません。インチキです。

ここまでが、「エ」に使用されている文字です。

例えば、「兄」「江」「図」「画」「柄」「重」「柯」は、音も訓も合わせて全て「え」と読む文字ですが、それらは使われてはいません。

永・英は「エ」と読まないにもかかわらず、故意に「エ」と読ませています。また、笑は「えむ」と読みますが、「え」がある意味を持ち、「む」がある意味を持ち、「え」と「む」を組み合わせると、それを複合した「えむ」という言葉ができあがる、と言うわけではありません。「えむ」を構成する「え」と「む」には何ら意味はなく、「えむ」で初めて意味を持ちます。ですから、永・英・笑を「エ」と読ませようとするのは、日本の漢字文化に対する意図的な破壊にほかなりません。


続いて「ナ」に使用されている文字です。

・菜(音サイ)
菜は形声文字です。采が音符で草冠が意味を表しています。食用の植物の総称、な、あおもの、野菜、さい(野菜や肉でつくった副食物、おかず)、な(アブラナ)、飢えて顔色の悪いさま等の意味があります。「ナ」と読む場合には、野菜・アブラナという意味です。名乗り訓は、ありません。


・那(漢音ダ、呉音ナ)


大篆 那


小篆 那


隷書 那

「おおざと」は、もともと「邑」と書きます。漢音ユウ・呉音オウで、「諸侯の領地」の意です。『説文解字』によれば「国」の意、※『春秋左氏伝・荘・二十八年』には、宗廟(そうびょう、先祖のみたまや)のある所を都といい、ない所を邑と言う、と。『史記・五帝』では、舜(しゅん、古代の帝王)は、一年にして住む所は聚となり、二年で邑となり、三年で都となった、と。そこで、「邑」の付く文字は、国都、人の住む村・里等を表します。

因みに、「邑」を部首とする場合は「おおざと」と言いますが、「こざとへん」も「阜」と書きます。「阜」(漢音フ)は、石のない土山の形に象った象形文字です。そこから、おか、高大な土地、大陸。転じて、おおきい、さかん等の意で用いられます。


甲骨文 阜


小篆 阜


例えば、「陵」(音リョウ)は、『説文』によれば、意味を表す「阜」と、音を表す「夌」からなる形声文字で、大きい丘という意味を表す文字です。



小篆 陵


隷書 陵


さて、那は、『説文解字』によれば、四川省茂県にあった西夷の国です。その他、朝那は、漢代に甘粛省に置かれた県。那処は、春秋時代に湖北省にあった地名です。地名以外では、『詩経』の篇名にも使われており、おおい、うつくしい、やすらか等の意味があります。名乗り訓は、トモ。

また、漢文では助字(助辞)の、なんぞ、いかんぞ等々。例えば、那辺(なへん、どのあたり)、那何(いかに)、或いは、語勢を助ける助辞として、刹那・支那・旦那・任那(みまな)等に使われます。また、中国語では非常に良く使われる文字で、那箇(nage、あの、その、あれ、それ、あんなに、あれだ等)、那就(najiu、それなら、それでは)、那里(nali、あそこ、そこ、あちら、そちら)、那麼(name、あんなに、そんなに、のように、ほどに)、那麼点児(name dianr、たったそれくらい、それっぽっち、それしきの)、那児(nar、あそこ、そこ)、那天(na tian、あの日、その日)、那晩児(nawanr、当時、あの時)、那些(naxie、あれらの、それらの)、那様(nayang、あんな、そんな、ああいうふうにする、そういうふうにする)等々に使われます。

外国の音訳にも使われる文字で、特に仏教に関係のある言葉に良く用いられます。例えば、那由多(なゆた)と言うと、千億の意。那吒太子(なたたいし)は、仏法を擁護する毘沙門天の太子。那羅延(ならえん)は梵天王の別名。西洋人では那波烈翁(ナポレオン)。また、日本には那波(なは)という姓もあり、那須(なす)という地名もあります。姓に使われている文字ですし、中国語に多用されてもいます。更に、名の二文字目以降に使うと助字としての意味合いが強くなります。中国・朝鮮半島の地名にも見られますし、特別にそれらの地域に思い入れのある場合を除いて、人名に使うのは止めた方がよいと思います。



・奈(漢音ダイ、慣用音ナ)


大篆 柰



小篆 柰



隷書 柰


この文字は、『説文解字』によれば、果樹の名で、もともとは「柰」と書いていた物が、誤って「奈」となった、と。どうやら「柰」が正字のようです。

また、疑問反語の助字として、那・如と同様に使われます。奈何(いかん)・無奈(いかんともするなし)等々で、例えば、『史記・項羽紀』の「虞兮虞兮奈若何(虞や虞や若(なんじ)を奈何(いかん)せん)」でもお馴染みの文字です。

助字(助辞)は、助辞とも虚字とも言います。名詞・動詞・形容詞等の実質的な内容をもつ実字に対するもので、単独では実質的な意味を表さず、他の実字や文に結びついて、その語や文の意味を充実させる働きをする文字です。日本語の助詞・助動詞・接続詞、英語の前置詞のような働きをする文字です。例えば、雖・則・也・乎・者・矣・焉等々です。

一般的に言えば、男児の場合は二文字目に助字の「則」「也」「哉」等が使われても、意味の通る良い名前が多いのですが、女児に「奈」を使うのは、奈良県に特別な愛着のあるような場合は別にして、名前の作り方が難しくなるのではないかと思っています。


続いて「マ」に使用されている文字です。

・茉(漢音バツ、慣用マツ・マ)
この文字は「茉莉」以外には使われません。「茉莉(まつり)」は、常緑低木、香気高く、白い花が咲きます。いわゆる、茉莉花茶とは、花で茶葉に香りを付けた物です。森鴎外が長女に茉莉(まり)と付けたせいか、『大漢和辞典』には、「マ」の慣用音はありませんが、その後の『漢和辞典』には「マ」の慣用音が書かれています。こういう事はあまりよいこととは思われません。

・麻(漢音バ、慣用音マ)
この文字は麻冠(あさかんむり)と言う部首ですが、この文字を考える場合には、矢張り、「まだれ」(「がんだれ」)と中の「𣏟」の部分とに分けて考えます。


大篆 麻



小篆 麻



隷書 麻


先ず、「广」の部分ですが、これは(音ゲン)という漢字です。部首に使われる時には「まだれ」と言います。また「厂」(音カン)も漢字で、部首に使われると「がんだれ」と言います。


小篆 广



金文大篆 厂



金文・篆文 厂


先ず「厂」(音カン)ですが、これは象形文字です。『説文解字』によれば、下に人の住むことのできる崖に象っています。『説文解字注』によれば、崖が突き出て、下に人が住む事ができる所にで、崖の上に人が住むのが「广」(音ゲン)です。籀文(ちゅうぶん、大篆に同じ)では「厈」に作るので、「干」の音で「カン」です。一説に、家の中に武器の置かれている様子を表していると言います。

「广」は、指事文字です。厂は崖をあらわし、上の|は家屋を示します。そこで、广は崖の上に高くそびえた家をあらわします。音は儼然の儼(ゲン、いかめしい・おごそか)と同じです。そこから、家の意になります。

さて、「麻」です。この文字は会意文字です。「广」と「𣏟」と合わせた文字ですが、「𣏟」(音ハイ)は「林」とは別の文字です。「𣏟」の片仮名の「ホ」の様な文字は、麻の茎から剥ぎ取った皮です。それを二つ並べて、皮を細かくさいて整理する意を表すので、「𣏟」だけで麻の総称にもなります。麻をつむぐのは屋下でするところから、「广」を加えて「麻」の文字になりました。そこで、この文字は、あさを加工して得る「あさ皮」「あさ糸」「あさ布」を言います。また、「广」も「厂」も家屋に関係があるからか、大篆では「厂」を使い、小篆では「广」が使われています。

この文字は、中国では、地名や姓にも使われます。例えば、麻坪(まへい)は四川省や陝西省にある地名ですし、山東省には麻大湖(麻大泊)という湖もあります。麻士龍(ましりょう)と言うと宋の武人、麻永吉(まえいきつ)は、明の御史(ぎょし、官僚の不正を暴いて取り締まる官)で清廉を以て聞こえました。

・真(音シン)
「眞」は、『説文解字』によれば、「匕」「目」「」「‖」の合字で会意文字です。「匕」は「化」の古字、「」は隠れる、「‖」は乗り物。養生の道は耳目から、或いは、真理を悟るには耳目からなので、この文字は「目」偏(めへん)の文字です。これらを総合して、この文字は「仙人が形を変じて天に登る」という意を表します。転じて、自然・妙理・天性・本質・神気・誠実等の意、そこから、まこと・変わらない・ありのまま・みち・うまれつき等の意味で使われます。名乗り訓は、サネ・マサ・チカ・マタ・マス・ナホ・マ、です。名乗り訓には「マ」がありますが、この文字は、また、接頭語としても用いられています。例えば、真人間・真正面・真一文字、或いは、真新しい等がこれです。

因みに、「目」は象形文字です。

「目」が象形文字である事は小中学校でも習いますが、「め」の象形であるならば、何故、縦に列んでいるのでしょう。



実は、甲骨文・金文までは人の目に象っていました。籀文(『説文解字』には、古文(「古文奇字」とも言い、地方的、私的な異体字)と書かれています)の目玉親父のような文字は、『説文解字』によれば、この文字は古文であり、外側が顔の輪郭をあらわし、中の「へ」の字が眉毛、下の「○の中に点」が目で、眉毛の下に目のある事を表しています。篆書から現在の「目」の形になったようです。


・舞(漢音ブ、呉音ム)
この文字の意味は、まい・まう・まわす・はやい・もてあそぶ・あなどる等です。手足・身体を動かし種々の態をなす事。特に音楽・歌謡にあわせておどる、という意味を表します。また、もてあそぶ、あなどる、という意味もあります。

但し、舞は「まい」と読みますが、「ま」がある意味を持ち、「い」がある意味を持ち、「ま」と「い」を組み合わせると、それを複合した「まい」という言葉ができあがる、と言うわけではありません。「まい」を構成する「ま」と「い」には何ら意味はなく、「まい」で初めて意味を持ちます。ですから、「舞」を「マ」と読むのはインチキです。

・舞(漢音ブ、呉音ム)
この文字の意味は、まい・まう・まわす・はやい・もてあそぶ・あなどる等です。手足・身体を動かし種々の態をなす事。特に音楽・歌謡にあわせておどる、という意味を表します。また、もてあそぶ、あなどる、という意味もあります。

但し、舞は「まい」と読みますが、「ま」がある意味を持ち、「い」がある意味を持ち、「ま」と「い」を組み合わせると、それを複合した「まい」という言葉ができあがる、と言うわけではありません。「まい」を構成する「ま」と「い」には何ら意味はなく、「まい」で初めて意味を持ちます。ですから、「舞」を「マ」と読むのはインチキです。


「えな」「えま」に関する文字の説明は以上です。


最後に、「えな」「えま」に良い名前があったのかどうか検証してみましょう。

・永菜(永はエとは読みません、インチキです。)
・依那(依は呉音エ、那は呉音ナです。那にたよる?意味不明です。)
・英那(英にエの音はありません、インチキです。)
・依奈(依は呉音エ、奈は慣用音ナです。林檎の樹にもたれる、という意味です。)
・英奈(英にエの音はありません、インチキです)
・依菜(依は呉音エ、菜は訓なです。野菜に頼る、という意です。八百屋さんでしょうか?)
・絵菜(絵は呉音エ、菜は訓なです。野菜をえがく、という意味です。)
・恵菜(恵は呉音エ、菜は訓なです。まるで僧侶の名です。)
・笑菜(笑はエとは読みません。インチキです。)
・慧那(慧は呉音エ、那は呉音ナです。完全に僧侶の名です。)
・慧奈(慧は呉音エ、菜は訓なです。完全に僧侶の名です。)
・愛菜(愛はエとは読みません。途方もないインチキです。)

・永茉(永はエとは読みません、インチキです。)
・咲茉(咲はエとは読みません。途方もないインチキです。)
・恵茉(恵は呉音エ、茉は慣用音マです。僧侶のような名です。)
・笑茉(笑はエとは読みません。インチキです。)
・絵茉(絵は呉音エ、茉は慣用音マです。茉莉花(ジャスミン)をえがく、という意です。)
・愛茉(愛はエとは読みません。途方もないインチキです。)
・恵麻(恵は呉音エ、麻は慣用音マです。僧侶のような名です。)
・笑麻(笑はエとは読みません。インチキです。)
・絵真(絵は呉音エ、真は名乗り訓マです。真実をえがく、という意味です。)
・愛真(愛はエとは読みません。途方もないインチキです。)
・絵麻(絵は呉音エ、麻は慣用音マです。麻をえがく、という意味です。)
・愛麻(愛はエとは読みません。途方もないインチキです。)
・恵舞(舞をマと読むのはインチキです。)
・笑舞(愛はエとは読みません。舞はマとは読みません。二重にインチキです。)
・英真(英にエの音はありません、インチキです。)

上記の名前は、漢字のインチキ読みもさることながら、「呉音」が多い事に驚きます。

「呉音」と「漢音」とでは、「呉音」の方が古い時代に日本に入ってきたと言われています。日本に始めて漢字が伝来したのは、四世紀から五世紀にかけての事です。その頃、中国大陸では、政治や文化の中心が、長江下流域の江南地方にありました。この地方には昔「呉国」があり、この地方の言語なので「呉音」と言っています。但し、それは海を越えて直接日本に来たのではなく、朝鮮半島の百済(くだら)を通して入って来ました。その為、正確に「呉国」の発音が伝わっているのかは、疑問であると言われています。「呉音」は朝鮮から対馬を通して入って来たので「対馬音」とも言われています。

また、「最高の名前が見つかる」と言いながら、日本の子供に付ける名前であるのに、二つに一つは、インチキというのはどういう事なのでしょう。


キラキラネームの秘密(十八)に続きます。

九寨溝(おまけ)

2017年08月12日 19時51分44秒 | 日記
私は90年代の半ばに、九寨溝を旅しました。

寨(さい)は、この場合は「村」の意、溝(こう)は、この場合は「谷間」の意です。九つの(チベット族の)村のある谷間、という意味です。

以下は、「東遊記」という八人の仙人が出て来る連続ドラマで、内容はちょっと「西遊記」と「ドラゴンボール」に恋愛を足したような内容ですが、仙界の雰囲気を出すために、「九寨溝」でロケが行われました。背景の滝や湖は、震災前の九寨溝の名所です。特に滝がカーテンの様に流れている場面がありますが、たぶん「若日郎瀑布」だと思います。お楽しみ下さい。

The Legends Of The Eight Immortals东游记 theme


成都から、中国人用のバスツアーに潜り込んで、二泊三日のバスの旅。早朝の出発で、バスの中でうとうとしていたら、いきなりドーン・ドーン。驚いて周囲を見回すと、向かいの山から白い埃が舞い上がっています。爆薬を使って道路を切り開いているのです。私は始めてハッパの音を聞きましたが、物理的にずしりと腹に響く音でした。バスは険しい山並みを縫うように奥へ奥へと入って行きます。途中、土砂で半分埋まったようなガケの道をそろそろ通過して汶川に到着。

外国人がそれほど行かない時代の事とて、日本人が九寨溝に行くというので、成都を出る時に、パスポートをチェックされ、保険を掛けろ、と言われました。日本人だからだろうか、中国人にも掛けているのだろうか、と半ば苦々しく思いながら、掛け捨ての保険に入りましたが、途中、河原のような所には、どう考えても上から落ちてきたとしか思えない巨大な岩がゴロゴロしていたりして、汶川を通過する頃には、本当に危険なのだと実感していました。

今回の事故では、旅行客は4万人と報じられましたが、私達が行った時には、バスはせいぜい二台か三台。豪華なホテルもなく、道路も整備されておらず、途中の危険さも加味されて、九寨溝は美しい所だなと思いました。うーん、巨大な五色沼とパムッカレと小型のナイアガラの滝、と言った感じです。

因みに、この旅行は、教員をやっていたときの同僚(女性)一人と行きました。私はそれ程興味はなく、彼女が望んで実現した旅でしたが、私以外は全て中国人。しかも、バスの窓から見える風景は断崖絶壁、事故がいつでも起きそうな山道で、絶句していました。

私達以外のツアー客は、退職した教員の一団、新婚旅行のカップル、会社経営者の夏休み等々、けっこう文化水準の高い一団でした。全て中国人仕様の旅行ですから、費用はお小遣いも含めて一万円もかからなかったように思います。但し、一万円は、当時の中国では、30代の公務員の月給と同額です。彼等にとっては、豪華な旅行の筈でした。。。碌な土産物もなく、純粋に風景を楽しめる旅で、もう一度行ってみたいと思っていたのですが、ちょっと難しくなってしまいましたね。

次回は「漢字の話」に戻ります。ハルヒが巻きで行くわよ、と言うので、巻きで行きます!

四川九寨溝大地震(170808その二)

2017年08月12日 17時36分03秒 | 日記
中国四川九寨溝で、現地時間8月8日21時19分にマグニチュード7級の地震が発生しましたが、同じく四川省凉山では、同日、土石流が発生しており、翌9日早朝には、新疆ウイグル自治区で、震度6.6の地震が発生しました。これらの災害に関連があるのか否かは俄には分かりませんが、先ずは、24人の死者を出した四川省の土砂崩れから紹介したいと思います。

「聯合新聞網」

『四川凉山の土石流で 24人死亡1人行方不明(四川涼山泥石流 24死1失聯)』

2017-08-09 13:35世界日報 中國新聞組/北京9日電

「四川省凉山州 普格県で8日、暴雨のために土石流が発生し、既に24人死亡、1人行方不明、157戸577人が、程度の差はあれ被災している。

新華社の報道によれば、普格県(ふかくけん)蕎窩鎮(きょうかちん)耿底村(こうていそん)で、8日午前6時頃、暴雨のために山津波が発生し、土石流が家屋71棟を押し流し、公道を5Kmに渡って破壊し、更に、水道管・橋梁・水田等に被害が出た。

この災害によって、24人が死亡、1人が行方不明、4人軽傷、1人が救出され、157戸577人が、それぞれ異なる程度で被災している。

四川省政府新聞弁公室は、71棟の家屋が押し流され、道路が5Kmに渡って被害を受けた。今回の土石流による直接的な経済損失は1.6億人民元(約2380万ドル)になる見込みだ、と発表した。

中新社の報道では、7日の晩8時から8日の午前8時にかけて、普格県の雨水郷・吉楽郷団結村は豪雨に見舞われ、蕎窩鎮の吉楽俄木村・劉家坪郷・永安高家梁子村に大雨が降った。その中で雨水郷の降水量が最大で55.7ミリメートル、一時間当たりの最大降水量は38.9ミリメートルだった。

天府早報のミニブログ(微博)の情報によれば、8日午前11時に、蕎窩鎮を通過すると、いまだ道路の両側には多くの車輌が停まっており、公安・消防・医療等にたずさわる人々が救援活動を行っていた、と。」(「聯合新聞網」『四川凉山の土石流で 24人死亡1人行方不明(四川涼山泥石流 24死1失聯)』2017-08-09 13:35)


四川涼山普格泥石流24人死亡




一方、新疆ウイグル自治区では、9日に地震が発生しました。以下は新疆地震に関する「人民ネット」の記事です。

「人民ネット(人民網)」


『新疆精河で6.6級の地震 地震局は地震応急Ⅱ級の対応を発動
(新疆精河6.6級地震 地震局啟動地震應急Ⅱ級響應)』

2017年08月09日10:08 來源:人民網-新疆頻道

「人民網ウルムチ8月9日電、

新疆地震局の公式ミニブログ(微博)の情報によれば、2017年8月9日7時27分、新疆ボルタラ蒙古自治州精河県で6.6級の地震が発生、震源の深さは11Km、震源地は北緯44.27度、東経82.89度の地点。

震源は精河県の托裡鎮(たくりちん)に位置しており、精河県城(県城は県の人民政府が置かれている町)から37Kmの地点で、震源を含む地域は強烈な揺れを感じ、石河子市・昌吉市・ウルムチでも揺れを感じた。

地震発生後、新疆ウイグル自治区地震局は、すぐさま地震応急Ⅱ級の対応を発動し、同時に震源地域の自治区地震局副局長 鄭黎明(ていれいめい)と新疆地震局野外工作員を派遣し、直ぐさまその足で震災区域に行かせ、被害の状況を把握させた。

目下、死傷者が出たという報告は無い。自治区地震局は現在、人員を被災地域に派遣して調査を行っている。」(「人民網」『新疆精河で6.6級の地震 地震局は地震応急Ⅱ級の対応を発動(新疆精河6.6級地震 地震局啟動地震應急Ⅱ級響應)』2017年08月09日10:08)


新疆清晨6 6級地震 烏魯木齊有強烈震感



四川九寨溝晚上發生七級地震,另四川涼山發生泥石流,24人死亡!

最初から1分17秒までが九寨溝地震について、1分18秒からが凉山の土石流についてです。



また、一ヶ月前の6月24日午前6時頃には、今回と同じアバ州の茂県(もけん)で大規模な土砂崩れが起きていました。

6月24日現地時間午前6時ごろ、大規模な土砂崩れが発生し、住宅46棟を巻き込み、141人が生き埋めになりました。この土砂崩れは、現場付近で1か月ほど前から降り続いた雨が原因と見られています。

太悲慘!四川新磨村突發山體垮塌瞬間直擊及災區現場

6月24日に起きた土砂崩れの瞬間。

この事件について「BBC NEWS JAPAN」は次の様に報じています。

『中国・四川省の土砂崩れ 90人以上まだ行方不明』

2017年06月26日

「中国四川省アバ・チベット族チャン族自治州茂県で24日早朝に発生した大規模な土砂崩れで、26日朝の時点でもまだ90人以上が行方不明となっている。地元住民が「前代未聞」と呼ぶ災害に40戸以上の民家が飲み込まれ、これまでに10人以上の遺体が発見された。1000人態勢の捜索が続いているが、生存者発見の望みは薄いという。

土砂崩れは、24日午前6時(日本時間同7時)前に発生。山の一部が崩れ、川岸にある新磨村を襲った。大雨が原因とみられている。

土砂に巻き込まれた夫婦と赤ちゃんが救出され、病院に運ばれた。助かったシャオ・ダシュアイさんは国営テレビの中国中央電視台に対して、赤ちゃんの泣き声で自分たちは目が覚めて、玄関を開けた瞬間に水にさらわれてしまったと話した。シャオさんの両親や複数の親類が行方不明という。

隣村のウー・ユヘンさんはロイター通信に対し、土砂崩れの多い地域ではあるが、これほど大規模なものは前例がないと話した。

25日を通して救急隊とボランティア3000人以上が、救助犬と共に土砂を掘り続けた。

国営メディアは15人の遺体が発見されたと伝えたが、現場の当局者は25日、死亡が確認されたのは10人のみだと述べた。また行方不明と伝えられた複数の人が、現場から離れた場所で無事でいるのを発見されたという。

習近平国家主席は、救急隊に「手を緩めず」全力で救助作業にあたるよう求めた。

国営・新華社通信によると、土砂崩れで川が長さ2キロにわたり土砂で埋まった。地元警察は、植生が少ないせいで被害が拡大したと話している。

地元当局によると、約8立方メートル大の岩が落下。緊急車両を除き、道路は通行止めとなった。

中国の山間部では、特に雨季になると土砂崩れが頻繁に発生する。2008年の四川大地震では、8万7000人が死亡した。茂県では、地震による土砂崩れで観光バスが埋まり、観光客37人が死亡した。」(「BBC NEWS JAPAN」『中国・四川省の土砂崩れ 90人以上まだ行方不明』2017年06月26日)


四川九寨溝7.0級地震 已致19人死亡263人受傷




さて、最後に今回の地震による被害を取り上げた「BBC中文」の9日の記事を紹介したいと思います。記事では247人負傷と報じられていますが、台湾の「東森新聞」は、19人死亡、343人負傷、徹夜で6万人が避難、余震が100回以上で震度4を越える物も何度かあった、と伝えています。


『四川九寨溝地震:少なくとも19人死亡 247人負傷
(四川九寨溝地震:至少19死 247傷)』

2017年 8月 9日


「目下、風景区の道路は程度の差はあれ損傷を受け、多くの山は崩れている。8月9日、旅行客は、比較的安全なインターコンチネンタル九寨パラダイス(九寨天堂洲際大飯店)の駐車場に集められ、救援を待っていた。



8月9日、旅行客は、比較的安全なインターコンチネンタル九寨パラダイス(九寨天堂洲際大飯店)の駐車場に集められ、救援を待っていた。8月8日、四川省九寨溝県で7.0級の地震が発生し、インターコンチネンタル九寨パラダイスも被害を受けた。



九寨溝風景区内の「五花海風景区」に向かう道路の状況。四川省アバ州応急管理弁公室は、8月9日13時10分までに、九寨溝県漳扎鎮(しょうさつちん)での、M7.0級の地震による死亡者数は19人、負傷者数247人うち40人が重傷、と発表した。


 
中国国家主席習近平は、組織力で迅速に救済し、全力で負傷者を救助し、旅行客と被災した群衆を安全な場所に避難させ、死傷者を最小限にくい止めるよう要求した。図は地震後、現地の武装警官・官兵が旅行客を安全な場所に誘導し、群衆を救助する様子。



8月8日、甘粛省 定西市安定区 北景苑小区の住民は、室外に避難した。中国地震台網センター地震予報部は、8日晩22時30分までに、震源付近で107回の余震があり、そのうち3~3.9級の地震が2度、最大の余震は3.3級、と発表した。



8月8日、甘粛省 定西市安定区 瑞麗家園小区の住民は、室外に難を避けた。



8月8日晩、四川アバ州九寨溝県の301号省道の関門付近では、地震による地滑りで道路が消えた。中国地震局は、今回の地震は特別重大地震災害であり、震源地は四川省アバ州九寨溝県漳扎鎮、震源の深さは約20Kmである、と発表した



九寨溝風景区旅客センター付近の、被害を受けたブロック。



甘粛省隴南市(ろうなんし)消防隊は、揺れの激しかった文県(甘粛省隴南市の県)に、直ぐさま救援に向かった。



西部戦区空軍指揮制御センターは、災害救済緊急計画を発動させ、直ぐさま部隊に災害救援指令を下した。



九寨溝風景区付近で被害を受けたホテルのエントランス




目下、風景区の道路・多くの湖が程度の差はあれ被害を受けており、多くの山が崩れている。これは、8月9日に撮影された「五花海風景区」。」(「BBC中文」『四川九寨溝地震:少なくとも19人死亡 247人負傷(四川九寨溝地震:至少19死 247傷)』2017年 8月 9日)

記事はここまでです。


前回の2008年5月の四川大地震の時にも言われた事ですが、四川省で大地震が発生する原因として、プレートの移動や断層の影響の他に、「三峡ダム」を挙げる意見があります。巨大なダムの圧力で、地震が起きると言う物です。また、「巨大ダム」による環境の破壊についても、度々、議論されています。

天候不順は中国に限った事ではありませんが、確かにアバ州では地震が多く、四川省では山津波もたびたび起きています。

もし、本当にダム建設の影響があるとすれば、揚子江河イルカに続いて、九寨溝の風景も影響を受けた事になります。罪な事です。


地震前の「五花海」

それは兎も角、九寨溝の風景区も深刻な影響を受けてしまったようですし、四川省に長期の雨が降った後は、大量の雨水と土砂がダムに流れ込むはずなので、四川省及び、新疆ウイグル・青海省の付近の観光は控えた方が良さそうです。

今回は、日本人に被害が出なくて本当に良かったと思っています。それと同時に、九寨溝で一人でも多くの人が助かりますよう、お祈り申し上げます。

次回は、漢字の話に戻ります。

四川九寨溝大地震(170808その一)

2017年08月09日 17時27分24秒 | 日記
四川省九寨溝で、昨夜、震度7の地震が発生しました。それに関して、先ずは「紐約時報中文網(ニューヨークタイムズ中文ネット)」の報道です。

『NEWS Letter:四川九寨溝で地震が発生 死傷者多数(簡訊:四川九寨溝發生強震,多人死傷)』

ニューヨークタイムス 中文ネット(紐約時報中文網)

2017年8月8日

「四川九寨溝地区で火曜の晩9時19分に地震が発生した。中国地震局網の測定では震度7、米国地質調査局(USGS)は6.5を測定した。(九寨溝のある)アバ州の公式ミニブログ(微博)の情報によれば、9日朝8時までに、死者は12人、負傷者は175人にのぼった。

最初の大きな地震が発生した約20分後、現地では再び震度3.3の余震が発生した。今回の地震の震源は九寨溝県から約40Km、成都から約280Kmの距離。四川・陝西の多くの地域で揺れを感じたと報じられた。」(「紐約時報中文網」『簡訊:四川九寨溝發生強震,多人死傷
』2017年8月8日)


続いて「BBC中文」の報道です。

『四川九寨溝県で震度7の地震が発生 多くの地域で強烈な揺れを感じた(四川九寨溝縣發生7級地震多地震感強烈)』


2017年8月9日


「中国四川九寨溝で、現地時間8月8日21時19分にマグニチュード7級の地震が発生し、9人死亡、100を越える負傷者を出した(死者は皆、旅行客だった)。

中国地震局は、今回の地震を特別重大地震災害と発表した。震源は四川省アバ州九寨溝県漳扎鎮(しょうさつちん)、震源の深さは約20Km、と発表した。


四川省アバ州応急管理弁公室は、8月9日9時25分までに、九寨溝県漳扎鎮でのM7.0級の地震による死者数は、既に13人、負傷者175人に上り、その中で28人が重傷、と発表した。

四川省政府新聞弁公室は、九寨溝県漳扎鎮には3.5万人の旅行客が逗留しており、当局は積極的に旅行客を退避させており、ツアー客と個人の旅行客は現在、続々と甘粛省文県と綿陽市平武県から避難退避しているので、恐らく水曜の18時前には、避難は完了するだろう、と発表した。

中国地震局の発表では、今回の地震を「特別重大地震災害」と認定した。震源は、四川省アバ州九寨溝県漳扎鎮、震源の深さは約20Km、と。

四川・甘粛・青海・寧夏・陝西の多くの省で揺れを感じ、一部の地域では強烈な揺れを感じた。

中国地震局は既に※第Ⅰ級緊急対応(応急饗応)を発動させ、緊急に工作隊を派遣し、震災地区で救済活動を展開している。

水曜払暁、国務院抗震救災指揮部は、国家Ⅱ級地震緊急対応(応急饗応)を発動させた。

※2012年国務院発布の《国家地震応急予案》によれば、実際に発生した災害の程度によって、地震災害は「特別重大」「重大」「やや大」「一般」の四級に分けられ、並びに、地震災害の緊急対応は、Ⅰ級・Ⅱ級・Ⅲ級及びⅣ級に分けられます。「特別重大地震災害」の対応には、Ⅰ級の対応を発動させます。国務院抗震救済指導機構が責任を負い、指導・指揮・全国の救済活動の調整を行い、震災の起きた省級抗震災害援助指揮部の指導によって、震災地域の救済が行われます。「重大」「やや大」「一般」の震災には、Ⅱ級・Ⅲ級・Ⅳ級の救済活動が発動され、それぞれ、省級・市級・県級の抗震救済指揮部が救済活動を指導します。


地震発生後、九寨溝県全域が停電した。目撃者は、九寨溝風景区内に全壊・半壊の家屋のあるのを見た。

四川アバ州九寨溝県で発生した7.0級地震は、社会からの注目を集めている。専門家の分析では、今回の地震は、2008年に発生した汶川地震と直接の関係はないが、しかし、この二つの地震の原因は同一である、と称している。

地震局の専門家は、今回の地震は岷江(びんこう)断裂帯と東崑崙(こんろん)断裂帯東部の交差する地帯で発生している、と判断している

九寨溝シャングリラでビールの代理店を開いている阿麟(ありん)はBBC中文の記者に対して、地震の発生は非常に早く、だいたい数秒間の事だった。旅行客は路上にいて、基本的に負傷者はいないようだ。倒壊した建物は無いが、路上には山上からの落石がある、と語った。現地は現在停電している。

阿麟は、付近に数百人がいる、皆、道路に沿って座っている。皆は、不意のでき事に驚きあわてているが、車は公道を走り始めている。秩序は乱れていないし、状況の悪化も見られない。現地の住民が現場の秩序維持に努めている。多くの宿屋の経営者は宿泊客の安否を調べ始めている、と語った。

旅行で西安を出発し、甘南チベット族自治州(甘粛省の西南隅)に向かっていた趙さん一行は、震源から90Kmのゾルゲ県(アバ州最北部)に宿泊していたが、彼はBBC中文の記者に対して、晩の9時過ぎ、明らかな揺れを感じ、ホテルの人々は皆外にかけだした。ゾルゲ草原周囲では、家屋の倒壊は見られなかった。夜は、旅行客は皆車上で過ごした。余震は感じられなかった。旅行客は皆無事だ、と語った。

官報新華社は九寨溝風景区の作業員の話しを引用し、九寨溝風景区内第四條溝 扎如溝(さつにょこう、九寨溝入り口付近)で、家屋の倒壊と半壊が見られ、現地で現在、緊急避難が行われている、と報じた。

8日晩11時に開かれた、地震後初めての記者会見で、※九寨溝幹海子風景区付近で、100名以上の旅行客が閉じ込められている、という情報がもたらされた。

※九寨溝幹海子風景区付近で山が崩れ、100名以上の旅行客が閉じ込められている。目下、死傷者の情報は、上がってきていない。

震源から40Kmに位置する九寨黄龍飛行場は強烈な揺れを感じたが、死傷者もなく、地震後も飛行場は運行されている。

当夜には2便が運行する予定だった。1便は運行停止を余儀なくされたが、他の1便は予定通り無錫に向けて飛び立った。

九寨溝付近の蘭渝線(らんゆ線、甘粛省蘭州市と重慶市を結ぶ全長820kmの高速鉄道)と宝成線(四川省成都市と陝西省宝鶏市を結ぶ全長669kmの鉄道路線)上の多くの列車が成都鉄道局の命令で運行停止になった。

九寨溝管理局が発表した情報によれば、地震の影響を受け、九寨溝管理局は現在全力で風景区の危険防止作業を展開しており、8月9日から九寨溝は旅行客の受け入れを停止している。

九寨溝風景区の8月8日の来客数は38799人、昨年同期に比べ5483人の増加、16.46%の成長を示している。その中で団体客は18158人、個人の旅行客は20641人だった。

2008年5月12日午後2時27分、汶川(ぶんせん)で8.2級の大地震が発生した。震源は四川省アバ州汶川県映秀鎮で、震禍は、中国の大半、及びアジアの数ヵ国と地域に及んだ。北は遼寧、東は上海、南は香港・広東・澳門(マカオ)、タイ、ベトナム、西はパキスタンで均しく揺れを感じた。

地震は、四川・甘粛・陝西等の震災地域での直接の経済損失は、合計8451億人民元。被災地の衛生・住居・校舎・通信・交通・治安・地表面の形状・水利・生態・少数民族の文化等方面で深刻な被害が出た。」(「BBC中文」『四川九寨溝県で震度7の地震が発生 多くの地域で強烈な揺れを感じた(四川九寨溝縣發生7級地震多地震感強烈)』2017年8月9日)

乱文乱筆、申し訳ない。取り急ぎ掲載します。

漢字の話(キラキラネームの秘密、十六)

2017年08月08日 02時30分34秒 | 日記
漢字は、表音文字であると共に表意文字でもあります。これらの熟語は、意味の上から見た場合に、どうなるでしょう。

「ゆめ」の「由芽・由萌」ですが、芽は、「漢音ガ、呉音ゲ、意味は、め」発芽・麦芽。萌は「漢音ボウ、慣用音ホウ、意味は、め・めばえ・きざし」。ですので、「芽」も「萌」も「芽」の事で、ともに名詞です。由は、「漢音ユウ、呉音ユ、慣用音ユイ」です。「由」は、助詞の「より」や、副詞の「なほ~のごとし」のような用法の他に、「ひこばえ」という意味があります。すると、「由芽」「由萌」は、同義の字を合わせた形になり、それほどおかしな熟語ではないと言えそうです。但し、普通は「ゆうが」「ゆうぼう」と読むでしょうし、意味は「芽」や「萌芽」となります。



「げんき」

何故「元気」と書かないのか、という疑問は別にして、「元貴・元希・弦希・玄稀・弦輝」の意味は、次の様になります。

「元」は、『説文解字』によれば、一と兀(ゴツ)を合わせた文字で、一は万物の始め、兀は音声としています。しかし、『説文通訓定声』によれば、古文の「人」と、古文の「上(二)」を合わせた文字で、人体では首が一番上にあるので、かしら・こうべ、また「はじめ」の意とします。更に、上とは陽気・天・男性を表すので、男の始め(長男)を「元」と言います。元子というと世子・嫡子の意になります。名前よりも、字(あざな)として好まれる字です。名乗り訓には、マサ・モト・ユキ・チカ・ハルがあります。


甲骨文 元


小篆 元

古代の中国には、名前の他に「字(あざな)」を付ける習慣がありました。子供が生まれると、三ヶ月以内に父が名を付け、男子は成人すると冠をつけ「字」を付けます。字は敬意を込めた名ですので、相手が同輩以上の場合には、その人物の「字」を呼び、自分は名を名乗ります。例えば、諸葛亮、字は孔明の場合、主君の劉禅(りゅうぜん)に奉(たてまつ)った『出師表(すいしのひょう)』が有名ですが、この名文の誉れ高い文章は、「臣亮言(もう)す…」と書き始められます。他の人物から呼ばれるときには字の孔明が使われ、自らは亮を名乗ります。

「字」は名と関係のある文字を使う場合が多く、例えば、孔子は、名は「丘(きゅう)」、字は仲尼(ちゅうじ)ですが、これは、父の叔梁紇(しゅくりょうこつ)と母の顔氏が尼丘(じきゅう、山東省曲阜の南にある山)に祈って生まれた事によります。仲尼の「仲」とは兄弟順を表す文字で、上から伯・仲・叔・季の順番です。五十前では季(すえ)であるかどうか分からないので、これらの文字は、五十歳になってから「字」の上に加えたようです。

さて、「元貴」ですが、実はこれは北周の趙貴(ちょうき)の字です。名前が「貴」で長男だったので「元貴」なのでしょう。

北周は、南北朝の北朝の国です。439年、北魏が華北を統一すると、それ以降、漢民族の南朝と鮮卑族の北朝の対立が始まります。北朝の北魏の大都督であった宇文泰(うぶんたい)は、534年、孝武帝を毒殺して北魏を滅ぼし、文帝を擁立して西魏をたて、都を長安に定めました。その後、泰の第三子 宇文覚は、最初、西魏に使えて周公に封ぜられましたが、後に簒奪して自立し、国を北周(556年~581年)と号しました。宇文護は宇文泰の遺命を受けて、宇文覚を補佐し、西魏を滅ぼしました。覚が帝となると、護を大冢宰に任じましたが、専横に流れたために、覚は護を除こうとしました。趙貴は、もともと宇文泰によって大都督に任命され、楚国公に封ぜられていましたが、宇文護の専横が目にあまるようになると、護を謀殺しようとしました。しかし計画は漏れ、趙貴は殺され、宇文覚も在位二年で弑(しい)せられました。

こういう縁起のよくない人物の「字」を、何故、わざわざ紹介するのか理解に苦しみます。

さて、「元希」の「希」は、漢音キ、呉音ケ、まれ・めずらしい・ほとんどない・こいねがう・のぞむ等の意味があります。すると、元(はじめ、名詞)+希(まれだ、形容動詞)で、全く意味不明です。また、元(はじめ、名詞)+希(こいねがう、動詞)の意味でとると、「始めに願う」の意となり、やはり、意味不明です。名詞の下に動詞が来る熟語はありますが、「元希」は、熟語としては無理があるように思います。

「弦希」の「弦」は、音ゲン、つる・ゆづる・ゆみはりづき。本義は弓の弦のことです。弓と、黒い糸の意と音を示す「玄」とからなります。弓の弦は糸でつくって弓に張ります。そのため琴瑟に張るものも弦と言います。希は上記と同じですので、弦(ゆづる・ゆみはりづき、名詞)+希(まれだ、形容動詞)・弦(ゆづる・ゆみはりづき、名詞)+希(こいねがう、動詞)となり、「弦希」もまた、熟語としては成立していません。



大篆 弦


小篆 弦

「弦輝」は既にある熟語です。弓張り月の光、という意味です。下弦・上弦の月の光、という意ですので、風雅ではありますが、子供の名としてどうなのだろうと思います。

「玄稀」は、「玄」は、『説文解字』には、「幽遠(静かで奥深いの意)也」、と。古文は、糸の古字と・・との合字で、・・は糸の黒く染まった色を示します。漢音ケン、呉音ゲン、黒色、天の色、遠い、深い、静か、北方、北向き、陰暦九月の異称、かがやく、くらむ、の意味があります。


古文の玄

清代には、康煕帝(こうきてい)の諱(いみな)が「玄燁(げんよう)」であったので、「玄」の字を避けて「元」が代用されました。「稀」は、漢音キ、呉音ケ。もともとは、稲の苗をまばらに植えるという意味を持つ文字です。そこから、まばら、すくないの意で、「希」と同様に使われます。そのため、稀少・稀有・稀薄はまた、希少・希有・希薄とも書きます。すると、「玄稀」は、「玄(名詞・形容詞・形容動詞・動詞)+稀(形容動詞)」の意味は、「黒くてまばら」「静かでまばら」等の意味になり、熟語としては成立するかもしれませんが、碌な意味ではありません。子供の名として相応しいとは思われません。

こうして見ると、頑なに「元気」を使わずに、自作の名を列挙していますが、「元貴・元希・弦希・玄稀・弦輝」の中には、不吉な物・意味不明な物もあり、子供の名として賛成できそうな名は、一つもありません。


さて、最後に「えな」永菜・依那・英那・依奈・英奈・依菜・絵菜・恵菜・笑菜・慧那・絵菜・慧奈・愛菜。「えま」永茉・咲茉・恵茉・笑茉・絵茉・愛茉・恵麻・笑麻・絵真・愛真・絵麻・愛麻・恵舞・笑舞・英真、を見て行きましょう。

この「えな」「えま」は、2016年版『最新「最高の名前」が見つかる!赤ちゃんの名づけ新百科』の、「読みから選ぶ女の子の名前リスト」の中に掲載されている物で、「えな」に続けて「えま」の名が列挙されています。

一見して感じるのは、これらの名が、一つ一つ丁寧に考え、或いは、集めた名ではなく、「え・な・ま」と読めそうな漢字を適当に集めて繋げた名だと言う事です。しかも、「咲茉」を始めとして、漢字をきちんと読んでいない、インチキ読みをしている物が、異常に多いのに驚きます。

何を考えて、この様な名を子供に付けようと考えついたのかは不明ですが、私は、誰かが「えな」と言えば、「胞衣(えな)」を思い浮かべますし、「えま」と言えば、「絵馬」を思い浮かべます。

フェラーリ GTC4ルッソT

これで四駆!「フェラーリにSUVは必要ありません」BYフェラーリ

長くなりそうなので、一度切ります。