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一年半で二十数回の爆発(石油閥の腐敗、三)

2015年10月04日 17時31分57秒 | 日記
※※2013年11月22日の記事

青島で大爆発が起きた当日、「BBC中文」と「sina新浪財経」上に、周永康の息子 周浜に関する記事が掲載された。「BBC」が概要、「sina新浪」が詳細な内容を掲載しているが、二つの記事の内容はほぼ同じだ。

先ずは、事件の輪郭を述べた「BBC中文」の記事から紹介したい。

『中国石油の反腐敗 混乱継続 周浜の旧友“逮捕される”』

2013年 11月 22日

「中国媒体の金曜(11月22日)の報道は、現在継続中の、新指導者による中国石油系統に対する腐敗の調査で、前中共高官 周永康の息子周浜が、依然として主役を演じている、としている。

大陸のリベラル派の媒体《財新網》は、周浜の多年にわたるビジネスパートナー米暁東(周浜の大学時代の学友で、主に資金洗浄をしていたと言われている)が、10月1日前後に身柄を拘束された、と称している。《財新網》の報道によれば、今年43歳の米暁東は、周浜の海上と陸上油田のビジネスの世話役で、周浜が実際の司令塔だ。《財新網》のこの報道には、周浜と周永康の関係には触れられていない、僅かに“周浜”の名が用いられ、並びに、“周浜及びその親族が、不名誉な手段で中国石油天然ガス(PetroChina)長慶油田の、二つの高生産採掘区画を獲得し、並びに、転売して高額の収益を得た嫌疑がかけられている”と述べられている。

北京に近い《大公報》も9月16日に、“北京の人、周浜は嘗て北京中旭陽光能源科学技術株式有限公司の理事長に任ぜられていた”と報じており、文章も同様に周永康に言及していない。習近平の就任以来、中国石油(PetroChina)系統に対する調査は、まさに鳴り物入りで行われている。目下、中国政府筋は、既に中国石油の数名の高官を逮捕した。(2013年)9月1日午前11時、公式媒体新華網が、“中央紀律委員会は、国務院国有資産監督管理委員会主任・党委副書記 蒋潔敏(しょうけつびん)の重大な規律違反の嫌疑について、現在、組織的調査を行っている、と宣言した。”蒋は以前、中国石油集団の理事長(2011.04—2013.03)であった、と発表した。

蒋潔敏は、2012年11月、当選して中央委員となり、今年3月、中国石油集団の理事長から、国有資産監督管理委員会主任に抜擢された。彼の失脚から約二週間後、新華社は9月12日に文章を発表し、54歳の天津市燃気集団有限公司理事長 金建平が“深刻な党紀違反により、現在調査を受けている。”と発表した。それより以前の8月26日、元中国石油集団副理事長兼大慶油田理事長 王永春が、深刻な党紀違反により調査を受けている。

・直接 周永康を指す

表面上、新たな反腐敗の嵐は、中国石油の業界独占の汚職行為に向かっている。しかし、多くの媒体の報道は、この一連の行動の真の意図は、調査中の中共前政治局委員・中央政法委書記 周永康にある事を、明らかに示している。10月21日、香港の《南華早報》は、習近平は、既に、周永康の調査の責任を負う特別工作組織を立ち上げた、と報じた。

同日、中国公式媒体中央電視台は、公式英語のツイッターの報道で、習近平は既に専門の調査部門を設立し、周永康に対して調査を行う、と発表した。しかし、このツイッターはすぐに削除され、中央電視台は、その後、ツイッター上で、当該内容は“ハッカー”によって発信されたようだ、と発表した。

中国の政治観察者には、国務院副総理王岐山と密接な関係にある《財新網》も、既に一度ならず周永康の息子周浜の商業行為を報じている、と考えられている。新指導者の中で、王岐山は反腐敗の責任を負っている。今年9月、《財新網》は、二回の報道で周浜の多くの持ち株会社について細かく紹介した。また、これらの報道と同時に、周浜の一部の家族と、その支配下にある“中旭系”のビジネスパートナーを公表した。

英国《フィナンシャル・タイムズ》は10月11日の報道の中で、周永康の前重慶指導者薄煕来に対する弁護は、その政治勢力衰退の原因の一つである、と述べた。周永康の失脚は“中国指導者間の深い分裂と内部闘争を暴露した。”、と報じた。

・イラク貿易

《財新網》の報道では、米暁東は、もとは中国海洋石油総公司の中級指導幹部だった。米暁東の父も、以前、当該公司の副理事長をしていた。彼の逮捕は、先ず中海油湛江(たんこう、広東省の南)分公司の家族寮から伝わった。情報筋によれば、米と周浜は、学部は違うが、同じ大学に通っており、米は以前、友人に対して、周とは親友で“二段ベッドの上と下”の関係だと話した、と報じた。

《財新網》の報道では、米は2005年に中海油を離れ、2006年以後、北京で周浜と共同で、商売を始めた。四年後、周・米の二人は、試しに国産の石油掘削クリスマスツリーを、イラクの国営石油会社Missan Oil Companyに売り込もうとした。しかし、当時のイラク側は、中国からの設備を決して受け入れなかったので、 米暁東の設備は、最終的に米国を通して、イラクに転売され、仲介手数料を手に入れる事ができた、と述べた。

これだけではない、米暁東と関係のある会社も、周浜と関係があった。《財新網》の調査によって、米暁東は以前、2007年の始め、株式の陝西省秋海汲清石油科学技術有限公司を設立し、並びに代表法人となった。ほどなく、この会社は北京に事務所を設立したが、住所は周浜の別の会社である中旭陽光能源と同じである事が、明らかになった。

工商登記の資料では、この事務所の建物の持ち主は周浜の岳母敏利(せんびんり)だった。は、嘗て中旭陽光の大株主であり現在は監事に任ぜられている。」(「BBC中文」『中国石油の反腐敗 混乱継続 周浜の旧友“逮捕される”(中国石油反腐风暴持续 周滨旧友“被带走”』2013年11月22日)


周浜及びその岳父一家が、中石油系統で行った腐敗行為を綴った記事は、2013年9月25日に「財新網」に始めて掲載されたが、程なく削除された。その後、11月22日、「財新網」によって再び投稿された。以下は、その内容を転載した「sina新浪財経」の記事だ。米暁東をはじめ、関係者の大部分は既に身柄を拘束されており、言うまでもなく彼等の背後には周浜・周永康が控えている。この記事は、要するに周永康事件を白日の下に曝すために書かれた記事だと言える。

周浜の家族関係は、次の通り。

父:周永康、母:王淑華(周永康の前妻、周永康によって殺されたと言われている)、継母:賈暁、妻:黄婉、岳母:敏利、岳父:黄渝生。

周浜の妻黄婉の父黄渝生は、北京中旭陽光能源科技株式有限公司の会長等の職に就いていたが、2013年、中石油の腐敗事件で注目を集める事となった。黄渝生の家族で注目すべきは、渝生の父黄汲清(1904年3月30日~1995年3月22日)、字は徳淦(とくかん)だ。彼は中国の地質学者で、1955年、中国科学院学部委員、地質部石油局総工程師に任ぜられ、新中国黎明期の中国石油天然ガス調査事業に、多大な影響を与えた。記事には、汲清・徳淦の名を冠した企業が出てくるが、恐らくは、周浜に関係のある企業であると思われる。


以下は「sina新浪財経」

『ペトロチャイナの腐敗案件進展:
周斌(浜)に替わり油田を管理していた米暁東に調査の手』

2013年11月22日18:23漢網

「今年8月末、中国石油(PetroChina)の腐敗に捜査の網が打たれて以降、既に、静かに、捜査は全ての石油系統、及び、海外の油田設備の購入方面にまで広がっている。多くの事情通は財新の記者に対して、元中国海洋石油総公司(以下、中海油)の幹部 米暁東が、“十月一日”の国慶節前後に身柄を拘束された、と証言した。

財新網が嘗て報道した、中旭系の支配者呉兵とは違い、事情通の話しでは、43歳の米暁東は、主に周浜の中海油と陸上油田の取り引きを管理する責任者であると見られていたが、周浜こそが影の支配者だった。財新網が、以前、中石油の腐敗案件に関するシリーズ報道で明らかにしたように、1972年1月生まれの周浜は、北京中旭陽光能源科学技術株式有限公司(以下、中旭陽光能源)の大株主であり前理事長だ。

財新の記者の調査によって、更に周浜及びその親族が、不名誉な手段で中石油長慶油田の二つの高生産採掘区画を取得し、並びに、転売して高額の収益を獲得した事が明らかになった。


・イラクのクリスマスツリー

米暁東逮捕の知らせは、先ず中海油湛江分公司(以下、俗称の南海西部公司)の家族寮から伝わり、10月下旬までに、財新の記者は、北京の消息筋及び米暁東が奉職していた中海油深玔分公司(以下、俗称の南海東部公司と称す)の事情通から、それぞれ確証を得た。

中海油南海西部公司は、主に東経113度10分以西の、中国南海海域の石油天然ガスの調査・開発及び生産の任務を担当しており、本社は湛江(たんこう、広東省の南)にある。経度線以東は中海油南東部公司の責任で、本社は深玔(しんせん)にある。

1970年5月生まれの米暁東は、中海石油で働く者の子供だ。その父は嘗て、新疆の中石油の油田で仕事をしていたが、中海油が成立した後に、南海西部公司に移動して副理事長となった。既に退職して久しいが、威厳があり信頼の置ける人物だった。米暁東は湛江の南海西部公司の家族寮で育った。

事情通によれば、米暁東は、西南石油大学を卒業後、中海油南海東部公司で仕事をし、有能で・英語の口語が上手く、石油生産と調査業務に通じていた。2005年前後に南海東部公司を離れる時には、米は正科級幹部で、その後、深玔の外資系石油会社に短期間勤め、2006年前後に、北京で周浜と商売を始めた。

米暁東が南海東部公司に職を得ていた頃の、ある指導者が明かした所によれば、米は以前彼に対して、自分と周浜とは、大学時代同じ寮の二段ベッドの上と下だった、と告げたと言う。周浜の学友が財新の記者に語った所では、周浜が西南大学で学んだのは科技英語専科で、米暁東は貯蔵運輸系だった。彼は、二人は大学で知り合ったと請け合った。もっとも、財新の記者が、西南石油大学の同窓会名簿を検索したところ、当該校には三名の米暁東という卒業生がおり、それぞれコンピューターアプリケーション・探査測定と貯蔵学科だった。

多くの信頼性の高い情報が、財新の記者に示しているのは、2010・2011年に、米暁東の具体的な処理のもと、周浜を仲介業者として、幾つかの国産のクリスマスツリー設備を、イラクのMissan石油傘下の油田で、実際に作業を請け負っている中国側の会社に、売り込もうとしていた事だ。クリスマスツリーは、石油井・天然ガス井の最上部に取り付けられ、主に流量を調整するための設備で、ケーシングヘッド・チュービングヘッド・採油(ガス)本体の三部分から成り、形がクリスマスツリーに似ている所からこの名がある。ミッサン石油会社(Missan Oil Company)はイラクの国営石油会社で、中石油は2008年11月・2009年6月及び2010年1月に、前後してアフダブ油田・ルメイラ油田・ハルファヤ油田の技術サービス契約(Technical Service Contract,TSC)を獲得したが、その中のハルファヤ油田はミッサン石油が所有していた。2010年5月、中海油もイラク東南部のミッサン油田群のTSCを獲得した。

イラク戦争後の復興で、この種の石油採掘のTSC技術サービス契約の形が登場した。以前の生産量の分配方法とは違って、原油の採掘コストを除いた後、バレルを単位として、業者に対して生産量を高めた分のサービス報酬を支払う。ハルファヤ油田の場合を例に取れば、中石油・トタル・マレーシヤ石油とイラク南方石油公司によって結成された入札コンソーシアムは、1バレル1.40ドルのサービス料しか得る事ができない(イラク側は採掘後の石油でこの費用を支払う)。しかし、運営公司は、中石油の現地のプロジェクト公司が契約を執行中、油田の開発・生産の工事建設・技術サービス・油田の設備等、凡そあらゆる関連の入札と購入を主導する事ができ、これらの建設施工・技術サービスと設備購入の費用は、すべて中石油側が先ず立て替えた後、再び事業主によって石油で返済される(業界では“リサイクル油”と言われている)。

事情通の話しでは、イラクは経験上、原産国中国の坑口設備(高圧部分)は受け付けないので、米暁東が操作するこのクリスマスツリーの設備は、中国から米国を迂回して、始めてイラクに入っている。“イラク側の監査を回避するために、部分的に、甚だしい場合にはボーリングの請負業者に依頼して、代わりに購入してもらうんだ。”しかし、イラク側の監視の下で、この設備は実際に現場で使用される事はなく、ひっそりと消えるしかなかった、と述べた。

財新記者によれば、この国産クリスマスツリーに対するメーカーの見解は、組み合わせた装置がそれぞれ違っているために、クリスマスツリーの見積もりは2万~10万米ドルとばらばら、と言う事だった。

“米暁東及び周浜の会社は、クリスマスツリー機器メーカーの株主ではなく、彼等は単に各メーカーから設備を購入し、関係を利用して販売を手伝い仲介料を稼いでいただけなんだ。”ある石油業界に詳しい人物が述べた。


・秋海汲清の株主達

2007年1月、米暁東は中石油長慶油田本社のある西安で、陝西秋海汲清石油科技有限公司(以下、秋海汲清)を資本を投じて設立し、法人代表となった。工商登記資料によれば、当該公司は主に石油技術と開発・転売及びコンサルティング、石油機材の開発・製造及び販売、機械製品・計測機器・コンピューターソフトウェアとハードウェアの販売と石油機械の工事を行っている。資本金は500万元、そのうち米暁東が50万を出資し10%の株を所有し、北京の人陳剛が450万を出資し、90%の株を所有している。 

秋海汲清は、2007年9月に北京に事務所を設立し、二年も経たずに登記を取り消した。事務所は、北京朝陽区の望京新城に位置する方恒国際弁公楼にあり、周浜の中旭陽光能源と同じ所在地にある。工商登記資料には、秋海汲清の北京事務所の物件の持ち主は敏利(せんびんり)、と示されている。まさに財新網に掲載された《ラグナビーチの黄家(拉古娜海滩的黄家)》の中で公表されたように、敏利は周浜の岳母(妻の母)であり、以前は中旭陽光能源の大株主であり、現在は監事である。2007年、当該住所の不動産は、米暁東によって委託された代理人が、敏利に替わって購入し、115.5万元の代金は一括で支払われた。

秋海汲清公司が成立して9ヶ月後に、一度、資本金の増資があり、米暁東と陳剛がそれぞれ100万元と900万元を増資した。2009年5月、陳剛が抜けるにあたり、その持ち株分を長春の人 張効達と北京海澱(かいでん)区に戸籍のある王源源に譲り渡し、二人がそれぞれ100万と800万元の株を所有し、同時に株主総会は、会社の住所を、西安の中登徳勝洋楼公司の所有する200平米の建物に変更した。王源源は、工商の登記資料に書き込まれた身分証の番号から、彼女は1981年9月生まれであり、米暁東よりも11歳若い事は明らかであるが、しかし、その身分証は公安系統の資料からは探し出す事は出来なかった。

2010年4月、米暁東も秋海汲清の株主の名簿からはずれて、100万元の持ち株は王源源に譲り渡され、企業法人も高忠輝に変更された。2012年6月26日、王源源の900万元の持ち株は王楽天に譲り渡され、秋海汲清の株主も王楽天と張効達に変わった。

記者が工商部門で調べた企業の登記変更の監査表には、2009年から2012年までに起きた、何度かの持ち株の変更は、ひとしく登記資本金の原価に基づき、通貨で譲り渡されている事が示されている。しかし、秋海汲清の2009年~2011年度の年次検査情報では、この三年間の会社の利潤はそれぞれ35.44万元・8315.12万元と1.45億元に上っており、年末の資産総額は、それぞれ1012.32万元・9319.10万元と2.39億元であり、負債は毎年数十万元程度だった。高額の利潤とは対照的に、2009~2011年度の秋海汲清の営業収入は少なく、それぞれたったの83.21万元・148.91万元と478.38万元だった。もし、年次検査報告書の記入が真実ならば、この会社は実際の業務の無い“お財布”会社と言える。

財新の記者が11月8日、秋海汲清の西安弁公室に連絡を取った所、相手は、当社は主に受付業務に従事する会社で、石油開発は行ってはいません、社長の王楽天と張効達は滅多にここへは来ません、と述べた。

財新の記者が入手した盛京銀行の最高額のプレッジ契約(Pledge Contract)には、2012年5月22日に、王源源と張効達が、各自の900万元と100万元の秋海汲清の持ち株を形として、盛京銀行長春分行に誓約書を差し出し、王源源がこの年の6月に持ち株を王楽天に譲り渡した後も、王楽天は引き続き株を誓約とした事が示されている。2013年1月28日、陝西省工商局に登記されている持ち株を担保とした誓約書契約に関する文件には、王楽天と張効達が秋海汲清の持ち株(合計評価額1000万元)を誓約として、担保するところの主たる債権は、盛京銀行長春分行が2012年5月22日に発行した最高額5億元以下の三年間の包括的な信用(ローン・手形割引・信用状・保証状・銀行引き受け手形等を含む)で、債務者は吉林華海能源グループ有限公司(以下、華海能源)、と示されている。

盛京銀行とはもとの瀋陽市商業銀行で、その年次報告書には、華海能源グループは盛京銀行の第六位に並ぶ大株主で、全体の5.41%、2億株を所有している、と示されている。

秋海汲清の目下の大株主王楽天は、また華海能源の創始者でもある。1954年1月に生まれ、1980年代に北京の中央国家機関に職を得、その後、北京を離れ民間で商売を始め、東北地区のエネルギー(中国語の「能」はエネルギー、「能源」はエネルギー源)の投機家・隠れ富豪、“中国の個人油田の第一人者”とうたわれている。王楽天は1995年に、吉林華海能源開発有限公司と言う名の、エネルギー源の会社を設立し、1999年、登録資本金3億元の、吉林華海能源集団有限公司を創立した。華海能源の下には8社の完全、或いは、持ち株会社があり、吉林石油天然ガス開発有限責任公司(以下、吉林石油)・中亜石油有限公司(以下、中亜石油)・吉林省華海石油化工技術有限公司・吉林天卓石油開発有限公司が含まれている。この他、更に陝西と海外に大規模な計画があり、並びに、北京中恒盛証券報業発展有限公司、及び、北京国信大教育発展有限公司の株に投資している。

吉林石油は、1996年に中石油吉林油田と華海能源が、50:50で成立させた合資会社で、その油田の採掘区画には、吉林省乾南油田・民北油田及び英台油田が含まれている。開発面積は80余平方キロメートル、石油の地質学的埋蔵量は2.3億バレルだ。

中石油は1997年6月に成立し、香港と北京で均しく登記し、もとは中匯(ちゅうかい)石油有限公司と称した。財政部・国家税務局の1999年の《1999年中国石油天然ガス集団公司の海洋と陸上の特定地区を調査・開発する石油(天然ガス)プロジェクトの認定に関する通知》(财税字(1999)63号)文件によれば、1997年12月、中匯石油と中石油とは、松遼盆地の吉林民47・吉林民114・吉林乾130の三区画での石油開発と生産の契約を結んだ。三区画の合計開発面積は188.6平方キロメートルに達し、契約期間は均しく30年とする、と書かれている。

2001年、中亜石油は他にも中石油の主な油田の大慶油田に参入し、吉林油田よりも更に大きな開発権を獲得した。この年の12月7日、中亜石油は中国石油天然ガスグループ公司と《大慶肇州(ちょうしゅう、黒竜江省大慶市にある県)油田の州十三(三から六区画)区画の石油開発と生産の契約》を結び、12月28日には、カナダの泛華能源有限公司が1996年8月に中石油と結んだ《大慶肇州油田の州十三(一から二区画)の開発と石油生産の契約》の契約権益を買い上げ、大慶肇州の州十三油田の完全な開発権と生産権を手に入れた。その開発面積は108平方キロメートル、石油の地質学的埋蔵量は3.11億バレル。この他、中亜石油は2005年に大慶肇413油田(面積60平方キロメートル、石油の地質学的埋蔵量は1.79億バレル)の開発権を獲得し、現在も所有している。目下、中亜石油の取締役は王楽天・王楽濤で、主な株主は英領バージン諸島で登記しているSino Time Development Limitedだ。

ある情報によれば、王楽天は中亜石油に打ち込むために、大慶油田の区画(対外的には中亜油田)を転戦し、既に十年前に吉林油田の区画(対外的には華海油田)を億陽集団に売却した。買い上げの時、華海油田は職員2100人、油井・注水井300以上を擁し、商品としての原油の年間生産量は50万トンの企業に成長しており、しかも、当時は吉林全省の油田の年間生産量は750万トンに過ぎないにもかかわらずだ、と。

しかし、億陽集団有限公司会長偉は財新の記者に対して、油田を引き受けたという話しを否定した。“私は王楽天とは8年前に面識を得た程度だ。”彼は、“ しかし、我々は王楽天の吉林の華海油田を買ってはいない。”と述べた。

中亜油田の生産量に関して、自ら中亜職員と称するネチズンが提供した数字によれば、2010年までに、中亜石油の油井・注水井は合計550、年間生産量は100万トン級を越える、と。しかし、ある媒体の2006年の報道は、開発面積が僅か108平方キロメートルの大慶肇州の州十三油田は、当時の原油の生産能力は40万トンだ、と称している。

王楽天の、華海能源旗下の各石油公司と中石油とで取り交わされた契約書を手に入れていないので、契約の詳細を知る方法はない。しかし、この前ある媒体は、中匯石油と吉林油田の協力方式について、前者は採掘への投資、後者は布井と設計・開発に責任を負う計画で、産出する石油は、中石油により市場価格にしたがって統一して購入され、収入の分配は吉林油田が2割、中匯石油が8割を取り、投資費用の回収後、中石油方面と民営企業が四分六、或いは、五分五分で分ける、と称している。

王楽天は、更に百貨店を経営している。1997年、彼は香港卓展百貨集団を立ち上げ、1999年、長春卓展タイムズスクエア開業、現在に至るまで長春市の最高級・最先端の百貨店で、この後、相次いで瀋陽・ハルピンで開業した。2010年年末、王楽天の香港卓展は、建築面積28万平方メートルの、北京五棵松商圏に位置する大型プロジェクト華煕楽茂ショッピングセンターをも買い上げた。もっとも、東北のビジネス界は卓展を“王楽天の最小の企業”と称している。2011年、卓展は香港での上場を目指してプライベートエクイティとして3億~4億米ドルを集めたが、未だ果たしてはいない。2008年、王楽天は石油部門への単独上場を目指したが、未だ実現していない。

中亜石油の北京事務所は、東四十条の南新倉商務大厦(大厦(だいか)ビルディングの意)A座17階にあるが、同様に王楽天が法人代表となっている北京中匯(ちゅうかい)投資管理有限公司(資本金3000万元)の登記上の住所も同じ場所であり、やはり法人代表となっている別の投資会社“北京天天興業投資有限公司”(資本金4億元)の登記上の住所も、隣の部屋になっている。

中亜の事務所は広く、部屋の前後には、中亜石油有限公司と香港卓展集団の字句が書かれている。この幾つかの王楽天の公司と同じ階に、大慶油田工程有限公司北京公司がある。


・転売で巨額の富を得た陝北油田

しかし、これは王楽天の石油版図の全てではない、一社、登記簿資本1000万元の秋海汲清公司の転売は、米暁東・周浜と王楽天の“商業協力”の全てではない。

財新の記者は、秋海汲清の西安未央区(びおうく)にある事務所の住所をもとに、更に登記簿上、同じ住所の石油公司ーー陝西徳淦(とくかん)石油科技有限公司(以下、徳淦石油)を見つけ出した。王源源が法人代表を務める吉林天卓石油開発有限公司(以下、吉林天卓)は、徳淦石油の唯一の株主で、張効達が徳淦石油の法人代表・業務執行取締役兼会長だ。王源源と張効達は、2009~2010年に、米暁東の掌中から秋海汲清を譲り受けた者達だ。2007年10月に成立した吉林天卓の二つの機関投資家は、共に王楽天の掌中の企業であるーー北京天天興業投資有限公司と吉林華海能源集団有限公司だ。

徳淦石油が、ネット上に公開している多くの求人広告には、徳淦石油の下部組織の二つの計画が示されている。それは、長慶油田との協力開発の長海プロジェクトと長印プロジェクトだ。2010年年末に公表された求人広告には、長海プロジェクト部門の総投資額は2.76億元・長印プロジェクト部門の総投資額は2.90億元で、2010年7月までに、会社の従業員は200名以上で、一日の原油生産量は300トン以上。その中で長海プロジェクト部門の職員が180名以上、一日の原油生産量は150トン以上。長印プロジェクト部門の職員が30名以上で、一日の原油生産量が180トン以上、と書かれている。2010年7月の国際的な原油の平均価格が75米ドル/バレルなので、それに基づいて計算すると、この二つの区画で、一日の生産額は111.35万人民元に達し、年間の総売上は4億元を超えている。

しかも、2013年11月1日の最近公表された求人広告になると、徳淦石油の職員は増員されて800余人になっており、年間総売上は13億元を超えている。

2011年の徳淦石油の年次検査報告書は、会社の年間の営業収入は僅か331.7万元なのにもかかわらず、年間の利潤総額は1.09億元で、年末の資産総額は12.37億元、と明かしている。

求人広告には、地質調査・油田の採掘工事と生産管理の作業地点は、陝北楡林市定辺県・延安市呉起県と寧夏回族自治区の塩池県に分布している、と書かれている。呉起の現地の中石油職員は財新の記者に対して、長印プロジェクト中の印子台「対外協力区画」は、長慶油田第三石油生産プラントに属しており、長海プロジェクトの区画は塩池県にあり、長慶油田第五石油生産プラントに属している、と紹介した。

同様に、吉林華海能源集団公司の2012年キャンパスの入学案内から見ると、その採油工事・石油地質、及び企業管理系のその年の卒業生の就職先は、北京・長春(吉林)・大慶(黒竜江)・松原(吉林)及び西安(陝西)と書かれている。松原は中石油吉林油田本社の所在地、西安は中石油第二大油田長慶油田本社の所在地だ。徳淦石油と秋海雄清公司の事務所のある中登大厦と、長慶油田本部の長慶大厦は、それぞれ西安市北郊大通りである未央路を挟んで両側に建っている。

8月26日、もと中石油集団副支配人兼大慶油田総支配人 王永春が、深刻な紀律違反を犯した疑いで調査を受けた。

王永春は1983年~2004年まで、一貫して吉林油田で働き、また、中石油吉林油田支店の総支配人・党委書記を務めた。

8月27日、もと中国石油天然ガス株式有限公司副総裁 兼 長慶油田分公司総支配人 冉新権(ぜんしんけん)、中国石油天然ガス株式有限公司 総地質師王道富、及び、中国石油天然ガス集団公司副支配人 李華林等三人が、同じく深刻な紀律違反を犯した疑いにより紀律委部門の調査を受けた。この中で、王道富は1982年~2008年まで、一貫して長慶油田で仕事をしており、2003年1月~2008年2月まで、長慶油田支店の総支配人をしていたが、これは冉新権の前任に当たる。

王楽天旗下の華海能源・中亜石油・徳淦石油が中石油(Petro China)旗下の吉林油田・大慶油田と長慶油田で開発された事には怒りを覚える。

もし、1997年~2001年を例に挙げるなら、吉林油田と大慶油田の対外請け負いの“低品位”区画は、国際原油価格の低迷(25米ドル前後/バレル)の背景の下、大量生産が行われている、しかし、2006年以降は、国際原油価格は猛然と上昇し、2007年の初めには60米ドル/バレルだった物が、年末には既に100ドル/バレルに届く勢いで、採掘のコストを遥かに超えている。王楽天は、更に長慶油田の区画を手に入れているので、確かに鬼に金棒だったはずだ。

しかし、仕掛けは実はこの上なく簡単だ。この、中石油長慶油田の二つの優良区画の採掘権を擁する徳淦石油は、同様に、王楽天が周浜等の掌中から買い取った企業だ。

財新の記者が調査した工商登記資料には、2007年12月、北京海天永豊石油販売有限公司(以下、海天永豊)が500万元出資して、全額出資で徳淦石油を立ち上げており、主な営業範囲は秋海汲清と同じである事が、明示されている。海天永豊の株主は、正に周浜の岳母の敏利と徐祥玲で、二人はそれぞれ350万元と150万元を出資している。2005年に商務部が一部の企業に承認した石油製品卸売り経営資格について、取得した企業の中には海天永豊も含まれている。

しかし、成立から半年も経たないうちに、海天永豊は、2008年5月、徳淦石油を王楽天の吉林天卓に譲り渡し、2009年2月、海天永豊も北京の登録を取り消した。

徳淦石油と中石油が契約した《区画の開発と石油生産の契約》の詳細な内容を知る方法がないので、周浜及びその親族が獲得した長海と長印のプロジェクトの開発権の価格・開発の年限・成分比例等の具体的な細かな内容は知る術はなく、今のところ王楽天が引き継ぎに支払った対価を、確実に知る事もできない。しかし、北京のある王楽天と職務上の接触をもった業界人士が、財新の記者に明かした所によれば、2008年前後、王楽天が彼に、長慶の陝北プロジェクトに参入したのは、李華林の手づるで米暁東・周浜と知り合い、“周浜等は転売で5億を稼いだんだ”と語った。彼はまた、王楽天は1990年代に、当時はまだ吉林油田にいた王永春と昵懇になったと明かした。

“彼等は一つだ。”、とこの人物は言う。

他にも石油業界に詳しい人物が、以前、財新の記者に対して、中石油の指導者を調査するための重要な手がかりは、長慶油田の対外協力開発の問題で、“蒋潔敏が2006年11月に、グループの総支配人となって後、長慶油田の二つの‘大きな隔たりのある’区画の‘交換’をして、関係者に与えて対外協力をした。当時、関係の副支配人も署名したが、しかし、署名は蒋支配人の指示に従って行ったのだ”、と指摘した。」(来源:财新網)(「sina新浪財経」『ペトロチャイナの腐敗案件進展:周斌(浜)に替わり油田を管理していた米暁東に調査の手(中石油窝案发酵:替周斌打理油田的米晓东被查)』2013年11月22日18:23)

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