つぶやき、遊び・仕事・日常

一日の出来事のあれこれを雑多に記録していきます

鉄は100年、木は1000年

2022-03-26 06:57:49 | 日記
表題の言葉を聞いた。
普通は鉄製品は長くもち、木材はすぐに朽ち果てるイメージだ。
だが、正しく使用された木材は、鉄よりもはるかに長い時代生き続けるそうだ。
たしかに、世界最古の木造建築と言われる法隆寺は7世紀初頭の西暦607年の建立だと言われる。
そんな木材にはこんな秘密があるらしい。

◆釘(鉄)を使用すると寿命は短いらしい
 長く残っている木造建築物は釘(鉄)を使用していないそうだ。
 釘は100年ほどで空気中の酸素と化合(錆びる)して劣化してしまうからだ。
 では、木材はどうかというと、こういうことらしい。

 木材は伐採したてよりも、伐採してから200年、300年たった後のほうが強度が高くなるそうだ。
 なぜか、それは木材に含まれるセルロースという物質の性質によるという。
 セルロースは、樹木細胞の70%を占める有機化合物で、
 分子が複雑にからみ合い、糸のようにつながりながら束になっているそうだ。
 生きている木は、水分を多く含んでいるため、セルロース同士の結びつきにゆるさが残っている。
 だがその水分が長い年月の間に少しずつ抜けていくと、セルロース同士の結びつきが強まるのだ。
 そういった状態になるには、200~300年の時間が必要らしい。

 ふうん なんですが、社会生活の中でもそんなことを感じる場面もあります。
 吹けば飛ぶような弱いと思われる存在が、意外としぶといということは良く目にしますね。

門を叩く

2022-03-25 06:51:56 | 日記
落語の師匠がこんなことを教えてくれた。
人生はすべて「門を叩く」ことから始まるのだそうだ。
そこで諦めては何も始まらないのだ。

◆叩かない門は開かない
 落語家というものは、落語の師匠に弟子入りすることから始まる。
 だが、その師匠はちょっとやそっとでは弟子にしない。
 何度も断る、大学生はものにならない、両親の同意はあるのか、決心が不足している等々だ。
 そこで入門希望者は、しつっこいくらいに通い続ける、師匠が根負けするくらいに通って、やっと入門が認められる。
 その後も、板の間で座布団なしに正座をしたり、廊下の雑巾がけをしたり、師匠の身の回りの世話などの雑用をこなすのだ。
 
 門を叩くのを諦めたら、落語家にはなれないし、それは人生でも同様のこと。
 求めない者には、何も与えられることはなく、門を叩かない者は開けてもらえないということなのだ。
 人生にはいろいろな扉があると思われるが、「扉を開く」ことは、「門を叩く」ことから始まるのだ。
 だからこそ、誰かに背中を押してもらうのを待つのではなく、
 締まっている扉をこじ開けるくらいの積極的な気持ちを持つことが大切なのだろう。

 →そうか、門を叩くかぁ、分り易い言葉だ。
  何かを為すためには、何かを越えなければならないということなのだろうな、
  手放しでは僥倖は得られるはずもないという訳だな。

ダイヤモンド

2022-03-24 06:55:34 | 日記
おいらは、小売業の従事者だ。
なので、かって社内のキャンペーンでダイヤモンドを中心とする宝石類を販売したことがある。
その時に、簡易な講習でダイヤモンドの4Cなるものを学んだ記憶がある。
たしか、クラリティー(透明度)・カット(研磨)・カラット(重量:大きさ)・カラー(色味)だったと思う。
だがそんなダイヤモンドも、人に例えればこういうことらしい。

◆ダイヤモンドも磨かねばただの石である
 どれほど優れた才能も、磨かなければその真価を発揮することはない。
 人間というダイヤモンドを輝かせるのは、本人の「夢」と「努力」次第のようだ。

 知らなかったのだが、キラキラと輝くあのダイヤモンドの原石というものは、単なる白く濁った小石にすぎないそうだ。
 そんな小石が、熟練した職人によるカッティングと研磨により、光り輝く宝石となるのだ。
 
 同様に、人間もどれほど素晴らしい才能や資質を秘めていたとしても、目標を立て、長期間にわたる厳しい努力をしなければ、
 花開くことはないという。
 この計画(夢)と努力は、人生での成功を実現するための両輪であり、どちらも決して欠かせない物らしい。

 計画とは自分自身との約束だ。
 それには元首相田中角栄のこんな言葉を引こう。
 「約束したら必ず果たせ。できない約束はするな。」
 これは、他人との約束に関しての発言なのだが、自分自身との約束についても全く同様だと感じる。
 

王冠か麦わら帽子か

2022-03-23 06:32:06 | 日記
良く知られたことなのだが、日本では今、世界でも類を見ないスピードで高齢化が進んでいる。
それに伴って「高齢者のうつ」が、社会問題化しているそうだ。
役職定年やら、定年等で「何をすればいいのかわからない、不安だ」と精神を病むのだという。
精神科医&人生案内メンタリストの野村総一郎氏の話が参考になった。

◆ボロボロの王冠をかぶり続けるより、いさぎよく麦わら帽子をかぶろう
 「いつまでも器を一杯にしようとしておくのは、やめたほうがいい。
  自分がやるべきことをやり終えたなら、さっさと引退したほうがいい。
  そのほうがかっこいいし、それが自然の道でもある。」

 この先の人生を、どんなふうに生きていけばいいのかわからないというのは、
 自分が活躍して賞賛され続けたいと思っているからです。
 充足し、満足し、賞賛され、評価される、つまりキラキラした王冠をかぶり続けたいのです。
 だが、自分の役割を理解し、何かの仕事を終えたならば、次の人に委ねていくべきなのです。
 ボロボロになった王冠にしがみついていてはいけません。

 いさぎよく麦わら帽子をかぶるべきなのです。
 空っぽの新しい自分になっていくというのは、素晴らしい生き方です。
 麦わら帽子には、太陽と青空が似合います。
 次の一歩を、そんな帽子とともに踏み出せば、ちょっとわくわくするはずです。
 新しい何かで、空っぽの器をまたどんどん埋めていけば面白いものです。

 →きっとそうなんでしょうね、世の中というものはそうやって綿々と続いてきたのでしょうね。
 

ウクライナを見て

2022-03-22 06:44:24 | 日記
ウクライナにロシアが侵攻して戦争が始まった。
詳しくは知らないが、たぶんそこには何らかの理由があるのだろう。
だがそれでも、突然隣国が空爆と戦車で攻め込んでくるとは驚く。
日本はどうなんだ?と思っていたら、東洋経済誌にこんな記事があった。
ハーバード大学ケネス・ロゴフ教授のものだ。
国際金融の世界では著名な方だそうだ。

◆日本はどうすべきなのか
 今回のウクライナに対するロシアの侵攻によって、
 筋金入りの平和主義者も世界の過酷で予測不可能な現実に気づかされたはずだ。
 平和を願わない者などいない。
 だが外敵から身を守る財政的な余力(軍備増強余力)を残しておくという冷徹な視点なくしては、
 持続可能で公平な発展の道を思い描くことさえできないのだ。

 その点で、現実的な戦略もなく脱炭素や格差無き未来を訴えてきた政治家・経営者・エコノミストは、
 今回のロシアの侵攻を自らへの警告と受け取るべきだ。
 現下の危機への短期的な対応がどのようなものになろうとも、世界の長期的な財政戦略は、
 エネルギー安全保障軍事的な抑止力を、環境の持続可能性社会保障と同列に位置付けるものでなくてはならない。

 たしかに平和は大事なことだが、「平和の配当」をむさぼるだけではいけないのかもしれませんね。