つぶやき、遊び・仕事・日常

一日の出来事のあれこれを雑多に記録していきます

やりがいを探すな

2019-12-31 09:03:44 | 日記
この混とんとした世の中で、人生に迷っている紳士淑女も居ると思われます。
私は、何をやりたいのかまだわかりません。
僕は、今自分探し中です。
それはそれで、正しいと思います。
だが、こんな視点もあるようです。

◆迷った時ほど遠くを見よ
 これは、ソフトバンクグループの孫正義氏の言葉です。
 そして、続く言葉は、
 近くを見れば見るほど船酔いする。
 あらが見えてくる。
 遠くまで見てみると、実はそんなものは誤差だとわかる。
 氏は、人生50か年計画に向かって走り続けているのだそうだ。
 忙しい中で、後進にアドバイスをしてくれているのだ。

 それでもまだ五里霧中の方には、この言葉はどうでしょう。
 画家のフィンセント・フォン・ゴッホだ。
 美しい景色を探すな。
 景色の中に美しいものを見つけるんだ。

 両者は、一見正正反対のことを述べているかのように感じます。
 しかし、実はそうではなく、孫さんは現実の中で前進しろとアドバイスしてくれているし、
 ゴッホは、今あるものの中で、価値あるものを尊べと教えてくれています。
 捉えようによっては、同じことを言っているようです。
 つまりは、考えることでその場にとどまり続けても新たな道は開けそうにもないようです。
 考えつつも、前進することこそが、現状の打破に繋がるという事なんでしょうね。
 まあ、平たく言えば、考えすぎて思考停止になるな、ということなんでしょうね。
 やりがいも含めて、探し物は足を止めてはいけないようです。

負ける経験

2019-12-30 07:58:49 | 日記
世の中では、大きな集団内で下位に甘んじているよりは、小さな集団でもリーダーになる方が良い、
つまり、「鶏口と為るも、牛後と為るなかれ」が正しいという風潮です。
そんな風潮に反する考えを、あの有名な開成中学・高校の校長さんが東洋経済で語ってくれた。

◆負けた自分とどう向き合うかが自己肯定感を育む
 大学受験に失敗してそのまま引きこもってしまった。
 就活に失敗して、同じく引きこもってしまった。
 司法試験をあきらめて、働く意欲がないまま数年が経過した。
 そんな場面を見聞きするたびに、「負ける経験を早く」と感じます。
 学業でもスポーツでも、とにかく上へ上へとチャレンジし、集団の中で負ける経験をしてほしいのです。

 トップ成績者として、あるいはレギュラー選手として成功体験を積むのも悪いことではありません。
 しかし、成功体験とはそういった単純なものではなく、「負けたり失敗した状態から立ち直ること」、
 つまり、何かを克服した経験こそが、本物の成功体験であり、自己肯定感はそのような経験から育まれるものなのです。

 自分に向き合うのは、負けた時や失敗した時のはずです。
 どうやったら、次に勝てるだろう。
 同じ失敗をしないためには、どうしたらいいのだろう。
 そのような試行錯誤の中で、人は成長していくものです。
 そして、ちょっとやそっとの失敗では折れない心を作り上げていくのです。

 親が安全策ばかり立てていると、子供は失敗しないまま人生を歩み、
 初めて失敗したときに立ち直れないほどのダメージを受けるかもしれません。
 スタートは牛後でいいのです。
 そこから奮起することで、長い人生の生きる力を育むこととなるのです。
 
 ということだそうです。なんだか少し安心しました。
 おいらの負け続けたり、失敗続きの人生は、今後の役に立ちそうですから。

成果のみで判断するな

2019-12-29 07:44:02 | 日記
渋沢栄一の「論語と算盤」にこんなくだりあある。
「末期における教訓が尊いというよりは、むしろ生前の行為こそ真に崇敬すべき。」
人が死ぬときに残した教えが大事なのではない。
生きている間に何をしたかが、本当に大切なのだ。と言いたいのでしょう。
つまり人生の過程そのものが大事という事なのだ。

◆人は結末より過程が大切だ
 ビジネスにおいては、途中でどんなに善戦しても、結果を出さなければそれはあまり意味をなさない。
 しかし、人間の評価は別物なのでしょう。
 世間一般では、その人が成し遂げた結果だけを見て評価する向きはたしかにあります。
 しかし、その結末に至る過程がどうだったかにも、目を向けるべきなのでしょうね。
 人の生きざまは、長い時間をかけて築かれたものです。
 その人生過程をも評価したり知ったりすることが必要なのでしょうね。

 唐突ですが、トム・クルーズ主演の映画「ラストサムライ」の最後のシーン。
 
 「教えてくれたまえ、彼はどのように死んだのだ」。
 「いいえ、彼がどのように生きたかをお話ししましょう」。
 
 ですので、ただ馬齢を重ねてきただけだ、と卑屈になることはなく、自らの人生を誇りに思っても良いようです。

 
 

二度目の手

2019-12-28 08:22:11 | 日記
おいらは普段あまりテレビを見ない。
なので、もしかすると世情には疎いのかもしれない。
そんなおいらも今日は(昨夜のことです)、自宅で焼酎(黒霧島です)のお湯割りを飲みながら、なにげにテレビを見ていた。
そこでは海外ドラマを演っていたのだが、そこにこんなフレーズが・・・

◆二度目の手を差し出しなさい
 ある程度の年配、あるいはある程度の経済状況になると、人助けに思いが向かうものです。
 しかし、人助けと言っても、これはこれで難しいものがあります。
 手助けしようと手を差し伸べても、相手がつかみ損ねたり、あろうことかその手を傷つけたりします。
 しかし、それを踏まえたうえで、二度目の手を差し伸べるべきなんだそうです。

 差し伸べられた手を掴む側の人々(弱者)の中にも、強者と弱者がいるのだそうです。
 つまり弱者の中にも競争はあって、つかみ損ねる人がいるのです。
 そんな人たちを助けるために、二度目の支援が必要なのです。
 
 そしてなかには、差し伸べられる支援の手を反感で傷つける行動に移る人も居ます。
 しかしあなたは、たとえ伸ばした手が傷つけられても、再度手を差し伸べるるべきなのです。
 それは、支援を受ける人だけでなく、あなた自身の当初からの目的であるはずですから。

 では、三度目の手は必要なのでしょうか。
 これは難しい問いです。
 しかし、あなたがジャンヌダルクでもナイチンゲールでもなければ、その必要はないと思われます。
 いかに弱者であっても、永久に救われるということはないようです。
 残念ながら、やはりどこまでも自己責任はついて回るようです。
 ということで、世の中は厳しいものですが、我々のできる範囲で手を差し伸べたいものですよね。
 

米国青年も悩んでいる

2019-12-27 08:39:28 | 日記
多くの人にほぼ平等にチャンスのある国、アメリカは一方で競争の国でもあるらしい。
勝者は正当に称賛を浴び、敗者にはほぼ何も与えられない。
なので、志を持つ青年は日本以上に自己啓発意識を持つらしい。
そんなアメリカでは、牧師であり著作家のジョン・トッドの「自分を鍛える」が読まれているらしい。
駆け足で、拾い読みしてみた。

◆自分を鍛える
 ・過去の偉人たちは膨大な量の知識という遺産(宝物)を残してくれている。
  しかし、宝物は金塊同様に自らの手で掘り出さねば手に入れることはできないのだ。

 ・一生懸命に学ぶ目的とは、自分の頭脳がすぐれていると発見するためではない。
  自分の頭脳を活発に、役立つようにするためである。
  我々の頭脳は大理石の石柱みたいなもので、美しい彫像を掘り出すには「のみ」が入れられなければならない。

 ・誰しも天才と認めるアイザック・ニュートンは、自分と他人との違いをこう言う。
  私と他の人との、大きなそして唯一の違いは、私にはより強い忍耐力があるだけのことだと。
  ひたすら努力することをせずして、決して人より抜きんでることはできないものだ。

 ・我々がモノを手に入れるためには、必ず努力をしなければならない。
  自分が所有したり、他人に提供したりする価値あるものには、すべて努力という対価が必要だ。
  この事実には、一切の例外はない。

 ・使えば使うほど回転が良くなる。それが頭脳というものだ。
  世の中に影響を及ぼす偉大なる道具、それは頭脳である。
  頭脳ほど、訓練し使用することによって進歩する道具はほかにない。

 もちろん、立派な文章の数々が並んでいるのですがねぇ・・
 ま、国が違えど大差はないということなんでしょうか。
 日本の青年?も同様に悩んでおります。