つぶやき、遊び・仕事・日常

一日の出来事のあれこれを雑多に記録していきます

桶狭間の戦い異論

2022-03-30 06:44:42 | 日記
おいらたちが住むこの愛知県の生んだ三英傑は、織田信長・豊臣秀吉・徳川家康だ。
その中での織田信長だが、一般的に知られることとはずいぶん違う説を聞いた。
あべ・りゅうたろうさんで、多くの研究と著作のある方だ。

◆奇襲ではなかったそうだ
 ごく一般的に知られている史実では、尾張の小豪族である信長が、奇襲により10倍の兵力を持つ今川義元に勝利したということだ。
 それは豪雨の中、桶狭間の谷間の道を長蛇の列で行軍している今川勢を、迂回して本陣を急襲したというものだ。
 おいらもそれを信じていたのだが、この説が広く伝播し、旧日本陸軍士官学校の教材にもなったそうだ。
 その結果、陸軍のインパール作戦にも応用されたという。

 だが、これに異論を述べたのが、あべ・りゅうたろうさんだ。
 桶狭間の合戦は1560年だが、実はその6年前の1554年に信長は今川勢の村木砦を鉄砲を用いて攻め落としているそうだ。
 その成功体験をもとに、鉄砲を500ほども手に入れていたらしい。
 信長の非凡なところは、鉄砲と長槍部隊(3間半:約6・2m)との組み合わせだ。
 鉄砲の最大の弱点は、弾込めに時間を要することなのだが、長槍部隊はその間を敵の騎馬や歩兵を防いでくれるのだ。
 こうすることで、鉄砲隊は次々と敵を倒すことが可能となるのだ。

 さらに驚くことには、この戦法はポルトガル人から教えられたものらしい。
 既存の概念にとらわれることなく、新しい知見を取り入れることはこんなにも有益なことなのです。

 ふうん 運任せ、偶然任せではなく、確固たる信念のもとに戦術を立てて実行したという事なんですね、見習いたいものです。