つぶやき、遊び・仕事・日常

一日の出来事のあれこれを雑多に記録していきます

愉快に生きる

2021-09-30 06:13:38 | 日記
心穏やかに生活するためには、嫌なことを考えない。
さらには、嫌なことは頭の中から追い出せば良いのだそうだ。
一休和尚の句から、こんな考え方・生き方を教えられた。

◆大水の 先に流るる 橡殻(とちがら)も 実を捨ててこそ 浮かぶ瀬もあれ
 句の意味するところは、微妙に違うのかもしれない。
 しかし筆者は、こう訳してくれた。
 台風のあと、大水が出た。
 川があふれるように、グルグルめぐりながら走るように流れ行く。
 橡の実の殻が、波にもまれ、激しい流れに踊っているかのようにうれしそうに楽しそうに浮かんでいる。
 いつまでたっても沈まない。
 殻は、中の実をすっかり捨てている。
 だから、大水の先端で、とことん好きなようにうれしく楽しく活動している。

 自分の頭の中に、嫌だとか嫌いだとかという考えを詰め込んでいないか。
 思い切って、頭の中にぎゅうぎゅう詰めになっているそんな考えをスパッと捨て去ってみてはどうか。
 嫌いを捨てれば、それは好きになるかもしれない。
 少なくとも、穏やかな気持ちで生活はできることだろう。

 ふうん、そういう解釈もあるんだぁ。
 おいらは、煩悩のようなものを捨て去ると軽くなるというような意味だと思っていた。
 名古屋の生んだ哲学者清沢満之(きよざわまんし)はこう言う。
 「他人を咎めんとする心を咎めよ」。
 

トイレで死闘

2021-09-29 06:45:07 | 日記
「トイレで死闘」という見出しにつられて手に取ってみた書籍だ。
内閣府男女共同参画会議委員等、数多くの公職を歴任している樋口恵子女史の著書だった。
そんなことはどうでもいいが、東京大学文学部卒業だという、そこには敬意を表したい。
早速、その顛末を聞いてみよう。

◆「老いるショック」という教訓
 1970年代だったか、オイルショックというものがあって、
 世の中と言うものは、永久に安定しているものではないということを思い知らされた。
 それと同様に著者は、こんな経験をしたという。
 それは我々健常者や、老人予備軍が留意しておくべき事柄のように感じたのでここに記(しる)しておきたい。

 著書は御年88歳のようですが、それは70歳代半ばの頃の話です。
 講演活動に全国を飛び回っている著者が、新幹線京都駅のトイレに入った時です。
 入ったトイレは和式でしたが、用を足して、水を流して一件落着、スッキリした気分で立ち上がろうとしたら、なんと立ち上がれない!!
 そんなバカな、と思ったそうです。
 でも何度ためしても、立ち上がれなかったのです。
 スッキリ気分はどこかに飛び去り、次の瞬間には冷や汗がたら~り、と言う状況です。
 トイレの個室には手すりはないし、汚く見える床に手をついて立ち上がるほどの決断力もない。
 膝の角度を変えたら何とかなるかとも思ったが、状況は改善しない。
 気持ちは焦り、パニック寸前だったそうな。
 結果、トイレットペーパーを大量消費することになったのだが、トイレットペーパーを床に敷き詰めそこに手をついて立ち上がれたそうだ。

 老いるとはこういうことのようです。
 昨日まで、もしくはさっきまでできていたことが、出来なくなるのです。
 筆者はこれを、「老いるショック」と名付けました。
 →なるほどです、さっきまでできたことが出来なくなるとは、恐ろしい話ですが、それが歳を重ねるということなんでしょうか。

 

与えられた役割

2021-09-28 06:41:40 | 日記
この地球上には、78億人余の人々が住んでいるそうだ。
日本だけに限っても、1億2000万人以上だ。
そんなに大勢の人々でも、人はそれぞれ人として尊重されるべき存在だということに異論は少ないだろう。
またそれと同時に、人にはそれぞれ与えられた役割があるという。
劇作家・詩人のウイリアム・シェイクスピアだ。

◆人は与えられた役割を愚直に全うしていくものだ
 「私は、この世を、めいめいが何か一役ずつ演じなければならない舞台だと思っている。」
 劇作家らしい表現だが、まあそういうことなのだろう。
 この世を舞台と捉え、必ず一人ひとりにふさわしい役があるというシェイクスピアの言葉は、
 人それぞれに向いた才能を有していることを教えてくれる。
 あとはそれを見つけ、伸ばして行くべきなのだろう。
 人の力を借りることも多いし、師に引き出されることもあるが、まずは自らがやるべきことを探すべきなんだろうなとも思う。

 なお後世の批評家によれば、シェイクスピアは幼少時に貧しく、それがゆえに何でも工夫して自己流で解決してきたそうだ。
 結果、そのことが多彩な才能が花開いた要因だという。
 そしてそれは、孔子や福沢諭吉にも共通することだという。
 それゆえに、何でも出来るようになったそうだ。

 これはビジネスパーソンにも役に立つ話だ。
 何も好き好んで貧困生活を送れと言っているのではない。
 目標・課題達成のための、障害や制約条件はあって当たり前、それらを乗り越えて達成することこそが自分の役割で、
 それが仕事と言うべきものなのだろう。

これが真実なのかもしれない

2021-09-27 06:33:23 | 日記
普段から当たり前のように考えたり行動したりしていることが、実はおかしいと気付かされることがある。
それは、弱冠13歳の少女の詩から。

◆「石の上にも三年」は、実は危険な考え
 「逃げて怒られるのは人間くらい
  ほかの生き物たちは、本能で逃げないと生きていけないのに
  どうして人は、逃げてはいけないなんて答えに
  たどりついたんだろう」

 たしかに、弱肉強食の野生動物の世界では、危険を察知したら直ちに行動に移し逃げ出すはずだ。
 その判断が遅れれば、生命を落とすこととなるからだ。
 なのに、ブラック企業で石の上にも三年などと必死に耐えていても、メンタルを破壊されて回復不可能になるかもしれません。
 学校や友人グループでもそういうことはある。
 いじめを受けたり、差別をされたり・・ 
 そんな場所で頑張って耐えていても、いいことはありません。
 何事も簡単にあきらめてはいけないし、努力することも必要なことです。
 しかし、逃げるという選択肢を持っておくことも、また大切なことのようです。

 シェイクスピアにこんな一節があった。
 「危険へとつながる道は、平坦なものである。」
 何も行動を起こさず、ただ流れに身を任せていると、状況は悪化の一途かもしれません。

お寺さんが鉄道を?

2021-09-26 07:11:20 | 日記
名古屋市並びにその近郊に居住する人々がお世話になっている鉄道会社は、首都圏や関西圏とは異なり、数が限られている。
JR東海・名鉄・近鉄・名古屋市営地下鉄だ(第三セクターを除く)。
だが世間(日本全体を見渡せば)は広い。
世には、こんな鉄道会社があるそうだ。

◆お寺さん(宗教法人)が鉄道を運営している
 阪急・西武・東武等の鉄道会社が、不動産・百貨店・レジャー産業等の事業を運営していることは良く知られている。
 だが逆に、鉄道事業に進出した宗教法人があるという。
 
 本題に入る前に整理すると、専用の軌道を通るのが鉄道事業で、道路に敷設されるのが軌道事業と言うらしい。
 鉄道事業をさらに細分化すると、ケーブルカーは鋼索鉄道という範疇になるそうだ。
 この鞍馬山鋼索鉄道の運営をしているのが、宗教法人鞍馬寺(京都市左京区)だ。
 鉄道事業法の正式認可を受けた宗教法人としては全国唯一だ。
 鞍馬天狗や、牛若丸と称した源義経で有名なお寺でもあり、1957年から運行しているそうだ。
 また、四国お遍路よりも古い歴史の、西国33か所遍路の第19番札所でもある。

 設置の理由ははっきりしていて、既存鉄道の最寄駅から本堂までの標高差が89メートルもあるため。
 営業距離はわずか191メートルに過ぎないが、これがなければ老人や子供には参拝が難しくなってしまうようだ。
 微妙なのがその料金設定で、運賃としては無料だ。
 ただしその利用のためには、200円以上の寄付が必要だという。
 →事業収入と違い、宗教法人の寄付金収入は非課税なので、結果的に廉価での運営が可能になるのかもしれませんね。
  なお、そういったもやもや感が嫌な方は、30分ほどかけて自力で登っていただければなんの問題もありません。
  いずれにしろ驚きです。