つぶやき、遊び・仕事・日常

一日の出来事のあれこれを雑多に記録していきます

命がけらしい

2022-09-28 06:46:54 | 日記
少子高齢化傾向が言われだしてから久しい。
現在では一般的なシニア世代の65歳以上は、その比率が3割を超えているそうだ。
そんな社会には、当然シニア世代の悲喜こもごもがある。
樋口恵子女史の「老いの福袋」からだ。

◆風呂に入るのも命がけ
 女史の友人は、ある日風呂から出ようとしたが、突然バスタブから立ち上がれなくなったそうだ。
 この方は、幸い娘さんと同居だったので事なきを得たそうだが、そんなこともあるのだ。
 冬には脱衣場と浴室の温度差で、ヒートショックを起こし、心筋梗塞や脳卒中となることもあるそうだ。
 だが、最も怖いのは溺死らしい。
 ちょっと古いが、厚生労働省の2018年データでは、家庭の浴室での溺死者は5,398人。
 それは、交通事故死者の3,532人よりはるかに多い。
 しかも、その溺死者の9割以上が65歳以上だという。
 だから、高齢者にとっては、風呂に入るのはオーバーではなく命がけなのだ。

 →ふ~ん 他人事ではありませんね。
  「今日の若者、いずれじいさん」だし、「今日の乙女は、明日のばあさん」とも言うし。
  一休禅師は、目出度い正月でさえ、「門松は冥土の旅の一里塚」と詠んだな。
  正月を迎えるたびに、帰らぬ旅が近付いているということなのだろう。
  日本人は、人類が経験したことのない高齢化社会の先陣だそうだから、世界に模範を示したいものだ。
 

清水次郎長

2022-09-27 06:50:51 | 日記
江戸時代の五街道の中でもおそらくは最重要だったであろう東海道。
そこは、現在でも東海道新幹線や国道1号線が日本の大動脈として君臨している。
そして、その東海道一の大親分だったと言われるのが、清水次郎長(しみずのじろちょう)だ。
歴史上の人物ではあるが、東京明治座や名古屋御園座の舞台での演目で、その姿が生き生きと浮かび上がる。
中江良夫脚本、主演杉良太郎だ。

◆芝居の台詞(せりふ)にも感動する
 当時の大親分・小幡の周太郎が、まだ若い次郎長に語り掛ける場面だ。
 「次郎長どん、みなせぇあの紅葉を、きれいじゃねえか。
  わけえ青葉の頃を力いっぱい生きてくりゃこそ、散り際にあの色艶を残せるんだよ。
  次郎長どん、大きくなりなせえよ。

 その意は、青葉が空に向かって大きく枝を伸ばすように、
 若いころ地道に努力してこそ見事な色艶のある晩年を過ごせるということなのだろう。
 その結果として、街道一の大親分ということになるのだ。
 
 正に、舞台からおいらに語り掛けてくるような言葉で感動すら覚える。
 だが残念なことに、感動と実行は連動しない。
 舞台を観る他の大衆とともに感動はしたものの、それが実行に結びつかないのがおいらだ。
 それが現在のおいらならば、素直に受け止めるしかないか・・・




美味しい料理

2022-09-26 06:33:54 | 日記
昨日はマンガ喫茶でくつろいだ。
そこでのマンガで、「美味しい料理」について語られていた。
色々と考えさせられるもので、それは料理をビジネスに置き換えても成立するのではないかと思わされた。

◆錯覚することがあるとは言うが
 料理は、シェフの名人ネームバリューや、老舗オーラによって美味しいと錯覚することもある。
 だが錯覚と言う前提は、料理や味に対する鋭敏な味覚を持つ人たちの決めつけなのかもしれない。
 そうではない一般大衆の中には、その料理そのものを純粋に美味しいと感じているグループもいるようだ。
 物事の感じ方は各人の自由なんだから、そういう評価も間違いではないのだ。

 一方で、独創的で食材や調理法にもこだわった、いわゆる創作系の料理は、非凡な美味しさと称えられがちだ。
 だが人間は、そういうものばかりが美味しいわけではない。
 例えばチェーン店の、ありきたりの定番メニューの平凡な美味しさを求める層もあるのだ。
 だから、鋭敏な人が平凡な美味しさを侮ることは、独善の罠にはまることかもしれないのだ。
 それをかっこいい言葉で言えば、「未知への感動」と「既知への安堵」となる。
 そのどちらが正しいわけではなく、人はそれをライフスタイルに合わせてうまく使い分けているのだろう。

 →マンガ喫茶でもこんな学びが得られました。
  おいらのビジネススタイルは、「既知への安堵」を極めるものとしたいものです。
  余計な話かもしれませんが、たしかに「王将」のギョーザは美味しい。
 
 
 

平和をつくる人

2022-09-25 06:57:41 | 日記
MRA(Moral Re-Armament)運動なる活動があるという。
それは、「真の平和と民主主義は、軍備ではなく心と精神の再武装から」との思想だという。
なかなかそんな理想通りにはいかないのではと思ったが、もう少し詳しく聞いてみた。
難民を助ける会会長の相馬雪香女史だ。

あなたは平和をつくる人ですか
 男性が悪い、政治が悪いと人のことばかり責めていて何かが得られたのか。
 人のことばかり責めて、憤慨しているだけでは世の中は何一つ変わらない。
 身近な家族でさえ、いろいろ注文しても私が望むようには一向にならない。
 あなたは、戦争は嫌だ、平和が欲しいと言うけれど、あなたのいるところであなたは平和をつくれる人ですか。
 考えてみれば、自分の周囲には多くのいさかいがある。
 自分の周りに平和がつくれないで、どうやって世界平和を実現できるのか。
 もっともな指摘だと感じざるを得ない。
 
 心に平和のない人間が平和を唱えるのは矛盾でしかない。
 朝から晩まで腹が立つ、新聞を読めば憤慨する、家族の行動にいらだつだけでは、どうにもならないのです。
 人を変えよう、社会を変えよう、世界をよくしようと思うならば、まずあなた自身が変わらねばならない。
 世界の中でただ一人、あなたを変えることができるのはあなたしかいないのです。
 人間はとかく自分は正しいと思いがちです。
 でも、一本の指を相手に向けるときには、三本の指が自分を指していることを思い出すべきです。

 →たしかに、おいら自身は平和をつくり出してはいないようだ、反省です。
 

心は十八

2022-09-24 06:56:08 | 日記
作家の清川妙女史が、亡き母からの教えを語っていた。
いくつになっても、現在進行形で生活していくべきであり、それはこんな気持ちで顕わせるという。

◆「歳は八十でも心は十八」。
 大伴旅人(おおもとのたびと)の歌に、
 「生けるもの 遂にも死ぬる ものにあれば この世にある間は 楽しくをあらな」とある。
 生きている人はみんな必ず死ぬのだから、生きている間は楽しく生きましょうというような意味なのだろう。
 それを享楽主義と捉えることもできそうだが、常にそのときそのときを、強い意志を持って生きているとも言える。
 だって、あなたも私も人間は必ず死ぬ、それは100%間違いのないことだ。
 だから、生きている限りは前向きな気持ちをもって生き続けたいものだ。
 それは、万葉集の時代からだから、日本人(世界中かも)にとって、普遍的なものかもしれないな。

 人生で大事なことは、自分の人生は繰り返すことが出来ない一度きりのものだという認識かもしれない。
 ということは、自分を大事にすることが人生の基本かもしれませんね。
 そしてそれは決して自分を甘やかすことではなく、
 いくつになってもまだまだ成長できると、十八歳の心で前向きに生き続けることかもしれませんね。

 →う~ん 生きるという事は、結構厳しいものでもあるんですね。