つぶやき、遊び・仕事・日常

一日の出来事のあれこれを雑多に記録していきます

解釈ひとつ

2024-11-04 06:38:12 | 日記

仕事をしていても生活の中でも、辛いことや嫌なことが次々とやってくる。

そんなときの対処方というか、もう人生全般にも活かせることを教わった。

いくつもの教えがあり、1週間連続でだってブログを書けそうなので、以後たびたび引用をさせていただく。

コピーライターのひすいこたろうさんだ。

 

解釈ひとつで世界は素晴らしい場所になる

 みんなが喜びを感じられるように、楽しくなるように、この世界を自由に解釈すればいい。

 どう解釈するか、どう認識するかで、現実の見え方がまったく変わります。

 あなたの認識こそ、あなたの世界そのものなんですから。

 あなたこそ、この世界の救世主なのです。

 だから、神社のご神体は鏡なんです。

 

 あなたが変われば、鏡に映るこの世界も1秒で変化します

 幸せは現実が決めるのではなく、あなたの心が決めるのです。

 だから、どんなことが起きても前向きに解釈すればいいだけなんです。

 

 →これがいわば全体的な教えで、次回にはもう少し個別のアドバイスを。

  ずいぶんと役に立ったと思う。


価値があること

2024-11-03 06:48:50 | 日記

19世紀米国の哲学者・思想家のラルフ・ウォルドー・エマーソンの言葉を味わってみよう。

それは、自己肯定感とかいうやつにつながるものなのかもしれないな。

 

価値があるのはいま生きていることであって過去に生きたことではない

 人はつらい出来事に直面すると、それを大問題ととらえ、深く考え込んでしまうことがある。

 だが待ってほしい、何より大事なことは今生きていることのはず、そしてこれから進む先のはずだ。

 だから大きな壁を乗り越えるとき、目標に向かって進むときというものは、より良い人生をつかみ取る最大のチャンスなのです。

 

 比べて、過去はどうでしょう。

 たしかに過去は、現在のあなたを形作っているのかもしれません。

 でもそれだけです。

 現在とこれからの人生(未来)は、これからのあなた自身にかかっているだけです。

 今を誠実に一生懸命生きることが、これからの人生を決めることとなるのです。

 

 →そういうことなのか、学歴とか職歴とかいうものは、これからのおいらを決める決定打ではないということのようだ。

  


金の切れ目

2024-11-02 06:44:14 | 日記

「金の切れ目が縁の切れ目」という言葉を聞く。

これをおいら(たぶん一般的でもあるだろうが)は、金持ちが金を失ったことで周囲の取り巻きが去ってゆくとか、

男性が金を失うと、寄り添っていたはずの女性が他の男性のもとに走り去っていくというふうに受け止めていた。

だが実際は、よほどの性悪女を別にして、そんなドライなことではないそうだ。

 

◆金の切れ目ではなく・・・

 お金を失うことで、地位や信用や仲間を失うのではない。

 お金を失うことで、あなたが自信や尊厳を失うことが大きいのです。

 自信や尊厳というものは、あなたがあなたであるためのいわゆるアイデンティティなのです。

 そんなアイデンティティが失われたあなたから、周囲の人々や寄り添っていたはずの女性が離れるのは当然です。

 だから結局は、お金ではなくあなた自身の振る舞いがそうさせているのです。

 

 →そういうことなのか、ニワトリと卵の例もあるが、どちらが先かということではなく、

  毅然としてアイデンティティを保てば、まだまだチャンスは残っているということなのかな。

 


自分の経験

2024-11-01 06:37:26 | 日記

20世紀オーストリアの精神科医・心理学者である、ヴィクトール・エミール・フランクルの、

こんな言葉には心を整えられるのではないだろうか。

普段、税金や社会保障費の類を強制的に奪われているなんて感覚のおいらには特にそうだ。

 

あなたが経験したことはこの世のどんな力も奪えない

 私たちは、過去の経験を積み重ねてきて生きている。

 喜びに満ちた日も、失敗や挫折に苦しんだ日々もやがては過去のものとなります。

 置かれた状況に真摯に向き合ってきた過去は、その人固有の経験として保存され、

 この世の誰のどんな力によっても奪うことはできないのです。

 そう、過ごしてきた時間はあなたの自分だけのものなのです。

 

 併せてフランクルは、人生の意味として、「創造」・「体験」・「態度」を上げ、それぞれの意味合いとして、

 「創造」とは世の中に何かを与えること、「体験」は世の中から何かを受け取ること、

 「態度」は死の直前まで勇気や品格を持ち続けることとした。

 

 →いやぁお恥ずかしい、そんな高尚な意味合いだったんですね。

  おいらは単純に税金は天引きできても、おいらの楽しい思い出はおいらだけのものだと早合点しちゃいました。


行動経済学

2024-10-31 06:40:35 | 日記

「行動経済学」なる学びがあるという。

人は無意識のうちに、不合理な行動をとってしまったり、無自覚に他人に誘導されてしまうそうだ。

外国の方の著作(エヴァ・ファン・デン・ブルック氏)だが、読んだのはむろん日本語訳だ。

 

◆不合理な行動と無自覚な誘導の例

 「喫煙は健康に悪い」ということはほとんどの人が知っている。

 だが、どれだけ身近な人から説得されても、有名人が語っても、ほとんどの人はタバコを吸い続ける。

 たとえ正しいと思われることでも、人を動かすということは難しいことなのだ。

 

 人は知識が増えるにつけ、自分がまだそれについて何も知らなかったことに気づくものだ。

 だから、かっての無知だったときよりも謙虚となり、たいした知識もないのに自信満々の人に道を譲ってしまうのだ。

 

 意外にも高学歴の人ほど、詐欺の被害にあいやすいという、自分は人より賢いという自覚ゆえのようだ。

 だから、ネット上の実在しない恋人に大金を送ってしまうこともある。

 

 歯磨き剤には、必要以上に舌を刺激する味の化学物質が添加されているし、咳止め薬はわざと不味くしてある、

 良薬は口に苦しを連想させるための作戦だ。

 

 ニンジン嫌いの子供でも、マクドナルドのハンバーガーの包みにくるめば食べやすくもなる。

 

 →というような例とともに、その学問的種明かしも(裏付け)ありました、ちょっと恐れのようなものを感じました。