つぶやき、遊び・仕事・日常

一日の出来事のあれこれを雑多に記録していきます

藍染(あいぞめ)について

2021-10-31 07:04:10 | 日記
子供の頃、夏休みの宿題だった思うが、花・草木で染色したことがある。
大人でも趣味の手芸で行っている方もいることだろう。
そんな花・草木染についてこんなことを教えられた。

◆藍染(あいぞめ)は緑色の藍の葉を原料とする
 赤い花の汁で染めれば赤く染まる。
 紅茶で染めれば、やはり紅茶の葉と同じ茶色に染まる。
 当たり前だと思っていた。
 ふつう染色は、原料と同じ色に染まるものだ。
 紫色の染料の原料は、紫草の根っこで、やはり紫色をしている。
 だが、染めた色と原料の色が違うものがあり、それが藍染に使われる藍だ。

 藍は、葉はもちろん花も根も藍色でも青でもないそうだ。
 そしてこの一般的な緑色の葉を原料とする。
 ここからがひと手間なのだが、藍の葉の細胞の中に「インディカン」という無色の物質があるそうだ。
 藍の葉をしばらく発酵させると、この「インディカン」が「インディゴ」という物質に変わる。
 この「インディゴ」が、安定的な藍色となり、デニムなどのいわゆるインディゴブルーとなるのだ。

 →ほう それは知りませんでした。
  元英国首相のディズレーリはこう言っていたな。
  「愚かな者は自問するが、賢い者はさっさと人に訊いてしまう。」
 

匙を投げる

2021-10-30 06:48:19 | 日記
この「匙を投げる」と言う言葉は聞いたいことはあるが、その意味は詳しく考えたことはなかった。
その意味は、あきらめるということなのだろうと勝手に考えていたが、正しくもありそうでもないようだ。
もともとは、医学用語だったらしい。

◆なぜ匙を投げることがあきらめることになるのか
 なぜ匙とあきらめがリンクするのかと不思議に思う。
 だがここでいう匙とは、一般的なスプーンではなく、昔医者が薬を調合する時に用いtた薬匙のことなのだ。
 この薬匙で、各種の薬品を調合し症例に合わせて快癒に向けた薬品を調合していたのだ。
 だから、匙を投げるというのは、どんないい薬を調合しても治る見込みがない病気だと医者が見立て、あきらめることなのらしい。
 つまり、どんないい薬を調合しても、治る見込みがない病気と厳しく判断することなのだ。

 我々の世界では、こんな判断もある。
 元住友銀行頭取の磯田一郎氏だ。
 「会社が潰れるときは、馬鹿が仲良くしている時か、利口が喧嘩をしている時だ。」
 なあなあでやっていれば、楽なのかもしれないが、収益性はどんどん低下するものなのだろう。
 加えて、社内権力抗争が続けばやはり、収益性は低下していくものだろう。
 ボードメンバーの連中には、嚙み締めていただきたい言葉です。
 

 

 
 
 

夢と志

2021-10-29 06:44:15 | 日記
今や日本を代表する企業となったソフトバンク。
創業者孫正義氏は、人生のテーマについて唯一書く言葉があるという。
志高く」だ。
そんな「(こころざし)」について、氏はこんな思いを語ってくれた。

◆夢と志との違い
 この言葉の意味を教わったのは、恩師の野田一夫さんからだったそうだ。
 誰しも志は、なんとなくわかる言葉のありようだろう。
 だが、夢と志との違いを問われれば、自らの考えの浅さに思い至るはずだ。
 それらは、似てはいるが同じものではないからだ。

 夢と言うのは、漠然とした個人の願望に過ぎない。
 車を買いたい、家を持ちたい、いい嫁を得たいというのは、みんな個々人の未来への願望だ。
 そしてその個々人の願望をはるかに超えて、多くの人々の夢、多くの人々の願望をかなえてやるという気概を志というそうだ。
 は快い願望だが、は厳しい未来への挑戦だ。
 だから、志と夢とではまったく次元が違う。
 夢を追うなんて程度の男になってはだめだ。
 志を高く持つべきなんだ。

 孫氏にとっては、これはもう衝撃だったらしい。
 事業と言うものは、高い志を持ってやらなければならない。
 自分の商売、自分の事業という個人的次元で終わってはいけないのだ。
 →なるほど ソフトバンクグループと孫正義氏のこれからの生きざまをしっかりと見届けたいものです。

お前もなんかせい

2021-10-28 06:47:41 | 日記
落語家さんという方々は、軽妙な語り口で我々を楽しませてくれます。
その語りにクスリとさせられたり、あるいは大笑いを誘発されたりします。
なので、どうしても落語家さんたちを軽く見てしまうのですが、なかなかどうしてそうではないようです。
そしてそれは、哲学者ばりの思索を深めているかのようにも見受けられます。
一例で、落語家の笑福亭鶴瓶師匠はこう言います。

◆神様から、お前もなんかせいと言われて、人は生まれてきてるんやと思う
 若いときから2つのポイントを、ちゃんとすることにしていたそうだ。
 1つは、内弟子時代にもう所帯は持っていたが、そこで家をきれいにし、約束を守り、お礼の手紙を書くという基本を大事にしたことだ。
 修行では、自分の型をつくり、それにこだわり続けたことだと思う。
 そういった事柄は、ちゃんと誰かが見てくれてるものなんです。
 自分を忘れ、余計な計算で横にそれたりすればうまくいかない。
 あくまで自分のラインを貫くこと。
 問われるのは、日々の何気ない日常なんです。

 ゴールデンタイムの仕事が偉いわけじゃあない。
 たとえ小さな世界でも、そこで必要とされることこそ意味があるんです。
 物事は、そこから始まっていくんです。
 神様から、お前もなんかせいと言われて人は生まれてきてるんやと思う。
 だから、自分を信じるべき。焦らなくてもいい。
 種を蒔いて、花が咲くのを待てばいい。
 →はてさて、おいらはこの人生で何をすべきなのか・・・
 

幸運な仕事

2021-10-27 06:27:23 | 日記
上阪徹(うえさかとおる)さんという方の話を聞いた。
職業はブックライターだという、著名人の書籍を代行して書くゴーストライータのようなものなのでしょうか。
だがそのためには、綿密な取材が必要で、これまでの取材・面談人数は3000人を超えるという。
その方の言葉からこんなことが理解できました。

◆こんな幸運な仕事は世の中にはないのではないか
 普通ではなかなか会えない人に会い、その人に直接仕事の極意やら人生に対しての考え方を聞くことが出来る。
 それこそ中には、1時間でとんでもない額の講演料を得ているはずの人もいる。
 そんな人に、至近距離で聞きたいことを聞き出すことができる。
 私の仕事は、人に話を聞き文章にまとめることだ。
 世間一般にはライターと呼ばれており、多くの人がこの仕事を文章を書く仕事だと思っている。
 だが私の考えは違う。

 文章を書くことはあくまで最終的なアウトプットに過ぎない。
 大事なことは取材をし、インタビューをし、文章の素材を獲得することにある。
 文章を書くと言っても、創作するわけではない。
 特定のテーマがあり、目的があり、そのために見たり聞いたりして素材を集めていかないといけない。
 うまく見聞きできなければ、文章は書けない。
 その意味で、書くこと以上に見聞きすることが重要なことなのだ。

 →なるほど、書くためには見聞きが重要ということなのですね。でもそれが幸運な仕事と言うのはうらやましいものです。