つぶやき、遊び・仕事・日常

一日の出来事のあれこれを雑多に記録していきます

世の中は変わる

2022-10-31 06:52:07 | 日記
人の一生は、長いようで短くもあり、短そうで長くもある。
それは、平均的には80年といったところだろうか。
そんな80年のうちには、かって正しかったことが間違いとなることもあるようだし、
推奨されていたことが、忌避すべきこととなることさえもあるようだ。
おいらの仕事に関することで言えば、かってアスベストは夢の素材とも言われていた。
安価で、断熱効果が高いので重宝されていたのだ。
だが今では発がん性が疑われて、高い費用をかけて撤去されている存在だ。
同じくPCBも絶縁材として重宝されていたが、こちらも人体に対しての毒性が知られ、撤去焼却処分されている。
そんな時代の流れについて、実業家の鈴木忠雄はこう言っている。

◆それは頑固な思い込みではないのか
 「これまでの自分の生き方だけが正しいと頑固に思い込んでいては、時代の変化に取り残されます。
  世の中の流れには、柔軟に対応しなければなりません。」
 前述のアスベストやPCBについては、科学的な知見があるのでまだ納得はできるだろう。
 だがそうでないものについては、受け入れるのはなかなか難しいのかもしれない。

 ・男女の昇進は、男性を優位にする。
 ・産休明けの女性は、かってのポストを外し降格とする。
 ・有休消化の少ない人物は、評価を高くする。
 ・残業申請の多い従業員は、ボーナス評価で減点する。
 ・会社の方針に従わない従業員は、昇格させない。
 ・オーナー一族の社員は、順調に昇進させる。
 これらは、社内的には収まりのいいことなのだろう。
 だが、こういった姿勢の企業が大きく成長することはないような気がします。
 時代に合わせた経営・運営を望みたいものです。
 それこそが、閉塞感の漂う日本経済の発展につながるのではないでしょうか。
 

漁師が木を植える

2022-10-30 07:00:31 | 日記
畠山さんという気仙沼の牡蠣漁師の言葉が突き刺さる。
それまで彼ら漁師は、海のことは全部海がやってくれる、いわば「太平洋銀行」に任せておけばいいと思っていた。
だが、牡蠣(かき)漁の不漁が続き、その要因を探るためにフランスに行ったときに気づいたそうだ。
海だけではなかったのだ。

◆漁師が木を植え始めた理由
 フランスのロワール川の牡蠣は実にいい。
 牡蠣のとれる干潟には、カニ・タツノオトシゴ・エビなどの小動物が多く、生命力が溢れているような気がする。
 ロワール川には、ウナギの稚魚であるシラスウナギも大量に遡上している。
 こんなに良い川ということは、上流の森林が豊かだということに気づいたのです。
 環境、環境と声高に言わなくても、食べ物から見れば結構身近なものです。
 ジビエ料理(野生の鳥・シカ・クマなど)を食べるためには、
 彼らの餌が必要で、木の実がたくさんなる豊かな森が必要なんです。

 日本は寿司文化ですが、その寿司ネタは汽水域で捕れるものが多い。
 川の水が大事だという事です。
 だから、おいしい寿司が食べたければ海だけではなく川を見るべきなんです。
 海のごみをいくら拾っても、牡蠣はおいしく育たない。
 海から川をさかのぼって、家庭排水・工場排水・農薬・除草剤・ダム・
 杉一辺倒の造林計画・放置林などがすべて影響するのです。

 森林の持っている意味とか、森林からどんな成分が流れてきているとか、科学的知識は全然ありません。
 あるのはただ、何かをやらなければという心だけです。
 そんな衝動で木を植え始めただけです。
 それが結果、科学的な裏付けもとれてすごく意味のあることだというのが分かってきたのです。

 →有難いものです。そういう方々のおかげで、オーバーに言えば日本国が成り立っているのでしょうね。

人生は長いか短いか

2022-10-29 07:03:13 | 日記
歳を取ると、1年が本当に早く感ずる。
これは、人は時間の流れを無意識のうちに自分の一生と比較しているかららしい。
つまり、10歳児の1年は人生の十分の一であり、50歳の壮年にとっての1年は人生の50分の一に過ぎないのだ。
たしかに、小学校時代の夏休みは、もう永遠に続くかのような長い40日だったなぁ・・
そんな時の流れについて、古代ローマの哲学者セネカはこう言う。

ひとの一生は十分に長い
 年齢を重ねれば重ねるほど時の流れは速く感じる。
 そんな感覚を否定するものではない。
 振り返ってみれば、あっという間の人生のようにも感ずる。
 だが、人生を俯瞰してみればたしかに人の一生は長いはずだ。
 ほんとうは十分に長いはずの人生がもし短く感じられるとすれば、
 それは人生を浪費しているからにほかならないという単純明快な話だ。
 この行動・この仕事・この遊びは、人生の浪費ではないかという自問も必要なものかもしれないな。

 →自分の考えを否定するのもなんだが、あまり考えすぎるのも考えもののような気がする。
  人生や時間の浪費を恐れて、仮に効率的な人生を送ったとして、それが果たして充実した人生なのだろうか。
  効率的なものも浪費も含めての人生のような気がします。
  まあそうう視点もあるということにして、今まで通り人生を浪費していくことにします。
 

人生に必要なこと

2022-10-28 06:40:19 | 日記
人間は誰だって、生きているだけで尊い存在だと言われる。
差別のない社会ならばそういうことなのだろう。
別にここで異論を拡げようという訳ではない。
だが、アーティストの感覚はちょっと違うものらしい。
シンガーソングライターのビヨンセだ。

◆スゴイ出来事に出会う
 「人生に必要なのは、何回呼吸するかではなく、何度息をのむほどの瞬間に出会うか。」
 
 何回も呼吸する=毎日無為な時間を過ごしているということなのかな。
 それでは生きていることの大切さはないし、充足感を得られないのかもしれない。
 生きていることを実感するのは、驚きや感動の残るような出来事や出会いがそうなのだろう。
 もちろん、彼女の歌唱にそれを感ずることもあるし、他のアーチストに感ずることもある。
 だがそれよりも、人生全般の中でそういった体験をしたいものだ。
 ただ生きているだけの人生に加える、ハッとする瞬間こそが人生を重ねるということなのかもしれない。
 もしかしたら、そんな瞬間に自分の中に眠っていたものが覚醒されるかもしれないしね。

 ちょっとニュアンスは違うが、エイブラハム・リンカーンはこう言っていたな。
 「待っているだけの人たちにも何かが起こるかもしれないが、それは努力した人たちの残り物だけだ。」
 生きるとは、行動し努力し、体験を積み重ねるということなのかもしれませんね。
 
 
 

ブログは脳にいいらしい

2022-10-27 06:45:45 | 日記
世の中には大勢の人が居て、それぞれに考え方があったり意見があったりする。
それらのひとつひとつを聞いていてもきりがないし、多数決をとるというのも不可能に近い。
だったら、自分にとって都合のいいことや役に立ちそうなことを取り入れればいい。
そう思いついたときに、精神科医の和田秀樹先生だ。

◆脳の刺激には文章を書くことがいい
 脳が健康なのに記憶力や思考力が極端に低下してしまう原因は、頭を使わないからだという。
 歩かなければ足腰が衰えるように、頭も使わなければ機能が低下するそうだ。
 刺激を与え続けなければ、老化は避けられないということ。
 視力が低下したら、メガネやコンタクトレンズを用いる。
 聴力が低下すれば、補聴器の世話になればいい。
 足腰が弱れば、散歩やジョギングをしたり、場合によってはシニアカーを使えばいい。
 
 脳も同様に何らかのツールや手段を用いれば経年劣化を予防することができる。
 それを効率的にできるのが、文章を書くことだ。
 それは、話すことよりも断然効果がある。
 書くのは、日記のような内向きの文章ではなく、読む人を想定した外向きの文章がいい。
 読み手が気分よく読むためには、適切な語彙選択や文章のリズム、論理構成が必要となるはずだ。
 これらを念頭に文章を書くことは最高の脳トレとなる。
 しかも、その文章のネタを探すのも脳には非常に良い刺激となるのだ。

 →おお~ 毎日駄文を書き連ねているが、それが脳にとっていいのなら有難い話だな。