つぶやき、遊び・仕事・日常

一日の出来事のあれこれを雑多に記録していきます

正しく区切る

2022-08-31 06:48:26 | 日記
主に外国の地名は、なかなか難しいものだ。
どちらかと言えば、日本よりも長い地名が多いように感ずる。
なので、途中に区切りを入れるのが一般的なのだが、これが原語からすると誤りの元らしい。
そんな誤った区切りの数々はこんなにもあるようだ。

◆地名の由来をしっかりと把握すべき
 代表的な例がロシアのウラジオストックだ。
 一般的には、ウラジオ・ストックと言っているが、正しくはウラジ・オストクのようだ。
 支配を意味するウラジと東を意味するヴォストークを合わせたものなのだ。
 だからより正確に言えば、ウラジオ・ストックではなく、ウラジ・オストクなのだ。

 南米でもそんな例は見られる。
 プエル・トリコと呼ばれる地名は、プエルト(港)とリコ(豊か)を合わせた地名だそう。
 だから、プエルト・リコが正しい呼び方らしい。
 
 マレーシアのクアラルン・プールもそんな例の一つとしてあげられる。
 こちらも、クアラルン・プールではなく、クアラ(合流地)とルンプール(泥の)を合わせて、
 クアラ・ルンプールが正しい呼び方のようだ。
 地名の成り立ちが分かれば、このようにおのずと正しく区切れるようになるのでしょうね。
 そしてそれは、現地の文化や歴史を尊重することに繋がり、オーバーに言えば、SDGsにも通ずるのでしょうね。

髪結いの亭主

2022-08-30 06:41:57 | 日記
男として情けない奴だ、と言われるかもしれませんが、やっぱり「髪結いの亭主」なるものに憧れがあります。
髪結いの亭主とは、まあ今風に言えばヒモみたいな存在でしょうか。
髪結いは稼ぎが多いので、妻にすると夫は仕事をしなくてもよいということで、
妻の働きで養われている夫を例えていう言葉(日本国語大辞典)だそう。
歴史研究家の河合敦氏がこんなことを教えてくれた。

◆髪結いの亭主は本当に楽な暮らしができたのか
 実は時代によってずいぶんとその収入は変わっていたらしい。
 江戸時代には、ごく普通の労働収入だったそうだ。
 女髪結いは主に芸者たちを客として、髪を美しく結うようになり、
 個々のセンスとスキルでだんだんと人気や技術料の差が出てきたという。

 明治時代になると、政府の高官や実業界の重鎮の多くが、花柳界出身の女性を妻や妾とした。
 成功して金や力を得ると、こういうトロフィーワイフを欲しがるもののようです。
 そうした女性や華族・上流階級の子女も髪結いに整髪を任せるようになっていったのです。
 すると、その稼ぎは一般の男性をはるかに超えるものとなっていったのだ。
 明治中期には、その月収は300万円程度までにもなり、その亭主が道楽できる状態となったのだ。
 かくしてついに、「髪結いの亭主」なるものが登場したようだ。

 さらに一部のカリスマ髪結いは、昼だけではなく夜も送迎の人力車に乗り山の手の顧客を回り、
 月収は800万円まで達したという。
 だが不思議なことに、それほど稼いでもいわゆる「蔵」を建てた髪結いはほとんどいなかったそう。
 亭主が浪費したこともあるのだろうが、髪結い本人にも実は「若い燕」がいて、散財していたようだ。

 →当たり前の話ですが、金を稼げば幸せという訳ではないようですね。

単純にする

2022-08-29 06:28:25 | 日記
世は複雑性の時代だという。
また、多様性の時代だともいう。
たしかに、すべてに共通する絶対的な「解」や、決定的な解決策はなかなかない。
十人いれば十人の嗜好があり、十人の考えや行動がある。
だが、アップルの創業者スティーブ・ジョブズは真逆のことをこう言う。
これはこれで、頷かされる言葉の数々だ。
東洋思想、特に「禅」に影響されたと言われているようだ。

◆シンプルであることこそアップルの価値
 ・アップルの当初の宣伝コピーがこれ。
 「洗練を極めるとシンプルになる。」

 ・「禅」の影響なのか、よけいなモノをそぎ落としたシンプルさを追求する。
 「単純にすることが僕のこだわりだ。それは複雑であることよりひどく難しいんだ。」

 ・ジョブズの求める簡潔さは、ただ削るだけではなく、考え抜かれたものだったようだ。
 「シンプルにすること、その裏にある問題を把握し、洗練された解決方法を考え出すこと、
  それは本当に困難な作業なんだ。」

 ・その考え方は、組織運営についてもブレることはなかった。
 「何をするべきじゃないのかを決めるのは、何をするべきかを決めるのと同じくらい重要なことだ。」

 ・その彼は弱冠17歳にして、この言葉に会い感銘を受けたそうだ。
 「今日が最後の日だと思いながら過ごすんだ。その日は必ずくるんだ。」

 →時々思い出して味わってみたいものですね。

解釈がすべて

2022-08-28 07:02:35 | 日記
コロナ渦で目の前に現れた厳しい現実、悔しいこと、苦しいこと、切ないこと、残念なこといろいろある。
むろん、生活の中でもビジネスの場でもそれらはある。
だが、19世紀ドイツの哲学者・思想家のフリードリッヒ・ニーチェはこう言っていたな。

事実というものは存在しない、存在するのは解釈だけである
 これはすごいことだ。
 目の前の出来事はすべて、解釈によりその扱いをコントロールできるようだ。
 今まで事実だと思っていたことは、単に自分がそのように解釈していただけらしい。

 合わせてネットにこんな一文があった、詠み人知らずだ。
 「時間の流れは変えられない。
  けれど、今ここにいる自分自身から、過去さえも未来すらも変えることはできる。
  そうすることで、他人や世界に振り回されない。
  あなたの人生の主人公はあなた自身だ。

  これから何が起ころうとも、どんな事態に直面しようとも、すべては解釈次第だ。
  自分で自分を肯定し、自分らしく日々を歩んでいくのだ。
  したたかに生き抜くために。」

 →なかなかここまでの域には達しがたいのですが、解釈を変えてみるというのは有意義なことなんでしょうね。
 

心配ごと

2022-08-27 06:52:18 | 日記
ここのところ、某新興宗教と政治との関りがどうとか喧しい。
おいらは、あまり宗教心はないほうだと思う。
それでも、ときどきキリスト教や仏教の有難い教えに触れると単純に納得している。
そんなお付き合いの仕方でいいと思っています。
そして、今日はこんな言葉に惹かれた。

◆心配しながら明るく生きる
 心配のない人生が素晴らしいわけではないそうだ。
 生きている人は、誰しも喜んだり、悩んだり心配したりしながら暮らしているものだ。
 だから外から見て、あの人はなにひとつ心配をせずに生きていると思っても、実はそうではない。
 心配事は誰しもあるもの。
 ただ、心配して暗く暮らすか、明るく暮らすかだけのことだ。
 心配するのは自分がダメだからではない、心配しながらも明るく暮らせばいいのだ。

 仏教では、心配したら合掌して「ナムアミダブツ」と唱えて仏の力に頼むそうだ。
 仏様の答えは決まっていて、すべてはなるようにしかならないものだと教えてくれる。
 心配事もつらいことも、あるがまま受け入れられれば安心へと変わる。
 「上手にあきらめることで前に進んでいける。」
 世の一切は、自然の力で活動している。
 心配してもあきらめ、また心配、それもあきらめて心が実っていくものらしい。

 →そういう心持ちとなりたいものですね。