つぶやき、遊び・仕事・日常

一日の出来事のあれこれを雑多に記録していきます

一歩引く幸せ

2024-01-31 06:36:27 | 日記

この世の中を生きていく上で、いわゆる「気遣い」というやつは大事だ。

先輩や同僚、それに上司、あるいは顧客、親類縁者などがその対象だ。

だが、それらの全てで頂点に近い位置に到達してしまう事もある。

先輩がすべて退職したり死亡してしまう事もある、組織の頂点に達してしまうこともある、

名人となり、顧客からも仰ぎ見るような立場となることもある、親類縁者の長老となってしまうこともある。

それは、とても居心地のよいものなのかもしれない。

だが、もっと心が安らぐ立場があった。

 

一歩引く方が幸せなのかもしれない

 先輩を立てて、自分はその影に立つ。

 手柄は上司に献上し、自分は下積みの立場にとどまる。

 仮に名声を得ても、それは顧客にお返しをする。

 親類には、もう歳だからと次老にバトンを渡す。

 

 それらは、ある意味無責任なのかもしれない。

 だが、おいらに変わって頂点や前面に立った人たちは、満足とやる気を得ることだろう。

 それでいい。

 大きく俯瞰してみれば、それは消極的なものなのかもしれない。

 では、個人で見ればどうだろう。

 それは、幸せなものだと断言できる!

 凡人は、先頭に立ち続けてはいけないものだ。

 一歩引いてこそ、感じられる幸せもあるものだ。

 

 


そんな時間では・・・

2024-01-30 06:38:27 | 日記

世に貧富の差とか、能力の差、生まれた親の差などいろいろな立場がある。

だが、時間というものは有限で、おおむねすべての人に平等に与えられている。

そんな時間について、諸氏はどう受け止めているのだろう。

語り人は知りませんが、こんな言葉があった。

 

1時間では何もできないという人は1年あっても何もできない

 1時間とは、単なる比喩だ。

 締め切りまでの時間が短ければ、そんな時間ではできません、と誰しも言いがちだ。

 だがそれは間違っているようだ、単に諦めたらおしまいということだけなのだ。

 

 与えられた時間がどんなに短くとも、その時間内でできることはあるはずだ。

 だから、定められた時間内で、成果物を提出することはできる。

 時間を言い訳にして、成果物を提出できない人は、ものごとに対処できない人であり、

 仕事のできない人確定である。

 

 →うんうん これはちょっと気の利いたビジネスパーソンならば当然ですよね、

  決められた締め切り時間内で案を提出するのがマスト、むろん最終案でなくともいいのだから。

 

 

 


ペイペイいいね

2024-01-29 06:42:56 | 日記

いわゆる「IT:インターネットテクノロジーかな」で、我々の生活がずいぶんと変わった気がする。

そんなことのひとつが、こうだ。

バーコード決済というのか、「ペイペイ」支払いが広がっている。

現金での支払いは、それ自体がコストを発生させるので、こういった決済が進んでいるようだ。

そしてそこには、こんな僥倖もあった。

 

◆地方自治体ごとにフェアとかキャンペーンがあります

 先日、あしかがフラワーパーク&日光東照宮観光に行ったことはここに書いた。

 そしてそこでは、こんな僥倖もあったのだ。

 ペイペイでは、地方の消費拡大のためにキャッシュバックキャンペーンを数多く行っている。

 そんなキャンペーンのひとつに、おいらが遭遇したのだ。

 

 宿泊した宿で、追加の日本酒を注文した、翌朝その支払いをペイペイですると、

 なんと20%キャッシュバックだったのだ。

 これは、日立市とペイペイのキャンペーンのようです。

 これはいい、だったら同じ日立市内でのお土産購入は、キャンペーンが適用されるのではないか。

 その通りでした、なので友人への日立カステラのお土産は勿論、

 自分への同じく日立名物のゆばチリメンも購入しました。

 それらも期待通り、いずれも20%のキャッシュバックでした。

 

 →これはいい取り組みだと思います。

  利用者はお得感があり、国内需要や地域需要の活発化に繋がるのではないでしょうか。

 

 

 


大道通長安

2024-01-28 07:01:55 | 日記

本業はイラストレーターの、田中ひろみ氏の禅語解説だ。

凡夫には、とても分かりやすかった。

 

◆大道通長安(だいどうちょうあんにつうず)

 ここで言う長安とは地名のことではなく、幸せというような意味合いらしい。

 人生は、その節々でいろいろな岐路にぶつかるものだ。

 下世話な例で言えば、進路選択(学校)・就職選択・伴侶選択などがあることだろう。

 修行僧から老師への問いだ、「求める道(大道)はどこにあるか」に対し、

 「細い道を歩くと大きい道に出る、長安に通じるほどの大きな道だ、それが大道だ」と述べた。

 

 つまり大道通長安とは、どんな道を選んでも必ず長安(幸せ・心の安寧)に通じているということ。

 誰もが平穏で幸せな人生を送りたいと思っているのだが、実はどんな進路を選択しても長安に通じているのだ。

 時には、一見遠回りをしているようなこともある、だが道は続いているのです。

 大切なのは、どの道を選択するかではなく、選んだ道をどう生きるかなのです。

 

 →そういうことなのか、選んだ道を後悔しながら生きるのは、ヘタな生き方というわけか。

 

 

 

 


どうでもいいことがわかる

2024-01-27 06:37:56 | 日記

たびたび引用させていただくのだが、和田秀樹先生の書からだ。

人は、年齢や難病で死を意識させられることがある。

それはつらく残念なことかもしれないが、ひとつ良いことがあるそうだ。

 

今日という日の花を摘(つ)め

 ヨーロッパの格言らしいが、

 「死は必ず来るから、それはしかたないものだと覚悟して、今という時を大切にして楽しく生きなさい」

 との意味だそう。

 どうせ死ぬんだからと投げやりになってはいけない。

 人間の命には誰だって限りがあるのだから、自分の好きなように残りの人生を生きるべきです。

 死を意識したり見極めたりすると、本当にやりたいことが明確に見えてくるものです。

 と同時に、どうでもいいこともわかってきます。

 だから、時間をムダにすることもないのです。

 

 →なるほど、つまりは普段はどうでもいいことに関わっているということなのか、

  少し自分のやっていること、やりたいことの棚卸をした方がいいのかもしれませんね。