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水持先生の顧問日誌

我が部の顧問、水持先生による日誌です。

内山咲良さん

2023年01月03日 | 学年だよりなど
2学年だより「内山咲良さん」




 新年おめでとうございます。
 来年の今頃、自分がどんな状態でいられるかを意識しながら、日々を積み上げていこう。
 内山咲良さんというアスリートがいる。専門は三段跳び。
 一昨年第90回日本インカレ(日本学生陸上競技対校選手権大会)で見事優勝し、現在は静岡県の藤枝市立総合病院で研修医として働きながら、競技を続けている。
 お医者さんの卵だ。つまり医学部で学びながらインカレのチャンピオンになった(ちなみに友田先輩が400mでチャンピオンになった大会でもある)。
 筑波大付属中学の陸上部に入り、走り幅跳びを始めた。高校時代にはインターハイにも出場している。このとき、予選落ちしたことが、その後競技を続けるうえでのモチベーションにもなったようだ。大会後、猛烈と受験勉強にとりくみ、みるみる成績はあがった。




~ 内山 やっぱり受験が近づけば近づくほど、特に高校3年の時は、100%頑張っていたと思います。その時は本当に必死だったからですかね。やっぱり自分が明らかに(勉強が)遅れていると思ったので、このままだと絶対に落ちると、すごく頑張りました。
――それでもインターハイに出場したあと、現役で最難関の理三に合格するというのは驚きです。自身の進路に対して必死になれたのは、なぜですか?
内山 確かに、なんでそんなに頑張ったんだろう。不思議ですよね。高校3年が始まる時に、自分のなかで覚悟を決めていた部分があった気はします。インターハイに出たいって。本気で目指したい、と。でも、インターハイに出ても大学に落ちたらなんかカッコ悪いと思っちゃって。両方やりきることが、すごくこだわりとしてあった。そのこだわりを貫き通したっていうのが高3だったような気がします。誰もやったことがないことをしてみせたい、みたいなところはありました。~




 東大理科三類に合格し、「鉄門陸上部」と称する医学部の陸上部に入る。入学後もハードなトレーニングを続けていた彼女に転機が訪れたのは、大学2年のときだった。怪我をしてしまい、長期間練習ができなくなったのだ。
 それが、自分の練習のあり方を見直すきっかけとなる。高校時代の延長で、ひたすら根性で走りまくり跳びまくっていた練習方法を改めようと思った。体幹を鍛えるトレーニングを中心に据え、競技力をあげる、同時に自分の本当の目標をしっかり見据えメンタルを強化しようとした。
 インカレに出るという目標を達成するためには、悩む時間をとるわけにはいかないと腹をくくったとき、怪我自体もポジティブに考えられるようになった。
 そして大学6年生、見事、日本インカレで自己ベストの13m02を跳んで優勝する。もちろん東大の女子学生として初めての快挙だった。これを文武両道と呼ばずして何と言おう。

コメント
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