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水持先生の顧問日誌

我が部の顧問、水持先生による日誌です。

私の中のあなた

2009年10月16日 | 演奏会・映画など
 白血病の姉のドナーとなるために生まれた妹。
 その妹が、姉のために自分の臓器を移植するのはもういやだと親を訴える、というところから物語ははじまる。

 不治の病で余命いくばくもない場合、むやみに延命させるより、少しでもその生を充実させ、笑顔で旅立ってもらう方がいい …
 なんて、理屈はわかるけど。
 もし、自分の子どもが同じ状況だったら、やはりキャメロンディアスのように、すべての可能性を試そうとするだろうし、取り乱すだろう。
 それを間違いだということは誰にも言えない。
 そこまでがんばってもらわなくていいと言っていいのは、当の子どもだけだ。
 でも、と思う。
 あなたの命はあなただけのものではない、と親だけは言える。
 堂々巡りになってしまうが、答えはないのだ。

 死とは何か。
 なんらかの関わりのある人の死は、たんに生命が無になることではない。
 肉親であれば、なおさらだ。
 だからこそ家族には、身内の死をたんなる悲しいものにさせない力がある。

 妹がなぜ親を訴えたのかは、作品の後半であきらかになる。
 この作品が、たんなるお涙頂戴で終わらず、観た人の心の奥深くにはたらきかけることだけは間違いない。

 今回の試験範囲で、志賀直哉の「城の崎にて」を読んだ。 
 主人公である「自分」が、山手線の電車にはねられて大怪我をする。
 湯治にでかけた城の崎温泉で、はちや、いもりや、ねずみといった小動物の死を見かけ、彼等が死に自分が生きているのにそんな大きな差はない、死とは人知を超えたものであるとしか言えない、という境地に達する小説だ。
 その端正な文体ともあいまって、日本の文学史に残る作品とされる。
 この小説を授業で読む数時間を、南古谷ウニクスに行って、この映画を観る時間にあててられたら、どんなによかったか。
 何十回となく読み、楽天オークションで買った朗読CDを何回もきき、文学史の本にも目を通し、そして教えてみて、やはり今思うのは、「城の崎にて」は「わたしの中のあなた」の足下にもおよばない。
 それはお前に文学を味わう力がないからだとおっしゃられる方もあるかもしれない。
 そう言われたら、昔なら傷ついたかもしれない。
 でも人生も後半に入った今は、こんな小説をありがたがってる人とつきあってられるほど暇ではないと自信をもって言える。
 「城の崎にて」を名作と位置づけなければならない日本文学の不幸というべきか。
 映画をほめようと思い書き始めたのに、筆がすべった。
 「グラントリノ」さえ超えて今年観た一番の映画だ。

コメント (3)
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