水持先生の顧問日誌

我が部の顧問、水持先生による日誌です。

星華祭

2009年09月12日 | 日々のあれこれ
 2時間授業を受けたのち小講堂で準備や打ち合わせをし、星野高校に向かう。
 雨が降ってきた。
 体育館での演奏を予想したが、すると練習する場所はどうなるのだろうと思いながら向かった。
 現場ではずいぶんばたばたしているようだった。
 われわれに課せられたのは待ち。
 ロケみたいではないか。
 われわれは待っているだけだったが、きっといろいろ大変だったのだろう。
 「こうなります!」「メモしてください!」と言いにきてくれる女の子がちょっとテンぱってるようにも見えた。
 だいじょぶですよ、言われた通りにしますから。
 結果として時間通りに中庭で演奏することができてよかった。
 中庭演奏は始めてだが、広くて、四方八方にお客さまがいるので、なかなか難しい空間だ。
 今後こういう機会をまた用意していただけるなら、何かパフォーマンスを考えないといけないかなとも思った。
 演奏後、片付けをして帰ろうとすると、星野高校さんのスタッフの方がバスのところまで来て「先生、ありがとうございました。おかげで楽しくできました」と言いに来てくれる。
 きっと各パートでもこんなあいさつがかわされているのだろう。
 「またいっしょに演奏できたらいいね」とか。
 そうやって男はだまされていくのだ。
 それが男の人生と言える。
 
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9月11日

2009年09月11日 | 日々のあれこれ
 放課後、星野高校さんにでかけ、合同練習。
 体育館について、様子をみていると、どんどん進行していくのでみているだけだった。
 いちおうスコアももっていったが、本番を指揮する二人が進めてくれるので仕事無し。
 それにしても、あわさるといっぱいいるなあ。150人くらいなのだろうか。
 ただ、いっぱいいるんだけど、もう一歩それをいかす演奏ができてなかったので、明日はノリノリでやろうという話を最後にさせてもらった。
 音を吹くなら吹く、休むなら休む。
 いい音かどうか、上手いか下手か以前に、演奏する覚悟があるかどうかが問われる時期だと思う。
 覚悟をもって吹いたなら、たとえ下手でも伝わるものが生まれる。
 ちょっと天気が心配だが、明日は思い切って演奏したいものだ。
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十五日

2009年09月09日 | 日々のあれこれ
 このままではいけないと思い、昨日池袋のジュンク堂で調べてみたところ、「八月十五日」は、訓読みするなら「はづきもち」のようだ。
 では本文中に「十五日」がでてきたら必ず「もち」と読めばいいのかというと、そうでもないみたい。
 『土佐日記』で見てみると「二十日あまり一日」と書いてあるのは、そのまま「はつかあまりひとひとひ」と読む。
 次に「二十二日」とあったら、「はつかあまりふつか」と読んだのか、「にじゅうににち」と読んだのか、確定できないと述べてある本もあった。
 どちらで読む人もいたのだろう。
 男は音読みし、女性は訓読みするほうが多かったのかなという気もする。
 どうしよう。
 とりあえず、新潮社から出ているCDに従って、「はちがつじゅうごにち」と音読みすることにした。

 ジュンク堂のエレベーターから見える、「無敵屋」というラーメン屋さんは、いつも大行列ができている。
 さんざん立ち読みし、お会計をしてから「無敵屋」に行くとすぐに入ることができて、濃厚なとんこつスープだが、でもそれほどしつこくはなく、なるほど行列ができるのもわかるなと思えるラーメンを食することができ、たまの平日休みはありがたいものだと思った。

 今日は、漢文3コマ、現代文1コマ。宿題未提出状態のリストにわが部員の名もちらほら見える。
 「練習するときはみんなでやる、補修になるならみんなでなんなさい」というわたなべ先生の教えが浸透していない。
 きゅうきょ練習を中止し、みんなで勉強せよ司令を出した。
 目先の練習時間は減るけれど、長い目でみれば大事なことだと思ったのだ。
 わかってくれるのではないだろうか。
  
 
 
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9月7日

2009年09月07日 | 日々のあれこれ
 後片づけ。祭りの後。
 終わったが、すぐに星野高校さん文化祭にむけての練習。
 一度教えたことを何度も繰り返すスパイラルから脱するためには、とにかくちゃんと書いて憶えてもらうしかないと思い、合奏中に「これを書きなさい」と言うことにした。
 最初の集合時にも、ノートを用意しておくように言った。
 部員に指示するだけではなく、自分もやったこと、思ったことをきちんと書こうと思った。
 中村俊輔ノートのように。

 合奏を終えて、3年有志を星野高校に送る。
 1・2年の合奏とは別に、3年バンドに合流して演奏する子たちだ。
 星華祭のときいつも思うのだが、3年生バンドは実にいい演奏をする。
 実力があるのはもちろんなのだが、縦を合わせよう、ピッチを合わせようとというのから解放されて、のびのび演奏できて楽しいな、という雰囲気が伝わってくるのだ。
 でも、コンクール前のかちっとした練習を経たからこそ、その一歩先に進めたのはまちがいない。
 うちの3年生有志も、楽しんで参加してきてほしい。

 昨日は、駒大にいるOBから「全国を決めました」とのメールをもらった。
 高校から楽器をはじめた子たちが、大学では全国バンドのClのトップになったり、アンサンブルで金賞とったりするし、部長や学指揮で活躍する子もいれば、ジャズ系にはまっていく子もいる。
 高校在学中はなかなか結果を出してあげられないが、人材を輩出するという面では、けっこううちはえらいのではないだろうか。
 誰も言ってくれないので、言ってみた。

 片付けと練習のあいまに、授業の予習をする。
 近々研究授業をする予定だが、本文一行目の「八月十五日」を、「はちがつじゅうごにち」と読むのか、「はづきとおかあまりいつか」と読むのかわからなくて、行き詰まってしまった。
 20年以上やってるのに、こんなことが説明できない … 。
 

 
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9月6日

2009年09月06日 | 日々のあれこれ
 昨日の西関東大会では、みごと埼玉勢が全国大会へのキップを手に入れた。
 というか、埼玉のどこが代表になるのかが、西関東の場で決められる大会になっているのだが、コンクールに多少なりとも関わっている身として、それも一吹奏楽ファンではなく内情をうかがえる末席にいる身としては、今年度の代表3校の充実ぶりは例年以上であったと思う。
 3校それぞれの斬新な選曲に対しては、いろいろ意見も耳にした。
 さもありなんとは思うものの、この選曲でコンクールに臨み、そして圧倒的なサウンドをつくりあげてくる志の高さは、まわりがあれこれ論評できるレベルのものではない。
 大宮高校さん、与野高校さんも、いくつかの他支部なら文句なく代表になれるレベルであろう。
 しかし、西関東を、つまり埼玉の代表になるには、上手なだけではだめというとんでもないレベルになってしまっている。
 このレベルの戦いにうってでるだけでも、本校はえらい。
 だれも言ってくれないので、自分で言った。
 来年こそこれらの高校さんと、県大会という同じ土俵にのってみたい。
 いや、のるつもりだ。
 そのためにはまず、♭のついてる音符は半音下げられるようになったり、休符のところで音を出さないようになったり、アクセントの意味が言えるようになったりするところから、きちんと積み上げていかないといけない。
 そのために、これからの時期の練習が大切だ。
 と毎年思うのだが … 。

 さて今日は、昨日にひきつづきすばらしい天気。
 おかげさまでたくさんのお客さまに演奏をきいていただくことができた。
 たくさんの拍手をいただいたばかりか、たくさんのおあしまで箱に入れていただいた。
 感謝の気持ちは、これからの演奏でお返しできるようにしたいものだ。
 
 ご来場いただいたみなさま、ご協力いただいたみなさま、ほんとうにありがとうございました。
 私自身は今年は他業務との関係で歌えませんでしたが、お許しいただけるならば懇親会などの折、少しでも時間をいただけるとありがたいです。

 今度の土曜の午後は、星野高校さんで合同演奏を行います。
 よろしければ、ぜひご来場下さい。
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9月5日

2009年09月05日 | 日々のあれこれ
 文化祭初日は、実に気持ちの良い秋晴れの朝ではじまる。
 昨夜雨が降り出して心配してたが、よほど私の日頃の行いがいいのだろう。
 今日の来客数はあまりのびてないようだが、おかげさまでライブ喫茶は常時多数のお客様にきていただけた。
 昨日の合奏で心配だった部分も、本番になるとそこそこはクリアするのが不思議だ。
 明日は、もっとはじける演奏をしてくれるといいなあ。
 まちがってもおこらないから。
 
 
 
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9月4日

2009年09月04日 | 日々のあれこれ
 9月1日は始業式。
 2日に模試で、昨日は一日平常授業。
 今日は授業がなく一日準備の日。
 なんか、昨日もまるまる準備の日でよかったような気がする。
 それにしても昨日までは、校内をみまわしても文化祭の雰囲気がほとんどなかった。
 かろうじて一部の文化部と、中庭から聞こえてくる和太鼓の音が、文化祭を感じさせただけだった。
 今日の午前中で、各教室が一気に文化祭仕様になったわけだが、半日でその準備のほとんどができてしまう内容であることに、本校文化祭の問題点があるとは言える。
 それでも、毎年たくさんのお客さまにきていただけるのが、ありがたいやら、もうしわけないやら。
 せめてわが吹奏楽部くらいは、落ち着いて文化を楽しんでいただきたいという思いで、連日準備をしている。
 昨日の放課後は、買い出しとパンフの印刷でおわり、音楽の面をおけいこしたいという希望はかなわなかったが、今日のリハーサルではいろいろ直すことができた。
 とはいえ、明日、あさっては、おきゃくさまのあたたかいお気持ちにあまえて過ごさせていただくことになるだろう。
 みなさま、ご来場をお待ちしています。
 
 
 
 
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世間

2009年09月01日 | 国語のお勉強
 現代文で必ず一回は、日本には社会はないという話をする。
 社会、つまり近代国家の枠組としての社会であり、市民には個人の自由が認められ、権利が行使できる。もちろん市民としての義務も果たさなければならないが。
 日本には、こういう意味での近代社会は存在していない。
 また、西欧から移入したはずの民主主義も、実は存在してないのである。
 明治になって、近代国家に生まれ変わろうとした日本は、西欧のものの考え方を学び、社会におけるいろんな仕組みを一気に導入しようとした。
 しかし、人々の根本的な考え方はそう簡単にはあらたまらないし、その土台のないところに、近代国家の様々な仕組みを取り入れても、それはうわべだけのものだったのだ。 
 というような話をする。

 たとえば選挙について考えてみよう。
 自分の信念や思想に基づいて、誰に、またはどの政党に投票するのかを決める、とみんな思ってるよね。
 でもそんなもんじゃないんだよ。
 誰それさんの知り合いだから、身内だから、いつか世話になるから、会社の上司に言われたから、といった人間関係に基づいて、誰に投票するかを決めている。
 いまはそういう要素も減ってきたとは思うけど、小さな選挙になればなるほど、まだまだそういうものの積み重ねです。
 その人が属する世間の代表が、議員さんになるというのが、日本のシステムなのです。 村落の代表が市会議員になり、それを束ねる人が県会議員になり、すごい大物が国会議員になる。つまり地域の小ボス、中ボス、大ボスが議員になるということだ。
 そしてその集まりが自民党なのです。
 今は衰えてしまったけど、社会党という一大勢力があって、それを支えていたのは労働組合という世間だった。
 共産党はやたら頭のいい人たちの世間の代表だし、公明党は言わすとしれたといったかんじ。
 自民党というのは、日本の世間そのものなのです。
 お役人は、当然その世間にふくまれます。
 少し前に教員採用試験の不正が明らかになった県が問題になったけど、地方公務員になろうと思ったら、土地の実力者に口をきいてもらうなんてのは、田舎ではごくあたりまえのことだし、今も本質は変わってない。
 良い悪いではなく、そういう世の中を日本人は生きてきたのです。
 昨日今日にはじまったことではないから、そう簡単になくなるものではない。
 個人の自由が認められ、公序良俗に反しない限り、人は何をやってもいいのが近代市民社会のはずですが、現実のはそうではない。
 そういう意味で日本に近代社会は存在しないのです。われわれは社会ではなく世間を生きているのです。
 という話をする。

 と考えると、今回の選挙で民主党が第一党になったというのは、日本の歴史に相当大きな意味をもつ。
 なんて、おれがあらためて言うことではないけれど。
 何十年もにわたり自民党の一党政治が続き、役人はもとより、マスコミまでが自民よりであるうえに、近年は宗教組織の顔色をたえずうかがってばかりだった日本の政治状況は、外国から見たら、一党独裁のとんでもない前近代国家だったにちがいない。
 まがりなりにも、自分の属する世間の代表ではなく、なんか変えてほしいという方に人々が行動した。
 システムの変更はほとんどないと思うけど、私たちの心の有りようは、少し変わったのではないかと思うのだ。

 いつぞや娘が「ドイツって二つに分かれてたの?」と言ってたが、今の若いたちがそういう感覚であるのと同じように、われわれ世代は「えっと、ドイツはいつのまに一つになったんだっけ」という感覚がある。
 バレーボールなんか見てると特に、ドイツというより東ドイツのイメージでみてしまう。
 政治の世界では、物心付いたときから自民党が第一党で、第二党が社会党、それが普通だった。
 一生、そのままだとついこの間までは思っていた。
 21世紀に生まれた子どもたちは、政党といえば民主党という人生を歩むことになるのかな。
 麻生首相には、今や感謝の言葉しかでてこない。
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