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水持先生の顧問日誌

我が部の顧問、水持先生による日誌です。

教養

2020年09月10日 | 学年だよりなど
  3学年だより「教養」


 教養ある大人になること――。
 これは、手段ではなく目的ではないだろうか。
 なぜか。それが豊かな人生を生むからと、出口治明氏は言う。


~  一番簡単な答えは、教養がある人は、教養がない人に比べて豊かで楽しい人生をおくれるからです。僕は「おいしい人生」という言い方をしていますが、講演でご飯のアナロジーで「おいしいご飯とまずいご飯、どちらを食べたいですか」と質問すると、みなさん「おいしいご飯」と答えます。当たり前ですよね。
 次に「おいしいご飯を因数分解するとどうなりますか」と重ねて質問すると、「いろいろな材料を集めること」と「上手に料理すること」という答えが返ってきます。正しい解答だと思います。
 では「おいしい人生」を因数分解するとどうなるか。答えはおいしいご飯と一緒で、いろいろな材料を集めることと、それらを上手に料理することです。
 おいしい人生における食材とは「知識」であり、上手に料理する力は「考える力」です。まず、材料である知識がなかったら何もできません。ただし、材料を集めてもそれを人生において具体的に活用する考える力がなかったら、おいしい人生を楽しむことはできません。
 以上をまとめれば「教養=知識×考える力」という式になり、これはおいしい人生をおくるには必須のものです。 (出口治明『還暦からの底力』講談社現代新書) ~


 右辺「知識×考える力」のそれぞれの比率は、時代によって変化すると出口氏は言う。
 第二次世界大戦に敗北した後の日本は、知識のウェイトが大きかった。
 復興を急ぎ、生活を立て直し、「アメリカに追いつき追い越せ」と国民みんなががむしゃらに働いていた時代は、既存の知識を吸収して活用していくことが第一だった。
 言い方を変えれば、マネすればよかったのだ。
 GMやフォードをまねて自動車を作り、GEをまねて電化製品を作り、それでいて勤勉な日本人は、あっという間に質の良い製品を大量に生産できるようになった。
 しかし、世の中の変化のスピードがあがってくると、知識そのものの価値よりも、新しいものを生み出すための「考える力」が重要になってくる。
 人間の個人レベルにおいても、その年代によって「知識」と「考える力」の重要性は変わる。
 戦後の日本のように、知識のインプットとマネが必要な段階がある。
 知識が不足した状態で生まれた「考え」は未熟なものだ。自分の知識不足に気付かずに「どや顔」している本人は、相当はた迷惑な存在だ。
 現在、自分の頭で考えることの重要性ばかり強調される風潮にあるが、独りよがりにならないために、まずは知識を身につけよう。十分な知識は、脳内で勝手に熟成してくれる。
コメント
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