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水持先生の顧問日誌

我が部の顧問、水持先生による日誌です。

才能をつくる

2018年10月24日 | 学年だよりなど

    学年だより「才能をつくる」


 「絶対音感」という能力がある。世の中のありとあらゆる音を聞き分け、これはド、これはソ、これはミとファが混じった音と聞き分け、演奏という形で再現することもできる能力だ。
 有名な音楽家でも、持っている人と持ってない人がいる。
 数十年前までは、天賦の才能の一つとされていたものだが、現在では「適切な経験と訓練」によってたいていの人が習得できる能力と考え始められている。
 バイオリンややチェロの演奏家になるには、左手の動きに徹底的な訓練が必要となる。
 プロの弦楽器奏者の脳を調べてみると、左手をコントロールする脳の領域が、一般人と比較して圧倒的に大きくなっていることがわかってきた。


 ~ 音楽のトレーニングはさまざまなかたちで脳の構造や機能を変え、その結果として音楽を演奏する能力が向上する。言葉を変えれば、効果的な練習をすると、単に楽器の弾き方が身につくだけではない。演奏する能力そのものが高まるのだ。効果的な練習は、音楽を演奏するときに使う脳の領域を作り替え、ある意味では自らの音楽の「才能」を高める作業にほかならない。 (アンダース・エリクソン『超一流になるのは才能か努力か?』文藝春秋 ~


 音楽家は、演奏技能を習得するためだけに練習しているのではない。
 持って生まれた脳では不可能な演奏をするために、自分で自分の脳を作り変えているのだ。
 その結果として、彼らの演奏は人の心をうつものになる。
 聴いている側は、想像もできない美しい世界に連れて行かれ、彼らは常人にはない天賦の才能をもつ人たちだと判断する。
 実際には、常人が想像しづらいほどの練習を積んだ結果として、その演奏が生まれたのだ。
 振り返ってみると、入学したときと比べて、卒業時にはおどろくほど伸びていたと感動した先輩達を、何人も思い浮かべることができる。勉強でも部活でも。
 入学時の能力からは想像もできないレベルに達していったその姿は、「適切な経験と訓練」で中身自体が変わったからだと考えれば、納得できる。
 天から与えられたものが「才能」ではない。
 それを自分でどれくらい変えられたかによって、その人の才能の総量が決まる。
 「与えられたもの」ではなく、「自分で作るもの」と考えることができるなら、勉強や練習の方法論も変わってくるはずだ。
 どんな分野においても、ある能力を開発するために長期間にわたって訓練を続けると、それに関係する脳の領域に変化が生じる。
 脳そのものを自分で変えれるなら、「無限の可能性」という言葉さえ絵空事でなくなる。
 環境をかえることは難しい。この学校で学ぶこと、住んでいる場所、家族……。体型、容姿、性格といった自分もなかなか変えにくい。
 勉強で脳を変えることができるのなら、勉強こそ人生を変える手段といえる。

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