「騎士団長殺し」と名づけられた絵画がある(あった)という。
日本画の重鎮、雨田具彦氏の作である。ただし、現在はその存在が確認されていない …
というように、もしも「騎士団長殺し」が実在したなら、こんな物語が生まれていてもおかしくはないのかもしれない。
もちろん、われわれ一般人が当事者として巻き込まれることはまずあらない。
しかし、この世のどこかで、実際にこんなことがあってもおかしくはない感じがするくらいには現実的だ。
だから、何かに風刺とか、象徴とかには感じなかった。
上下二巻を読み切って、いちおう話はおさまっているものの、どこかすべてが解決していないままになっているように感じるのも、この作品のリアルさを支えている条件かもしれない。
現実の生は、解決しないから。人と人との関係も、人と物との関係も。
そもそも「解決しない」感じは、作品の冒頭からずっと漂い続けている。
音楽で言えば、解決しない和音がずっと続いているような。
そろそろこのあたりで、一回きれいにハモって、句点か、少なくとも読点はつけたいと思うのだが、つきそうでつかない。
最近おぼえた専門用語でいえば、「Ⅱ・Ⅴ・Ⅰ(ツーファイブワン)」みたいに、一回おちつく部分がないのだ。
ドミナント、サブドミナントの和音が続き、そろそろトニックに解決するよねと思っていると、え? 何このコード? みたいに落ち着かせない。
事件がおこり、主人公が苦難を乗り越えて、見事解決する。平和がおとずれ、主人公は、かわいい女の子とラブラブになって幸せになる … というお話なら、安心して読める。
そういう作品は、読み終わったあとの自分に何を残すのだろう。
楽しめればいい、という読書はそれでいいし、自分はほぼほぼそんなのばかり読んでいる。
ずっとドミナント感覚が続き、作品が終わってからも、自分の存在自体の解決しないモヤモヤ感を残してくれるような小説も、たまにはいい。そうやって読み続けてしまう状態は、その昔「赤頭巾ちゃん」シリーズを読み続けてたときの至福感を思い出させた。
ドライブ感といってもいいかな。テンポがはやいわけでも、低音がひっぱっていったりもしてないはずなのに、どんどんもっていかれてしまう。グルーブって言うんだっけ。ほんとは国語の先生でもある植田薫氏ならうまいこといってくださりそうな気もする。
「ララランド」もそういうところがあった。お約束的な解決には導いてくれないところが特に。