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水持先生の顧問日誌

我が部の顧問、水持先生による日誌です。

堀江敏幸の小説が高校入試に出たら

2016年02月28日 | 国語のお勉強(小説)

 

 次の文章は、堀江敏幸の小説「トンネルのおじさん」の一節である。これを読み、後の問いに答えよ。


「弁当といっしょに乗れ」
 右肘(ひじ)を窓枠にかける片手運転でおじさんが言う。急いで反対側にまわって乗り込むと、おばさんが外まで見送りに出てきて、いってらっしゃいと小さく手を振った。靴底が厚いせいか足がしっかり底について踏ん張りがきく。これなら左の窓のうえの取っ手につかまるだけで、シートベルトはしなくてもよさそうだ。柿の木の道に車をもどし、山に入っていく。家とそのまわりではあんなに吸っていた煙草(たばこ)を、おじさんは①〈 口にしなくなっていた 〉。
「山では昼飯のあと一服するだけだ。大事に吸って、大事にもみ消す。火事がいちばん怖い」
「でも、雨が降って木は湿ってるよ」少年が言うとおじさんは感心したようにちらりと助手席を見た。
「そうだな。天気つづきでからっとしてるときよりは、心配がない。だが心配することと用心することは、似てるようでちがう。心配ってのは、用心しない者が口にする言い訳だ。煙草はもう一日分吸ってきた。あとはおまけ、ご褒美だ」
「A〈 でも、いい匂いだよ、おじさんの煙草 〉」
 それからしばらく、黙ったまま揺れに身をまかせた。黙ったままというより、うるさくて言葉が聴き取れないのだ。タイヤにはじか②〈 れ 〉た小石が車体の下に飛んで腹の部分を打ち、その衝撃がふたりつづきになっているシートからお尻に伝ってくる。
 急に視界が開けた。いや、開けたのではない。丈の低い山はまだ連なっているのだが、斜面の一部の緑が薄くなって茶色い地肌がのぞいていて、そこだけ妙に明るんでいたのだ。車が一台通れるだけの道幅だから、ときどきすれちがうときに使う逃げ場が用意されている。おじさんは湧き水が流れている小川の横にあった楕円(だえん)形の空き地にトラックを停めた。

 夏休みに入ってすぐ、どうしてもお父さんと話し合わなければならないことがあるからと、母親は少年を兄夫婦にあずけた。ここに着いた日は平日だったので、迎えに来てくれたあとおじさんはすぐまた仕事③〈 に 〉出て、翌日にはもう母親だけ東京に帰っていったから、一対一で向きあうのは今日が最初だった。東京では、親しみをこめて「トンネルのおじさん」なんて呼んでいるけれど、父親が家に帰ってこなくなってから一年以上になるし、学校の先生以外に大人の男のひとと話をする機会もなかったから、どうしても言葉を出すタイミングがつかめない。働きに出るようになって、母親は少しずつ変わっていった。忙しいからなんて言い訳をぜったいしないひとだったのに、こちらを向く余裕がなくなっていた。十日くらい、もしかしたらもっとながくトンネルのおじさんのところで世話になるからね。母親がそう言いだしたときも、だから驚きはしなかったし、落胆もしなかった。それで家の問題が片づくならなんでもしようと思っていた。そして、思っていたからB〈 あえて口にはしなかった 〉。日記と計算ドリル、漢字ドリルは忘れずに持ってきた。遊びに飽きたら畑の仕事でも手伝えばいい気分テン④〈 カン 〉になるなんて母さんは適当なこと言っていたけれど、夏の工作だけはまだなにをつくるかすら考えていなくて、それを食事のときふと漏らしたら、食卓でもくわえ煙草のおじさんが、じゃあ、木でなにかこしらえてみろ、材料ならいくらでもある、と少年を見た。
「木っ端や枝を使う工作は、もう友だちがやってる」
「じゃあ、根っこを使えばいい」
「根っこって……」
「そこにある」
 食堂から見える居間のテレビのよこに、いぼいぼのある蛸(たこ)みたいな木の根が、蛍光灯の光を照り返しながら艶(つや)やかに鎮座していた。飴(あめ)色の木肌がくねくねして、外国の物語で知ったグロテスクという言葉を連想させる。顔に出たのだろう、おじさんがめずらしく笑顔になって、そう怖がることはないと言った。
「おなじものをつくるわけじゃない。それだってもとは頼まれ仕事だ。農閑期といってな、暇なときにつくる。こういう飾りものの好きな連中がたくさんいるんだ。根を掘りだして、いろんなかたちに見立てる。その気になれば蛸に見えたり、カニに見えたり、ひとの顔に見えたりする。節も、傷も、みんなちがう。それを生かして、よけいな部分を伐(き)る。水で洗って、皮をはいで、木肌を出したらワックスをかけて磨く。それだけだ」
「おもしろい?」
「C〈 どうだろうねえ 〉」とおばさんが代わりに応えた。「釘を打ったりしないから、工作にはならないかもしれないけど、でも、せっかく田舎に来たんだし、田舎のおじさんの言うこと聞いてみたら?」
「田舎のおじさんとはなにごとだ」
「だって、いまどき木の根っこを掘って磨くなんて、よっぽど想像力のある子どもだって考えつかないわよ」
 おじさんは不機嫌そうにビールをあおり、その気があるなら日曜日に連れて行ってやる、小さいのを掘り出せば、あとはひとりでぜんぶできると言った。

 そこから三十分以上、黙って歩きつづけたころ、おじさんが、お、と声をあげ、横道に大股(また)でがさがさ分けいって、かなり傷んでいる比較的若い切り株に近づいていった。
「もっと先まで行くつもりだったが、こいつでよさそうだ」
 かついでいた袋からスコップを出して、おじさんは根本の土を先でつついた。地表は雨のおかげでやわらかそうだ。一部の土を取り除いて出てきたもっと固い土を、今度はピッケルの先で試掘する。何度か突き刺しているうち、大きな石にあたってがちんと音のすることがあったが、あとは土ばかりのようだ。よし、やってみろと軍手を渡されて、少年はスコップの大型になったようなシャベルを握り、反対側を掘りはじめた。しかし、見た目からは想像もできないほど丈夫で節だらけの根が地中深くくいこんでいて、子どもの力ではなかなか歯がたたない。アカメガシだ、瘤(こぶ)に疣(いぼ)がある、そういうのを欲しがる物好きがいてなとつぶやいて、ああそうだった、こいつはもちろんおまえのだ、と言いなおした。こんなに頼りなげな木なのに、根だけは中型犬までなら簡単に包めそうなくらいがっしりと張っている。たとえ最後まで掘り出せなくても、日記に記しておくだけでじゅうぶんさまになるだろうと、少年は感嘆しながら手を動かしつづけた。
「潮干狩りみたい」
 思わず口に出すと、おじさんは顔をあげて、そうだな、と片頬(ほお)だけで言った。
「去年、海の家に行って、近くの浅瀬で潮干狩りした」
「母さんと行ったのか」
「うん。ふたりで行った」
「D〈 そうか……海と山で、贅沢(ぜいたく)なやつだな 〉」
 根に巻き込まれた石をピッケルで砕いて、かけらをひとつずつ拾いあげていくと、ゴボウみたいな髭(ひげ)のある細い根がだんだんあらわになり、土と根のあいだに空隙(くうげき)ができて手が入るようになってきた。ごつごつした根の中心が見え隠れする。ふたりとも、なにも喋(しゃべ)らずひたすら掘りつづけた。ぐらぐらして、あとひと息のめどがたったところで、そろそろ昼にしようとおじさんはいい、穴から離れた木の下の斜面にビニールシートを敷いて弁当をひろげた。軍手をしていたのに細かい砂が入って、指先まで真っ黒になっている。それをおしぼりできれいにふき取った。四角い布巾(ふきん)を濡らして固く絞り、きれいにまるめてビニール袋に入れただけの、正真ショウ⑤メイのおしぼりだ。母親が買ってくる弁当には甘ったるい薬品の匂いのするウェットティッシュがついているけれど、どうしてもそれを受けつけられない少年にはありがたいことだった。
 E〈 おにぎりはひとつひとつが大きくて、重くて、丸々している 〉。ぴたりと巻きつけられた海苔(のり)に米粒の水分がしみてしっとりしているのも、色紙の細工みたいなパリパリした海苔のおにぎりばかり食べている身にはめずらしい。ひとくち頬張ると、指先にも、歯にも、かけらが張りつく。おじさんの前歯にも、黒いしみがいっぱいできた。米粒だって不(ふ)揃(ぞろ)いだけど、こんなにおいしいおにぎりは食べたことがない、ツナなんてぜんぜん必要なかった、と少年は素直に感動した。おかずもぜんぶ手でつまみ食いし、お茶をたくさん飲んで、しばらくは動けないくらい胃を満たした。おばさんが心配してくれていた靴ずれはなかったが、さすがに疲れたせいか、足裏がむくんだように熱を持っていた。それを言うと、靴を脱いで少し横になってみろ、元気が出てからまたはじめればいいとおじさんは言って、編みあげ靴から足を引っこ抜く手助けをしてくれた。抜いたとたん、林の冷気のなかで熱が引いていく。リュックを枕にしてひろげたビニールシートのうえで横になると、木漏れ日に目がちかちかしてそのまま意識が遠のいていきそうだった。トンネルのおじさんはポケットから煙草をとりだして火をつけ、ゆっくりとじつにうまそうに吸い、吹き消したマッチの軸を楊子(ようじ)がわりにして歯の掃除をした。
 ひとつ大きく背伸びをして、今度は大きいほうのシャベルを掴(つか)み、むかしの水運びみたいに首の後ろに柄の部分をまわすと、両腕をだらんと柄にかけ、そのまま右、左と身体をひねった。おじさんはまた軍手をはめて穴のへりにしゃがみ込み、建物の壁を這(は)う蔦(つた)さながら細くて丈夫な根を引き抜こうとする。のこぎりで切り落とせば簡単なのだが、あまりいいかげんにやると、あとで形を整えるのがむずかしくなる。まずは掘りだし、余裕をもってカットしておいてから、どちらをどう向けるのか検討する。ふつうは根の下のほうをひっくり返して、曲がった四肢が空へ伸びていくよう⑥〈 あんばい 〉するのだそうだ。少年は十分に冷えた足をあわてて靴に突っ込み、紐(ひも)をむすぶのもそこそこに、ぼくもやると言って穴にもどった。もっと太いものになると深めにシャベルを差し、支点に大きめの石をあてがって梃子(てこ)の原理でぐいと持ちあげるのだが、このくらいだとすぐ傷がついてしまう。安全を期すならやはり手で持ちあげるのが最適だった。ぶちぶちと根をひきちぎりながら、トンネルのおじさんが、母さんはいつ迎えに来る? と少年にたずねた。
「十日くらいしたら。電話するって」
「ほかになにか聞いてるか?」
「聞いてないよ」
「そうか」おじさんは、ほんの息継ぎのような間を置いた。
「楽しいか」
「うん」
 ひげの生えた根がどんどん両手に集まって、まりものような玉になる。なぜだかわからないけれど、ずっと開けていないたんすの引き出しのなかみたいな、かび臭い空気がふっと鼻をつく。ぶちぶち言う音が消えたところで、おじさんはようやく手を休めた。
「F〈 休みが終わるまで、いてもいいんだぞ 〉」
 麻袋からロープを出すと、おじさんは穴に片足を突っ込んで二股、三股に伸びた根の周囲に二重、三重に渡し、両端をのばしてそれを少年に握らせて地面にあがった。それから少年の横に立って、せーので引っ張るぞ、と腰を落とした。真っ黒な土のうえに、形がまったくおなじでサイズだけが異なる靴が四つならんでいる。この靴、誰のなんだろう? 根ではなくその靴を見ながら少年は問いを呑(の)み込み、おじさんのかけ声で一気に引くと、めりめり音を立てながらロープが伸び切ってぴんと張り、醜いかたまりがわずかに持ちあがった瞬間いちばん細いところがばきんと折れて、ふたりの臀部(でんぶ)を湿った土にやわらかくたたきつけた。


問一 二重傍線部①「口にしなくなっていた」を正しく単語に分けたものを選べ。
 ア  口に/しなく/なって/いた
 イ  口/に/しなく/なっ/て/いた
 ウ  口/に/し/なく/なって/い/た
 エ 口/に/し/なく/なっ/て/い/た

問二 二重傍線部②「れ」と活用形が同じものを選べ。
 ア じゃあ、木でなにかこしらえて〈 みろ 〉
 イ 細くて丈夫な根を〈 引き抜こ 〉うとする
 ウ 小さいのを〈 掘り出せ 〉ば、あとはひとりでぜんぶできる
 エ ふたりの臀部を湿った土に〈 やわらかく 〉たたきつけた

問三 二重傍線部③「に」と意味用法が同じものを選べ。
 ア 弟は評判の映画を見〈 に 〉行くらしい。
 イ 姉は望み通り公認会計士〈 に 〉なった。
 ウ 兄は今、札幌〈 に 〉単身赴任している。
 エ 私は今朝、母〈 に 〉叱(しか)られたばかりだ。

問四 二重傍線部④「カン」と同じ部首の漢字を含むものを選べ。
 ア 駅前の〈 キッサ 〉店で待ち合わせることにした。
 イ このやり方では〈 サイサン 〉が合わない。
 ウ 〈 テツヤ 〉で試験勉強をした。
 エ 自己〈 ケンオ 〉におちいった。

問五 二重傍線部⑤「メイ」と同じ漢字を書くものを選べ。
 ア ついに出陣の〈 メイ 〉が下った。
 イ 前回の失敗を肝に〈 メイ 〉じて取り組んだ。
 ウ 〈 メイ 〉ショウ武田信玄公をまつった寺であった。
 エ 大山〈 メイ 〉ドウして鼠(ねずみ)一匹という結果に終わった。

問六 二重傍線部⑥「あんばい」の意味として最も適当なものを選べ。
 ア 迅速に対処すること。
 イ ほどよく処理すること。
 ウ ゆっくりとねじり採ること。
 エ ていねいに入れ替えること。

問七 傍線部A「でも、いい匂いだよ、おじさんの煙草」というセリフの役割を説明したものとして最も適当なものを選べ。
 ア おばさんに嫌われている煙草の煙もふくめて、「おじさん」のすべてを受け入れて生きていこうとする少年のけなげな心を表現している。
 イ 自然保護のために煙草を我慢する「おじさん」に意外さを感じ、もっと自由に生きてもいいと伝えたい少年の気持ちを表現している。
 ウ この先も「おじさん」とつきあっていかなくてはならないことを予感し、「おじさん」を好きになろうとしている少年の努力を表現している。
 エ 大人の男と話すことに慣れていない少年の、「おじさん」に対しての親愛の情をなんとか伝えたいという思いを表現している。

問八 傍線部B「あえて口にはしなかった」とあるが、この時の少年の心情を説明したものとして最も適当なものを選べ。
 ア 家庭の問題をすっきり片付けるためとはいえ、十日も他人の家で過ごすことに受け入れがたいものを感じてはいたが、それを口にすることで自分に対する母親の愛情が完全に失われてしまうのではないかという不安にかられていた。
 イ 母親の元を離れて「トンネルのおじさん」の家で暮らすことに対する不安や不満はそれほどなかったので、母が父との関係を今後どのように清算していくつもりなのかを問いただすのは遠慮したいと思っていた。
 ウ 余裕を失っている母の姿を見るにつけ、家の問題が片付くために自分ができることは何でもしたいと思っていたが、その気持ちを伝えることで母に自分を気遣わせることのないようにしたいとも考えていた。
 エ 父と母との仲が悪くなっていることを以前から気づいていたものの、はっきりとそれを口に出してしまうことで、今まで通りの暮らしがもう二度ともどってこないという現実をつきつけられることをおそれていた。

問九 傍線部C「どうだろうねえ」にこめられた「おばさん」の心情を説明したものとして最も適当なものを選べ。
 ア 木の根っこを掘り出して磨くことが楽しいものであるかどうか疑問は持ちながらも、日頃(ひごろ)体験できないようなことを少年に味わってみてほしいと考えている。
 イ 都会の子供には難しすぎて結局自分が手伝わなくてはならなくなることを予感しつつも、かわいい甥(おい)の面倒をみてやるのも仕事のうちだと考えている。
 ウ 自分から相談したくせに根っこ細工のアイデアに不満そうな甥っ子に腹を立ててはいるが、なんとか機嫌をとって宿題をやらせてしまわなくてはならないと考えている。
 エ 無理やり誘っても少年にとっては迷惑なだけだろうと思いながらも、夫の善意の意見を否定して面目をつぶすことになるのもかわいそうだと考えている。

問十 傍線部D「そうか……海と山で、贅沢なやつだな」の説明として最も適当なものを選べ。
 ア 母と海に行き、一方でこうして自分たちと山の暮らしを堪能(たんのう)しているのは、家庭の問題とは別に純粋に恵まれたものかもしれないと思い当たって思わず口にした言葉である。
 イ 父親がいないからといって海と山の両方で遊ばせるような贅沢は、かえって少年をわがままな性格に育てることになるのではないかという心配が言わせた言葉である。
 ウ 子供を海に連れて行くような余裕がありながら、忙しいことを口実に何日も少年を自分に預ける妹の自分勝手さ、薄情さに対する怒りが口をついた言葉である。
 エ 父親の存在がないことを少年に確認させてしまい、つらい思いを抱かせたのではないかという不安と反省の思いを抱いたが、それを悟られないように苦心してひねり出した言葉である。

問十一 傍線部E「おにぎりはひとつひとつが大きくて、重くて、丸々している」とあるが、「おにぎり」についての説明として最も適当なものを選べ。

 ア  同じものを食べるという行為を描くことで、少年とおじさんのつかのまの一体感を媒介するものとして用いられている。
 イ  両親の不和でつらい思いを味わっていた少年に子供らしい感情を取り戻させ、一時的な解放感をもたらす道具として用いられている。
 ウ  都会での少年の暮らしの中では体験できないものを象徴的に表し、少年がそれに心惹(ひ)かれていることを表現している。
 エ おじさん自身もいつかは戻っていかなければならない厳しい現実社会を一瞬忘れさせるような、おばさんの愛情の大きさを暗示している。

問十二 傍線部F「休みが終わるまで、いてもいいんだぞ」にこめられた「おじさん」の心情を説明したものとして最も適当なものを選べ。                                                  
 ア 都会育ちのひ弱な子供だと思っていた少年の働きぶりを見て、これなら自分の仕事を手伝わせることもできるし、少年に充実した夏休みを過ごさせることもできると喜んでいる。
 イ 親の事情で自宅を離れて田舎にやってきた少年のことを心配していたが、ひたむきに作業を続ける姿を見てとりあえず安心するとともに、そんな少年にいとおしさを感じている。
 ウ 少年に対する妹夫婦の扱いは納得できず、親戚(せき)なりに意見しようかと思う反面、親子の問題についてはやはり少年の意志を第一に考えることが大切だろうと思い始めている。
 エ 木の根っこ堀りの作業に半ば強引に少年を連れ出してみたが、予想以上に熱心な姿に心を打たれ、いつまでも自分の手元において自然のすばらしさを教えてやりたいという思いが募っている。 

問十三 本文の説明として正しいものを選べ。
 ア  都会に育った少年が母の離婚をきっかけに田舎に移り住み、そこで新しい人間関係を築いていく様子を、主人公の独白を中心としながら丹念に描いた文章である。
 イ 大人たちのずるさを敏感に見抜き、自分自身が成長していくことで、無意識のうちに自分なりの世界をつくっていこうとする少年の姿が巧みに描かれている。
 ウ 心情描写に深入りしないで出来事を淡々と描きながら、おじさん夫婦と少年の心のふれあいを、飾り気のない文体でじっくりと描き出した作品である。
 エ 二組の夫婦の対比をあぶり出すことによって、ほんとうの自分を見失いかけながらぎりぎりのところで踏みとどまろうとしているナイーブな少年の姿を描くことに成功している。


 こたえ
  問一 エ  問二 エ  問三 ア  問四 イ  問五 イ  問六 イ
  問七 エ  問八 ウ  問九 ア  問十 エ  問十一 ウ  問十二 イ  問十三 ウ

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内田樹先生の文章が高校入試に出たら

2016年02月28日 | 国語のお勉強(評論)

 

  次の文章(内田樹『おじさん的思考』より)を読み、後の問いに答えよ。


 私たちは「自分を傷つけたい」という倒錯した欲望を抱え込んで生きている。だから、a〈 自分の身体を傷つけることになると私たちはとたんに勤勉になる 〉。酒を呑(の)み、煙草(たばこ)を吸い、身体に悪い食べ物を腹一杯に詰め込み、倒れるまで働き、倒れるまで遊ぶ。
「適度に酒を呑み」「適度な運動をし」「腹八分目に食べて」というようなことを気楽に言ってくれる人がいるが、これは実にb〈 困難な 〉要請であると言わねばならない。それは「適度」ということが人間の本性にそもそも反しているからである。
 経験から言えることは、「気持が悪くなるまで呑む」方が「控えめに呑む」より容易である。「腹一二分目に食べること」の方が「腹八分目に食べる」より容易である。
 このような人間のあり方を私は「身体に悪いことをする方が、身体によいことをするよりも人間の本性にかなっている」というふうにまとめたいと思う。どうしてそんな本性が人間には備わってしまったのか、私にはうまく説明できない。説明できないけれど、そのような本性が備わっている以上、それはおそらくは私たちの「類的宿命」の一部なのであろう。
 自分の身体を壊したいという欲求と同じく、私たちは心のどこかに「地球を壊してしまいたい。人類を滅ぼしてしまいたい」という暗い欲求を抱え込んでいる。〈  ①  〉 、私たちはそういう想像をするのが大好きだ。
 宇宙からの侵略者が人類を皆殺しにする話も、致死性のウイルスが世界に蔓(まん)延する話も、彗(すい)星が地球に衝突する話も、火山が大都会で爆発する話も、津波が都市文明を呑み込む話も、熱帯雨林がなくなってしまう話も、緑の大地が砂漠化してしまう話も、極地の氷が溶けて世界中が水没してしまう話も、オゾン・ホールから紫外線が照射してきて全人類が癌(がん)死する話も、私たちは大好きだ。〈  ②  〉  、(注)ハリウッドのプロデューサーたちはそういう映画にはいくらでも金を出す。
 子どもたちもその種の(注)カタストロフが大好きだ。劇場版の『ドラえもん』はすべて地球滅亡の危機が、のび太とドラえもんの活躍で、危機一髪のところで回避されるという物語である。子どもたちが好きなのは「みんながしあわせに暮らす話」ではなく、「 〈    c    〉 」なのである。
 これらの「地球滅亡危機一髪」話に共通するのは、主人公たちの並外れた強運と奇跡的な偶然によって、かろうじて危機が回避された、という説話構成である。危機は「たまたま」回避されたにすぎぬのであり、本質的な危機は、つねにいまもそこにある(だからこそ、多くのパニック映画では、その災厄が再び私たちを訪れる「予兆」がラストシーンに示されている)。
 人間は個体のレヴェルにおいても、類的レヴェルにおいても、「滅ぶべきものである」。私たちは個体としては必ず死ぬし、人類もあと何億年かのちにはかげもかたちもなくなっているだろう。〈  ③  〉 、そのことを私たちは日常の営みのなかでは忘れている。明日も自分は生きているだろうし、来年も地球はあるだろう、というd〈 幸福な健忘症 〉のうちで私たちは安らいでいる。
「体に悪いこと」をする私たちの(注)嗜癖は、あるいは「私たちは死すべきものである」という悲痛な事実を私たちに思い出させることをその任としているのではないだろうか。私たちが自分の身体を執拗(しつよう)に、傷つけ、壊すのは、逆説的なことだが、「私たちはまだ死んでいない」ことを確認するためなのではないか。
 私の旧友「小口のかっちゃん」は医者のくせにヘビースモーカーで酒飲みである。彼は「美味しく煙草を吸ったり、お酒を呑んで愉(たの)しく酔いつぶれるためには、人は健康でなければならない」という考えの持ち主である。「不健康に生きるためにはまず健康であることが必要なのである」という彼の持説はe〈 私にはたいへん説得力がある 〉。
 人間は「人類を滅ぼす」テクノロジーが理論上可能になった瞬間、そのテクノロジーを実用化せずにはいられなかった「たまらん」生き物である。それは、私たちが構想しうるいちばん恐ろしい想像を具体的に、ものとして、見たい、触れたい、と思わずにはいられないからである。私たちは恐ろしいものから目をそらすことができない。本当に怖いものは、視線の届く範囲、手の届く範囲にあるほうが気が楽なのである。
 核兵器は「地球の滅亡」という悪夢の具体的なかたちである。
 核兵器を使用すれば人類は滅びるという想像に耐えながら、あえて発射ボタンを押さないでいるときはじめてf〈 私たちの「存在実感」に細々とした明かりがともる 〉。私たちはそのような度(注4)し難い生き物なのである。自分たちがそういう生き物であることを素直に認めよう。
 このボタンを押したら、どういうふうに都市が融(と)けて、文明が滅びて、人間が死に絶えるのか、ということについてあたう限りの想像力を駆使し、それを繰り返し繰り返し図像化し、物語化しては人々は胸ふたがる思いと同時に、胸ときめく思いも味わってきた。そして、「地球の壊滅」をできる限りリアルに想像すること、「人類の終わり」についての目を覆わんばかりに悲惨な光景を描き出すことのg〈 「愉しみ」 〉が、核戦争の勃発(ぼっぱつ)をかろうじて食い止めてきた。私はそんなふうに考えている。
 逆のケースを考えて見れば納得がゆくだろう。
 もし、核兵器を持った人々に「地球の滅亡」や「人類の終焉(しゅうえん)」を絵画的にリアルに想像し、それを「愉しむ」能力が欠けていたらどうなっただろう。核兵器を使用する前の「ためらい」はずっと軽減されてしまうだろう。
「地球の破壊」や「人類の死滅」という悪夢を見ることはある種の「自傷の快楽」をもたらす。そして逆説的なことだが、この快楽を持続させるためには、とりあえず地球は破壊されてはならず、人類は死滅してはならないのである。それは「不健康な生活を愉しむためには、健康であることが必須(ひっす)」という「小口のかっちゃん」の理説に通じている。
 この先も私は身体に悪い嗜癖を手放せないだろうし、人類は地球を破壊しかねないテクノロジーを手放さないだろう。私に健康なことだけをさせようとする説得も、最終兵器を廃絶しようとする運動も、おそらく成功しないであろう。それは「私はいま不意に死ぬかもしれない」という思いだけが、私たちに今を生きている実感を与えてくれるからである。それは毎分毎秒少しずつ死にむかっているという「死の必然性」のゆえにではなく、「いつ死ぬか分からない」という「死の偶然性」ゆえに、今の生命がいとおしいと感じ、h〈 その瞬間 〉にだけ世界が美しく見える人間の「業」のゆえであると私は思う。             

 注1 ハリウッド … アメリカの映画文化の中心地。
  2 カタストロフ … 悲劇的な場面。
  3 嗜癖(しへき) … 好みや癖。
  4 度し難い … 救いようがない。

問一 空欄①・②・③を補う語の組み合わせとして最も適当なものを選べ。

 ア ①現に・②また・③そのうえ
 イ ①現に・②だから・③しかし
 ウ ①実に・②だから・③そして
 エ ①確かに・②また・③なぜなら

問二 傍線部a「自分の身体を傷つけることになると私たちはとたんに勤勉になる」とあるが、このような行動をとってしまう理由として最も適当なものを選べ。

 ア  人間は自らの体験により身体によいことか悪いことかを判断する生き物だから。
 イ  人間は自分の身体を傷つけることで精神の安定をはかろうとする生き物だから。
 ウ  人間はよいことにも悪いことにもつい真面目に取り組んでしまう生き物だから。
 エ 人間はもともと身体に悪いことをしたいという欲望をもっている生き物だから。

問三 傍線部b「困難な」とあるが何が「困難」なのか。最も適当なものを選べ。

 ア 他人に対して「適度」な生活を気軽に勧めること。
 イ 他人の忠告にしたがって「適度」な生活をすること。
 ウ 自分の気持ちにしたがって「適度」な生活をすること。
 エ 自分を「適度」に傷つけたいという気持ちを振り払うこと。

問四 空欄cを補う最も適当なものを選べ。

 ア みんなが死にそうになる話
 イ みんなが危機から逃げる話
 ウ みんなで危機に立ち向かう話
 エ みんなで幸せを探し求める話

問五 傍線部d「幸福な健忘症」とはどういうことか。最も適当なものを選べ。

 ア 生きる意味や目的を忘れて日常を過ごすことはごく普通のことであり、そうであってこそ人は幸せであるということ。
 イ 自分たちは必ず滅びる存在であるという動かし難い事実は、普段は忘れてしまっている方がかえって幸せだということ。
 ウ 人は必ず滅びるという事実を忘れているからこそ、死に直面した瞬間に、生きることの幸福を実感できるのだということ。
 エ 生きる意味を忘れてしまうことは一種の病気のようなものではあるが、忘れ方の度合いによっては幸せな場合もあり得るということ。

問六 傍線部e「私にはたいへん説得力がある」とあるが、筆者のこの感じ方はどのような考えに基づいているのか。最も適当なものを選べ。

 ア 健康のためだといって自分のやりたいことを我慢して「適度」に生きるなどということは、精神的にはかえって不健康なことなのである。
 イ 人間は不健康に生きることこそがその本性であり、不健康な暮らしそのものが人間の存在意義を感じさせる役割を果たしているのである。
 ウ 人はどんなに健康に生きていても最終的には死を迎えるのだから、必要以上に健康な暮らしをしようとすることは実は意味がないのである。
 エ つい不健康に生きてしまう人間の本性は、自分を傷つけることによって自分が生きていることを確認するという働きを担っているのである。

問七 傍線部f「私たちの『存在実感』に細々とした明かりがともる」とはどういうことか。最も適当なものを選べ。

 ア 自分の存在理由を実感できるということ。
 イ 自分が恐れているものに気がつくということ。
 ウ 自分の将来への希望が見えてくるということ。
 エ 自分が死んでいないことを確認できるということ。

問八 傍線部gにおいて、「愉しみ」というようにカギ括弧(「 」)がついている理由として最も適当なものを選べ。

 ア  核戦争の勃発をかろうじて食い止めてきた人間の想像力の豊かさは、人間の生存にとって好ましいものでしかも必要なものであるということを強く表現したかったから。
 イ 口では核兵器廃絶を唱えながら、実際にはそれを行動にうつすこともせず毎日の暮らしを愉しんでいるように思える人々に対して皮肉をこめた表現にしたかったから。
 ウ 地球の壊滅や人類の滅亡を想像することは、決して悲しいことでもなんでもなく人間の根本的な「愉しさ」につながるものであるということを表現したかったから。
 エ 人類の終わりを想像することを本来「愉しみ」などとは表現できないが、その際の感情の高ぶりは「愉しみ」とでも言うしかないものであることを表現したかったから。

問九 傍線部h「その瞬間」とはどういう瞬間か。最も適当なものを選べ。

 ア 生きている自分を実感した瞬間
 イ 死の偶然性を頭で理解した瞬間
 ウ 普段忘れている死を意識した瞬間
 エ 自分の命をはかなさを感じた瞬間

問十 本文についての説明として最も適当なものを選べ。

 ア 人間の様々な具体的行動を健康の観点から改めて見つめ直し、人間の存在意義について深く考えていこうとする文章である。
 イ 非常に個人的で身近な話題と人類全体に関わるような話題を考え合わせて、人間の不可解な行動の意味を探ってみようとする文章である。
 ウ 身近な話題だけでなく世界的な視野にたって人間の行動を見つめ、核兵器を廃絶することのできない人間のおろかさを批判しようとする文章である。
 エ テクノロジーの発達から引き起こされる世界中の様々な出来事を考察することによって、人間の根本的な欲求の意味や働きを明らかにしようとした文章である。

 

こたえ

 問一 イ  問二 エ  問三 イ  問四 ア  問五 イ
 問六 エ  問七 エ  問八 エ  問九 ウ  問十 イ

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