~ 「ちゅんこさんが入れる高校はないです」
「ちゅんこさんはテストも受けてませんし、内申がまったくないですから
行けるところはないですねー」 ~
中3の夏休みには塾に通えるようになった。
夏休み明けの進路相談で、「いいところでなくていいので、どこか公立に … 」と母親(青木さん)が担任に相談する。
3年生は初めて受け持つという若い担任が、上のようにあっさり答える。
「ないなら、定時制でもいいんですが」
母親の言葉に
「定時制も実は人気があるので、無理です」
と答え、入れるとしたらここでしょうと示されたのが通信制の高校だった。
本校でも、不登校状態になった結果、通信制の高校に転学した生徒さんはいる。
県立のへ転入試験を受けて移った例もあり、調べてみると転入試験の枠は意外に広く開かれているのだ。
中学校で不登校状態とはいえ、入学できる高校が定時制を含めてないと いう現実はありえない。
中学でも高校でも、普通にはたらいている教員なら当然わかっていることだし、知らなければ同僚に尋ねればいいだけのことだ。
だから、実際に上記のような進路指導があったのなら、この若い担任に問題があるのは間違いない。
そしてもっと問題なのは、そういう担任が存在しうる現在のシステムということになる。
母親は塾に相談に行く。
すると、内申点がなくても、帰国子女と同じように入試の点数だけでの合否判定を設けている公立高校や、いくつかの私立高校を教えてもらえた。
自分達で調べてみても、いろんな情報は手に入ることがわかり、もう中学校はあてにしないようにしようと、親子は気持ちを切り替える。
それでも、内申点が少しでもつくようにと、期末テストを受けに行った。
母親はなだめすかし、時には車で送ったりしながら、五日間を乗り切る。
その結果をふまえた進路相談で示された内申点は「オール1」だった。
「テストを全部受けても、結局同じですか?」
と訊ねると、
「授業にも出てないし、提出物も出してないので、どうしてもそうなりますねー」
と答える。
「うちの子は決してずる休みしてるつもりはない」
と言っても、その意味がわからないような担任の様子が描かれるのを読むと、青木さん側の視点で描かれているという前提を忘れるつもりはないが、この担任に憤りを感じた。
でも、実際いるでしょ、こういう人。
ちゅんこさんは県立高校と、私立2校の受験を決める。
すると、担任から連絡があり、私立A校の確約がとれたのでB校は受験しないでほしいと連絡が入る。
考えた結果2校受けてから決めたいと言うと、「それでは学校のメンツが … 」という話になる。
この段階で、進路相談には担任ではなく学年主任があたるようになる。
いろんな意味でなまなましい事例を突きつけられ、一歩間違えば、自分にも起こりうることと考えないといけないと感じる。
娘さんは、第一志望の県立高校に合格する。
高校入学後は、突然リア充になれてよかった … という話ではない。
体調がよくなくて通えない日もある。しかし、留年しないように行かなきゃという程度には通え、バイトもはじめた。成績も、中学校をまるまる行ってないにしてはついていけている。
それなりに成長していく娘の姿を目にしながら、中学校に行けなくなってしまった頃の(母親自身の)精神状態が最悪だったと、客観的に見れるようにもなった。
~ まー、中学くらい行かなくってもなんとかなりますよ
と、今なら経験者としてはっきり言えます。
なかなか渦中では思えないことなんですけどね~。
(青木光恵『中学なんていらない』メディアファクトリー) ~
親御さんだけでなく、われわれも読んだ方がいいと思うのだが、読んでも感じない方はいるだろうな。
でも、そんな人も含めて、つまりその程度に適性の足りない人が教員になったとしても、成立するのが学校というシステムであるべきなのだ。
大学受験にまで、教員による人間性の評価を盛り込もうとする「おそろしい」改革が進もうとしているのを見ると、なんかえらい人たちは勘違いしてるなと改めて思う。