『愛の山田うどん』は、教科書教材「世界中がハンバーガー」とつながる文章だったので、今回の試験の応用問題に使わせていただいた。高校1年生にはちょっとタフな問題だったようだ。
『NAVI』(注)の特集記事にこんなことを書いてあったのが思い出される。二〇世紀、モータリゼーションが変えたのはロードサイドの光景だ。看板はアイキャッチとして巨大化され、派手なイメージカラーが施された。電気で煌々(こうこう)と輝くようになった。スピードが二〇世紀のロードサイドを変える。歩いてる人に見てもらうだけなら看板は小さくていい。文字が小さくても立ち止まって読んでもらえる。クルマに乗ってる人の目につくためには巨大化し、色で内容を連想させ、夜は光っていなくてはならない。モータリゼーションの発達以前には、そんな巨大な広告板も店の看板も必要がなかった。
いや、これ大意ですけどね。そういう記事を読んだという話。僕がそれで連想するのは唐突だけど、アメリカのモダンアートの画家、エドワード・ホッパー(注)なんですよ。アメリカの荒涼としたロードサイドの孤独。ガソリンスタンドの看板が煌々と輝いていたり、ダイナー(注)に寂しげな人が座っていたり。最初、見たときは何が言いたいんだろうなぁと考えた。何を描いているのか。で、ちょっと時間をおいて思ったのは、a〈そういう光景の「発見」〉なんだろうなということ。絵に描く題材として、二〇世紀的なアメリカの荒涼が「発見」された。たぶんホッパー以前の絵っていうのはそういうものは描かなかったと思うのだ。自然とかヨーロッパの街並みとか、わからないが絵画ってそういうイメージだ。だけど、ここにも(二〇世紀的な)孤独や実存があって、それは圧倒的にリアルなんですよ、と知らない人ながらホッパーさんは語っている気がした。
それならば僕にもわかる。僕もアメリカではないけれど、そういう光景のなかで育った覚えがある。あの感じは何と言えばいいのだろう。リアルなのだ。若者だった頃、b〈僕はその光景に少しいらだっていたと思う〉。郊外ロードサイドの量販店の看板。ありえないくらいでっかく「靴」と書いてある看板。強い色の発光看板。オレンジを見たら僕は牛井を連想する。ガソリンスタンドはいつも光のなかにある。そのなかにいると自分はものすごく匿名的だ。他に行くところがない。
で、ここまでガマン強く読んでくれた読者は、僕が山田うどんのかかし看板にもエドワード・ホッパーを見出してることにお気づきだろう。僕は山田うどんは本邦初、和のアイテムだけ使ってダイナーを実現したのだと思っている。実はマクドナルドやデニーズより先に、ロードサイドに二〇世紀アメリカニズムを持ち込んだのは山田うどんなのだ。だって、山田裕通会長が七〇年代、アメリカ視察に出かけて「いくらかかってもいいから、あのケンタッキーの回転看板を日本に持って来い」とトップダウンで命じ、回転するかかし看板1号が所沢本店脇に建ったのだから。そのコストは採算を度外視したものだった。まだ回転看板を手がける国内業者はもちろん、海外メーカーの代理店も存在しなかった。アメリカでダイナーを実見した会長は店舗デザインにも工夫を重ねる。七〇年代、モータリゼーションの発達を意識したアイキャッチ看板、駐車場とセットになった店舗を構想したのは大変な先見性だ。
それから日本にもモータリゼーションの発達が起きて、山田うどんも量的拡大の時代に入る。それまで観光地のドライブインしかなかったロードサイドに外食の嵐が吹く。農家が転業するケースが多かったと思う。あるいは田畑を売るケース。そこで起きたのはどんな革命かというと「近郊」「郊外」の発明だ。それまでたぶん日本に「郊外」はなかった。言ってしまえば単に田舎があった。関東・首都圏は大きく二分されていたのだと思う。街と田舎。繁華街と田畑。
で、山田うどんのヘッドクォーターが何をしていったかというと、経験とカン。まあ、最初は経験も何もなかったからカンだねぇ、田畑を売りたいという噂を聞くと出かけて行って「うん、ここはいい」「ここはダメだな」。その基準は言葉にするとこうなるだろう。ここは「郊外」になるところか、ずっと田舎か。
A〈山田うどんは「近郊」「郊外」をクリエイトしていく〉。「近郊」「郊外」は時代によって変遷していくから、エリアは次第に広がった。いやまぁ、ひとり山田うどんだけでなく外食産業「ロードサイド同級生」(注)たちも躍進していく。そうやって街や繁華街にはないカルチャーが生まれた。街や繁華街にない孤独や実存が生まれた。今や最もありふれていて、c〈匿名的で、リアルな「郊外」というものが形成されていく〉。
東京のメディア関係者に山田うどんの話をすると、埼玉出身者じゃない場合の反応は決まっている。「うちの近所には山田うどんないんですよね」。それは都心に住んでいますよというサインでもある。
都心に住んでいる人には「近郊」「郊外」が見えない。見えない円環が東京をとり囲んでいる。山田うどんはその見えない円環にかかしを建ててまわっているのだ。早口言葉じゃないが、かかしでB〈カシカ〉する行為だ。今、どの辺りが「郊外」か、かかしが教えてくれるのだと思う。ロードサイドのかかしはそんな意味を持っている。(北尾トロ・えのきどいちろう『愛の山田うどん』より)
(注)『NAVI』 … 自動車雑誌。
ダイナー … 街道沿いにある簡便なレストラン。ダイニングカー(食堂車)が語源。
エドワード・ホッパー … 画家。20世紀アメリカの具象絵画を代表する。
「ロードサイド同級生」 … スカイラークなど同時期にチェーン展開し始めたファミリーレストランを指す。
問一 a〈そういう光景の「発見」〉とは、どういうことか。六十字以内で説明せよ。
問二 b〈僕はその光景に少しいらだっていたと思う〉とあるが、なぜか。最も適当なものを選べ。
ア 気が付くと自分の周囲に広がり地域に浸透していたアメリカ型の新しい文化には、何か気詰まりなものを漠然と感じていたから。
イ 土地に生きる個人の思惑などまったく気にしないような量販店の看板を見て、自分の存在価値に疑問を抱くようになってしまったから。
ウ アメリカを彷彿とさせながら実態はそうなりきれてない文化と不完全な自分の生き方とが重なり、やりきれない思いにとらわれたから。
エ 自分をとりまく環境のなかで、自分という存在が何者でもなく、またそれを打開することもできない現実を感じはじめていたから。
問三 傍線部c〈匿名的で、リアルな「郊外」というものが形成されていく〉とは、どういう現象をこう説明しているのか。最も適当なものを選べ。
ア 都心とは一定の距離をもって生活しながらも、個人が自分のライフスタイルにあわせて自由に食事をするという現代的習慣をもつ人々の住む地域が広がっていること。
イ 街道沿いに様々な外食産業が出店することによって、それまではあまり関わりを持たなかった都心と経済的、文化的に結びつくことができ、埼玉近郊は田舎とは言えなくなったこと。
ウ 関東一円に広がる外食文化は、個人が特定されずに食事ができるという意味で最も二十世紀的な文化であり、都市の伝統の中で生まれた文化とは別種の自然発生的な文化が存在していること。
エ 新しく誕生した郊外に住む人々は従来の価値観にとらわれることのない生き方を選択していて、そういう人々の存在に支えられて、山田うどんのアグレッシブなメニュー展開が可能になっていること。
問四 A〈山田うどんは「近郊」「郊外」をクリエイトしていく〉とあるが、それを可能にした要因は何か。本文から十二字で抜き出せ。
問五 波線部B〈カシカ〉を漢字に直せ。