南雲先生のご本が売れている。「実年齢より20歳若返る」シリーズは当然買ったし、ゴボウ茶も飲んでみた。
一日一食ダイエットもちょっとやったが、リバウンドが大きい。今までも結果的に一日一食になってしまった日がないこともなく、そういう日の翌日は、よーし、この勢いでカロリー少なめな日々を過ごそうかと一瞬思うけど、気づいたらいろいろ食べている。昨日食べてないから、今日はけっこう油っこいものを摂ってもまあいいだろう的気分になり、しかもその気分を二、三日続けてしまう問題が起きる。
一日一食ダイエットも、一応意図的に、朝ジュースだけ、昼はナッツ、夕食は好きなもの的にだんどってみたが、けっきょく翌日はがっつりいってしまう。純粋にカロリー摂取量の問題ではなく、気持ちの問題だ。
食事に気を遣いすぎない方が、ストレスがたまらなくて、結果的にはいい食事ができる、その方がかえってふとらないという意見は、だからかなり納得できる。
SPAの今週号には、高須先生による、南雲批判が展開されていた。
人間、少しふとっているくらいの方が長生きできる、南雲式の一日一食はからだに悪いという内容だった。
このお二人、つい先日何かの雑誌で対談されているのを読んだから、かなりプロレス的な展開ではあるのだろう。 南雲派、高須派、さあ、どっちか。
たぶん、どっちでもいいし、どっち派に立てばいいかは人によって異なる。
南雲先生は、結局自分がやってみて、たまたまうまくいったことを紹介している。
お医者さんであるために、いろいろ理論も裏付けできるので、読む人は信じやすい。
高須先生もお医者さんだ。少し太めの方がいいとの主張通り、ご自身もぽっちゃりタイプだ。
南雲先生はけっこうがっつりしぼれる方だから、それがいいと主張し、高須先生はちゃりぽつタイプだから、それがいいという医学的見解をつくられた。
正しい理論にあわせて自分の身体をコントロールした結果が今のお姿ではなく、自分にあわせた理論を見つけられたと考えた方がいいのかもしれない。
お二人の理論は、実はどちらも正しい。正確に言うとお二人にとっては、それぞれが正しい。
一人一人にそれぞれの正しさがある。
好きなものを腹一杯食べていい、ただし毎日30分歩こうダイエットがいい人には、それがいい。
炭水化物だけを減らす方法がいい人は、それがいい。
バナナばっかりダイエットも、納豆食べまくりダイエットも、それを考案した人はたまたまうまくいったのだ。
岡田斗司夫先生の「レコーディングダイエット」は、知っているダイエット法のなかでは、もっとも汎用性が高い気はする。
そうであっても、レコーディングダイエットという方法を一番効果的に実践できる人が岡田先生であることは間違いない。
最近、勝間和代さんが書かれた『やせる』の「H=N/C」ダイエットも、勝間さんにはぴたっとはまったのだ。
それも今の勝間さんだ。十年前の勝間さんが、この本に書いてあるように「まごわやさしい料理」なんかを家で作る暮らしをしていたなら、何千、何万のカツマーとよばれる信者を生み出すほどのお仕事はできなかったのではないか。
結局ダイエットは、ダイエット方法自体のいい悪いよりも、その方法論を取り入れた生活全体をどう構築できるかにかかっている。
生活の大枠をかえずに、食事の回数や量を減らすだけで、ダイエットが可能になるわけではない。
やせる人はやせる生活をし、太る人は太る生活をする。
食生活うんぬんではなく、どんな仕事なのか、どんなことを考えているのか、そういうものの総体が、たまたまその時点でのひとつの体型になっている。