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水持先生の顧問日誌

我が部の顧問、水持先生による日誌です。

英語嫌い

2010年07月21日 | 日々のあれこれ
 「英語嫌い」をつくるにはどうすればいいか。
 英語をこれだけ勉強したら、これだけの報酬が得られますよ、だからやりましょうという言い方で英語の勉強を奨励することだ、と内田樹先生はおっしゃる。

 ~ 学びというのは、「謎」によって喚起されるものだからだ。
 自分の手持ちの度量衡では、その意味も有用性も考量しがたい「知」への欲望が学びを起動させる。 ~

 なるほどなあ。
 仕事は、一定の報酬と引き替えに、自分の一定の時間を提供する。
 時間と労力に見合う(と自分が想定する)報酬が得られないと、われわれは文句を言う。
 割いた時間以上、労力以上(と感じられる)報酬を手にすることができたとき、ラッキィと言う。
 この合理的な対応関係は、やはり学問にはなじまないと思う。
 何かを学ぶという行為は、10時間やったから、10真理に近づけたというものではないから。
 20やって10わかることもあれば、100やって2しかわからないこともある。
 でも500やってしまいたい、やらずにいられないと思わせるものなのだろう。
 仕事もその本質においては、報酬がどうあれ俺はこれがやりたいんだよね的な要素をもつと思う。
 そういう仕事に出逢えた人は幸せだ。
 きっと部活も、そういうタイプの仕事に近い。学びに近い。
 一定の努力から正比例する一定の結果を得られるものではない。
 でも、やらずにいられないと思ってしまうものであり、これをやることで何が手に入るか、どういういいことがあるのかは、はっきりわからない、でもやりたいと思わせるタイプのものだ。
 もちろん、そんなに理屈っぽくとらえようとする高校生はいないだろうが、無意識のうちにそんなものだと感じているはずだ。
 だって、合理的に考えた場合、効率よく何かが手に入るものとは思えないから。
 それでも、彼等は多くの時間を費やして練習し、ときに悩み苦しみ、ときに泣き、ときに笑い、まわりから見たら、その結果として彼等の手にするものがそんなに大きなものとは思えないようなものでも、本人たちにとってはかけがえのないものだ。
 そういう部活に出逢えたならば、やはりそれは幸せなことと言うべきではないかなあ。
 
 


 
 
 
 
コメント
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