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水持先生の顧問日誌

我が部の顧問、水持先生による日誌です。

堀江敏幸「送り火」(センター2007年)②

2020年05月20日 | 国語のお勉強(小説)
  堀江敏幸「送り火」(センター2007年)②


 階段のすぐ近くに物入れがあるため、陽平さんは取り出しやすいようにとそのまえに自分の机を置いていた。だから子どもたちの顔を見るより先に、彼らのほうをむいて坐っている陽平さんの、針金でも入っているんじゃないかと疑いたくなるくらいまっすぐな背中と鶏(とり)ガラみたいにほそい首筋を拝まなければならないのだが、手本をしたためているときも朱を入れているときも、硯(すずり)で墨をすっているときも、子どもたちと言葉を交わしているときも、まだ(注2)枕(まくら)を話しているだけで本編に入っていない噺(はなし)家(か)みたいに座布団から垂直に頭がのびていて、その姿勢がまったく変化せず、食事の際も変わらないものだから、たまに傾いているとかえって不自然な感じがするのだった。


 陽平さんのことを。めっちゃ見てますね。


 しかし、Cとりわけ絹代さんを惹(ひ)きつけたのは、教室ぜんたいに染みいりはじめた独特の匂(にお)いだった。子どもたちはみな既製の墨汁を使っており、時間をかけて墨を磨るのは陽平先生だけだったけれど、七、八人の子どもが何枚も下書きし、よさそうなものを脇(わき)にひろげた新聞紙のうえで乾かしていると、夏場はともかく、窓を閉め切った冬場などは乾いた墨と湿った墨が微妙に混じりあい、甘やかなのになぜか命の絶えた生き物を連想させるその不気味な匂いがつよくなり、絹代さんの記憶を過去に引き戻した。


 書道教室が始まり、陽平さんも気になり、墨の匂いに惹きつけられます。
 墨の「甘やかなのになぜか命の絶えた生き物を連想させるその不気味な匂い」を嗅いだとき、絹代さんに幼いころの記憶がよみがえります。
 映画なら、回想シーンに入るところです。
 回想シーンの主人公は、子役が演じます。ぎりぎり許せる範囲なら、主人公が若作りして演じます。
 どっちがわかりやすいですか?
 男の俳優さんだと、けっこう年配の役者さんが、ふさふさのカツラをつけて、学生服を着たりすることがありますね。
 でも、顔はメイクでもごまかしにくく、回想シーンであることはわかるけど、今ひとつ入り込めなかったりします。
 先日観た「弥生、三月」で、アラサーの波瑠さんが、制服で17歳役を演じてましたがまったく違和感がなく、むしろ萌えました。
 洋画の場合、邦画よりわかりにくいことないですか?
 外国の役者さん、とくに女優さんは16、7歳であってもけっこうお姉さんに見えますし、基本的に年齢がわかりにくくないですか。
 BGMや背景の映像にも、やはり邦画のそれほど理解できないことがある。
 邦画ならば、たとえば繁華街の様子が映っただけで「昔の新宿かな」と気づいたり、昭和歌謡ぽい曲が流れてれば時代もイメージできます。
 シーンが変わって、「○○年、どこそこ」みたいに説明してくれる作品もありますね。
 小説は、基本的に、突然回想シーンに入ります。
 一行開けもなく、「それは20年前の夏だった」との説明もふつうはありません。
 ですから、「場面ごとが時系列で並んでいない」という小説の特徴を念頭において読む必要があります。
 91行目あたりから、絹代さんの思い出のなかの映像になっています。
 蚕のアップから入りたい場面ですね。


 まだ小さかったころ、ここにも生き物がうごめいていたのだ。絹代という名前は祖父母がつけてくれたもので、彼らはこの古い家の二階で細々と養蚕を手がけ、生活の資をさずけてくれる大切な生き物を、親しみと敬意をこめて「おかいこさん」と呼んでいた。同居していた息子夫婦はともに会社勤めだったから、孫の絹代さんがあとを継ぐ可能性はほとんどなかった。あの時分はまだ片手間にでも養蚕にかかわっている家がいくらもあったし、そこで生まれた娘に絹子だの絹江だの絹代だのといった名前をつけることもないではなかったが、絹代さん自身は、二階の平台にならべられた浅い函(はこ)の底をわさわさとうごめいている白っぽい芋虫の親玉と自分の名前がむすびつけられるのを、あまり好ましく思っていなかった。
 触ってごらん、と言われるままに触れたその虫の皮はずいぶんやわらかく、しかも丈夫そうだった。使いこんだ白い鹿(しか)革(がわ)の手袋の、ところどころ穴があいたふうの表面の匂いとかさつく音をこの書道教室に足を踏み入れた瞬間ふいに思い出し、匂いといっしょに、あのグロテスクな肌と糸の美しさの、驚くべきへだたりにも想(おも)いを馳(は)せた。あたしは肌がつるつるさらさらして絹みたいだから絹江になったの、絹代ちゃんとこみたいに蚕を飼ってるからつけられた名前じゃないよ、と一文字だけ名前を共有していたともだちが突っかかるように言った台詞(せりふ)が、絹代さんの頭にまだこびりついている。生家の周辺を離れれば、養蚕なんてもう、ふつうの女の子には気味の悪いものでしかない時代に入っていたのだ。それなのに、墨の匂いを嗅いだとたん、かつてのおどろおどろしい記憶がなつかしさをともなう思い出にすりかわったのである。


 昔、この家の二階では蚕が飼われ、生活の糧となっていました。
 幼いころの絹代さんは、白っぽく、もぞもぞ動いている蚕にふれてみて、気持ちわる! みたいに感じていたのですね。
 自分の名前につけられた「絹」が「大切なもの」を表すことはわかっていても、それを生み出す「芋虫の親玉」と結びつくので、今ひとつ名前に愛着ももてなかったのです。
 91行目ですうっと、回想シーンに入り、103行目でいったん元の時系列にもどり、すぐにもう一度回想シーンになり110行目「~いたのだ」で終わります。

 今① → 昔 → 今②

のように場面が変わっていくとき、「今①」と「今②」は連続しています。その間に何十行、何頁の文章があっても、直接つながっています。
 「今①」で起こった出来事の原因は、「昔」シーンで説明されます。

今① Cとりわけ絹代さんを惹(ひ)きつけたのは、教室ぜんたいに染みいりはじめた独特の匂(にお)いだった

 昔  蚕 → グロテスク 気味が悪い

今② それなのに、墨の匂いを嗅いだとたん、
   かつてのおどろおどろしい記憶がなつかしさをともなう思い出にすりかわったのである

問4 傍線部C「とりわけ絹代さんを惹きつけたのは、教室ぜんたいに染みいりはじめた独特の匂いだった」とあるが、「絹代さん」が匂いに惹きつけられたのはなぜか。

 理由のまとめ部分である、「墨の匂いを嗅いだとたん、かつてのおどろおどろしい記憶がなつかしさをともなう思い出にすりかわったのである」と「=」の選択肢を選ばないといけません。

 墨の匂いをかいだとき、「かつてのおどろおどろしさ」が、「なつかしいもの」に、「かわった」から、と書いてある選択肢を探します。
 ①「家族と過ごした幼年時代の記憶が」「子どもたちと一緒にいる楽しい時間と重なって」「よみがえってきた」から
 ②「グロテスクな … 蚕にまつわる記憶が」「家族とつながるなつかしい思い出に」「変化した」から
 ③「蚕に親しみと敬意を感じていたことを」「大切な生き物として」「思い出した」から
 ④「気味の悪い … 養蚕にかかわる思い出が」「陽平さんへのほのかな想いへと」「変質した」から
 ⑤「蚕を飼っていた忌まわしい記憶を呼び起こし」「そのときの生活を」「思い出した」から

 正解は②です。
 思い出は、つまり過去は、今の有り様によってその意味を変えることが可能だということですね。

 問4を間違える人は、次の二つが原因です。
 1、本文の時系列を読み取れない場合
 2、本文の根拠部分と選択肢とを対応させられない場合
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堀江敏幸「送り火」(センター2007年)①

2020年05月19日 | 国語のお勉強(小説)
  堀江敏幸「送り火」(センター2007年)①


 さて、第2問目です。作品自体は読みやすいと思いますが、解くとなると難しい設問があります。
 難しいとはどういうことか、みなさんはなぜ間違うのか、それを明らかにしたいと思います。
 まずは、リード文。


 次の文章は、堀江敏幸の小説「送り火」の一節である。父の死後、老いた母とのふたり暮らしが心細くなった絹代は、自宅の一部である二十畳敷きの板の間を独身女性に限定して貸し出すことにした。以下の文章はそれに続く場面である。これを読んで、後の問いに答えよ。


 主人公は絹代、老いた母親との二人暮らしです。家は大きそうですね。
 女性の二人暮らしですから、部屋を貸し出すといっても、当然女性限定になるでしょう。
 しかし、本文にあるように、交通の便がいいとはいえない家の「二十畳敷きの板の間」を借りる独身女性はなかなかいなさそうなのもたしかです。
 そこに訪れたのが一人の男性、陽平さんでした。
 「一人の男だった」ではなく、「陽平さん」としてあるところに、敵対者ではないことが予想できますね。


 もう貸間なんてよけいなことを考えず、やっぱり母とふたりで静かに暮らそうとあきらめかけた二月末の寒い日曜日、事前になんの連絡もなくふらりとあらわれたのが陽平さんだった。周旋屋さん  不動産屋のことを陽平さんはそう言った  で、ひろい、板敷きの部屋が、ひとつ、空いている、とうかがったのですが、と当時四十代後半にさしかかっていたはずの陽平さんはなぜかいまとまったくおなじかすれ声の(ア)老成したしゃべり方で切り出し、申し訳ありません、男の方にはお貸ししないんですと驚くふたりに、はい、それはもう、うかがったうえで、やってきたんです、と言い、まだ二十代だった絹代さんの顔を恥ずかしくなるくらいじっと見つめて、おだやかにつづけたのである。


 下人のとっての老婆のように「敵対」はしてないですが、陽平さんが主人公(主役)に対しての対役です。
 すると、主役が対役をどう見ているか、見えているかというのは大事なポイントになります。 
 そういうところは線をひいてチェックしましょう。
 連絡もなく尋ねてくる、不動産屋を周旋屋とよぶ、かすれ声、老成している、女性の顔を遠慮無く見つめ続ける、などの表現で、陽平さんのキャラクターが固まっていきます。
 そして、住むのではなく書道教室として借りたいのだと、「部屋も見ずに、風呂あがりのような表情で」頭を下げるのでした。

(ア)「老成した」は、「十分の経験をつんでいること」または「大人びていること」なので、③が正解です。


 母と娘は、正直、(イ)不意をつかれて顔を見合わせた。男性に、しかも書道教室として貸すなんて考えもしなかったからだ。ともあれせっかくだからと部屋を案内し、どうぞ召しあがってくださいと陽平さんから差し出された豆大福をお茶請けに三人で話をしているうち、絹代さんは、このひとが会社を辞めたのは書道教室を開く開かないという以前に、勤め仕事にむいていなかったからだろうと思った。Aまわりを拒んだりはしないけれど、ひとりだけべつの時間を生きているような雰囲気を持っている。年齢も、まったく読めなかった。でも、なんだかこの人なら信用できそうだと絹代さんは直感し、まだとまどっている母親に、小さな子が集まるんならにぎやかでいいんじゃないかな、楽しそうだから、貸してあげましょうよ、と好意的な意見を述べた。母親は母親でまたちがう基準から陽平さんを眺めていたらしいのだが、自分よりも遅いペースで話す男の人をひさしぶりに見たと言ってしまいには納得してくれたのである。


(イ)「不意をつかれて」は辞書的意味が「予期しないことがおこり、驚かされる」ですから、⑤が正解です。言葉の意味の問題は、本文を読まずに解いた方がいい場合は多々あります。

 さて、絹代さんは陽平さんを観察します。
 「勤め仕事にむいていな」いタイプの人だと思うわけです。「年齢も読めない」。しかし「信用できそう」な人だとも感じる。
 母親目線ですが「遅いペースで話す」人というのも、人物像の一つです。

問2 傍線部A「まわりを拒んだりはしないけれど、ひとりだけべつの時間を生きているような雰囲気を持っている」とあるが、「絹代さん」は「陽平さん」をどのような人物としてとらえているか。

 傍線がひかれた「まわりを拒んだりはしないけれど、ひとりだけべつの時間を生きているような雰囲気を持っている」は、絹代さんの視点から見た、陽平さんの人物像です。
 傍線部と「=」の関係になる選択肢を選びます。
 「まわりを拒んだりしない」は①、②、⑤と対応させられるでしょう。
 「ひとりだけべつの時間を生きているような雰囲気」と近いのは、この中では①「泰然自若として周囲に惑わされない」でしょうか。
 この設問は、四字熟語の意味を知っているかどうかも大きいので、「漢字帳」はもれなく学習しておく必要があります。
 確認しておくと、
  泰然自若 … 動じない、無為自然 … ありのまま、謹厳実直 … ちょーまじめ、闊達自在 … 自由人、直情径行 … 気持ちつよめ、ぐらいのニュアンスです。


 貸し教室としての賃料は不動産屋で適切な額を見積もってもらい、数日後には与えられた書式での契約を無事に済ませる早わざで、それから十日ほどのちに、折り畳み式の細長い座卓が五つと薄い座布団が十数枚、そのほか、紙だの墨だの筆だの作品を乾かすのにつかう下敷きとしての古新聞だのといった消耗品がつぎつぎに運び込まれて(ウ)教室の体裁をなし、新学期がはじまって落ち着いたころには、貼(は)り紙や口(くち)コミも手伝って、学年もばらばらな小学生が五名集まった。


(ウ)「教室の体裁をなし」の「体裁(ていさい)をなす」は「見た目が整う」の意味。「体裁が悪い」「体裁を気にする」などとも使います。⑤が正解です。「体をなす」も意味的に近い言葉ですが読み方は「たいをなす」になります。


 とても暮らしが成り立つような人数ではなかったけれど、夏休みを迎えるまでには総勢十二名となり、家の空気もがらりと変わってしまった。勤めている駅裏の大手電器店から絹代さんが自転車で帰ってくると、いちはやく学校を終えた低学年の子どもたちが課題を済ませていて、新興の一戸建てばかりで古い田舎家を知らない彼らは、ぎしぎしきしむ階段があるだけでもう楽しいらしく、わざと大きな音をたてて降りてくる。階段は居間の一角にあるので、教室に出入りする子どもたちは、絹代さんと母親の生活をそのまま横切っていくことになり、なんだか親類の家に遊びに来ているような雰囲気なのだ。そしてかならず、おばちゃん、おばあちゃん、さよなら、と言って帰っていく。この年でおばちゃんはないよ、と泣くふりをしたりすると子どもたちは逆に喜んで、ぜったいにおねえちゃんとは呼んでくれない。そして、B絹代さんにはなぜかそれがとても嬉(うれ)しかった。


 陽平さんのひらいた書道教室に子供達が通い始める。絹代さんは子供達をどう見ているか。
 「楽しい」「親類の家に遊びに来ているような雰囲気」です。
 そして二十代の絹代さんに「おばちゃん、さよなら」と言って帰っていく。「おばちゃんじゃないよ、おねえちゃんだよ」と泣くふりをすると、子供達は逆に喜ぶという、親しげな関係が生まれている。
 もともとは、父親を失って以来ひっそりと暮らして家に、子供達が出入りするようになり、子供達の遠慮のない親しさを、家族が増えたかのような感覚でとらえています。

問3 傍線部B「絹代さんにはなぜかそれがとても嬉しかった」とあるが、この部分を含む子どもたちとのやりとりを通してうかがえる「絹代さん」の心情とはどのようなものか。

 ①「仲間意識」、②「保護者になった気持ち」は少しずれますし、③「書道教室を一緒に経営しているように感じて」は全く違うし、⑤「以前の活気がよみがえった」は事実として読み取れません。④が正解です。

 母親は、子供達のためにちょっとしたおやつや、軽食を用意するようになります。
 絹代さん自身も、仕事が終わると急いで帰宅し、子供達の面倒を見るようになる。
 傍線部Bは、その前に部分で解ける問いではありますが、後ろの部分からも、子供達と「家族に対するような親密さ」を形成していく様子はうかがえますね。
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津島祐子「水辺」(センター2001年)③

2020年05月18日 | 国語のお勉強(小説)
  津島祐子「水辺」(センター2001年)③


 二日後の日曜日には、一日がかりで、屋上が補修された。夕方、作業が終わったというので、屋上を覗きに行った。完全に乾くまで、立ち入らないように、と注意されていたので、その注意を娘に何度も言い聞かせながら、屋上への階段を登った。
 ドアを開けて、先に屋上を見た娘が、“海”を見つけたときよりも更に高い金切り声を上げて、騒ぎはじめた。
 なにごとよ、と呟(つぶや)きながら、私も屋上を覗いた。そして、ウ自分の眼を疑った。鮮やかな銀色に一面、照り輝いていた。眩(まば)ゆさに、眼の奥が痛んだ。罅のいった部分を埋める程度の補修かと思っていたのに、防水用のペンキを屋上の隅から隅までたっぶり塗っていったのだった。春ですらこの眩ゆさでは、夏になれば、覗き見ることもできなくなってしまうのに違いない。この街なかで、眼を焼いてしまう、雪原を歩く人のように、海を漂う人のように。
 銀色の海。
 私は笑いださずにはいられなかった。これもまた、素晴らしい眺めではないか。しかも、今度は誰にもこの海を持ち去ることはできない。
 きれいだねえ、おほしさまみたいだねえ、と娘は銀色の屋上に見とれていた。

 屋上の作業が終わり、“海”が消える。
 どうなったかと覗きにいくと、予想外の光景が広がっています。
 娘さんは、「“海”を見つけたときよりも更に高い金切り声を上げて、騒ぎはじめ」る。
 何ごとかと思いながら覗いた私は、自分の眼を疑いました。

 「眼を疑う」は、それ以上でもそれ以下でもないでしょう。あえて言い換えるなら、「見ている景色が信じられない」ということですから、正解は②しかありません。

 “海”が失われた代わりに、新しい「銀の海」が生まれる。
 水を失ってがっかりするのではなく、新しい暮らしへの確信を得られたような気分になってもおかしくないことが象徴的に描かれています。「しかも、今度は誰にもこの海を持ち去ることはできない」と「私」は考えます。

 藤野から電話が掛かってきたのは、その次の日の夜だった。私には、ますます藤野の気持ちをこじらせるような応対しかできなかった。藤野の声を聞くたびにどうして足が震えるのか、分からなかった。
 同じ夜、私は自分が銀色の星の形をした器のなかに坐っている夢を見た。器は少しずつ回転を速め、気がつくと遠心力で、私の体は平たくなり、壁に貼(は)り付いていた。許して下さい、と叫ぶと、中学生の頃の同級生が私の星を見上げて言った。
〈あなたは、どうして、そう、だめなの〉
 同級生と言っても、親しく口をきいたこともない、ずば抜けた成績の持ち主だった。いつも級長に選ばれていたのはともかく、容姿も整っていたので、男友だちも多かった。それにしても、あの人を今頃、夢に見るとはそのこと自体、馬鹿げている、と思いながら、そんなことを言われたって、だめなものはだめなんだもの、と涙を流しながら弁解をしていた。それに、これでも見捨てずにいてくれる人だっているわ。本当よ。きっと、いるわ。
 ウ悲しげに首を横に振り、立ち去って行った同級生は、昔のままの美しい少女だった。

 そんな私の気持ちも、夫からの電話で水をさされます(うまい!)。
 するとこんな夢を見てしまいます。
 「銀色の星の形をした器のなかに座っている」と、「器は少しずつ回転を速め、気がつくと遠心力で、私の体は平たくなり、壁に貼り付いて」しまう。思わず「許して下さい」と叫ぶ「私」。中学のころの同級生が登場し、「あなたは、どうして、そう、だめなの」となじる。

問5 波線部ア~ウにおける「私」の想像や夢の中に現れる「人影」や「同級生」の様子を、「私」はどのように受け止めていると考えられるか。最も適当なものを一つ選べ。

 二つの内容をもった選択肢の場合、前半、後半のどっちかに明らかな間違いが見つかったら、残りの半分を読まずにおとしてしまいましょう。
 ①は「周囲の人々が … 心の支えとなっている」で×。ここでおとす。念のため後半を見ても「客観的な態度で教えてくれている」がよくわかんなくてだめ。
 ③は、前半の「従うべきかどうかと悩んでいる」という部分が誤り。後半の「決断できない私」もだめ。
 ④は、前半の「今後のことを心配して忠告してくれる」は微妙。判断しにくいが、周囲の人は世間的価値観で「私」をせめるのであって、心配してくれてるとは考えにくい。後半の「親身になって叱ってくれる」という部分は完全にちがうといっていいでしょう。
 かといって、⑤「藤野のいうことを聞くようにと迫ってくる」もおかしい。そこまで明確な指示をしているのでない。後半の「ひややかに批判」は波線部の「悲しげに首を横に振り」とあわない。

 主人公の身になんらかの事件がおこり、それが描写されて物語が生まれます。
 事件は、主人公と世間との関わりで起こります。
 評論を読むための補助線は「近代」、小説では「世間」という補助線をひいてみましょう。

問6 この文章における「水」についての説明として適当でないものを二つ選ベ。

 ①水は「私」を危険に陥れることがあると同時に、無邪気にさせたり心を弾ませたりもする二面牲を持っている。
 ②水は「私」に現実的な不安と心の安らぎとを与えており、それは「私」の心の振幅の大きさを示している。
 ③水はひとときのあいだだけ「海」を出現させることによって、「私」に現実のはかなさを思い起こさせる。
 ④水が豊かに拡がる様は、日々の生活で気が晴れない思いをすることもある「私」の心を明るく解放する。
 ⑤水の透明性は心を洗うような働きをするとともに、「私」の不安定な現状を暗示している。
 ⑥水の印象が「私」の心に鮮やかに残り、ペンキが塗られた屋上まで「海」と感じさせるようになっている。
 ⑦罅にしみ込む水の存在は、藤野夫婦のあいだに心の亀裂が生じていたことを比喩的に表現している。

「適当でないもの」を選ぶ、という設問の指示を見誤らないようにしましょう。本番では意外に起こりえます。「適当でない」をぎゅっと囲むとか波線をひくとかする癖をつけましょう。

 ①、②、⑤は、水の二面性を説明していて、正しい。
 ④も、娘とのやりとりから読み取れる。
 ⑥水をたたえた“海”から、「銀の海」に変わったことを表現している。
 ③「水」が「現実のはかなさ」を象徴しているというのは間違い。
 ⑦「水」が「夫婦の亀裂」を表してはいない。もしそうなら、別れる直前に水漏れしているはず。

 小説では表現を問う問題が出題されます。「何」を「どう」表現するかの「どう」が、小説では大事だからです。
 評論は、「何」が大事ですね。
 近年は、評論でもこのタイプに問題が必ず出ますので、なんとなくではなく、きちっと解けるようにしましょう。

 さて、夫と別れたばかりの人妻の心情を理解せよという、この問題の意図はいかなるものでしょうか。
 これからいくつかの問題を練習していきますが、戦時中の女学生とか、死期が迫ったおじさんとか、公害問題の渦中にいるおばあちゃんとか、そういう人が出てきます。
 そんな人の気持ちなんて、ふつう分かるわけないよね。
 じゃ、仲のいい友人だったら、気持ちはわかりますか?
 言わなくてもわかりあえるみたいな時は、実際あるでしょう。ただし、それもよくよく考えるとあやしくないですか。
 他人の気持ちは、実際には誰もわかりません。
 だからといって、わかろうとしなくていいというものではありません。
 与えられた情報を精一杯活用し、わかろうとし、ともに生きていこうとするのが文化的人間です。
 大学入試では、みなさんとは距離感のある人の気持ちを探ってみなさいと問われます。
 それが必要だからです。
 見知らぬ他者とのコミュニケーションのことを、すごく大きなくくりで「学問」と言います。
 ギリシャで何千年前に考え出された人間についての洞察とか、イスラム原理主義者の政治思想とか、電子顕微鏡でしか見えない物質の様子とか、古生代の生物の生態とか……。
 それらとのコミュニケーションを知といいます。
 かっこよく言うと、いまみなさんは知への扉を開けようとしています。
 けっこう力こめてこじあけないと、開かないよ。
 そのような壮大な作業の第一歩だと思って、小説の問題を解いていきましょう。
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津島祐子「水辺」(センター2001年)②

2020年05月17日 | 国語のお勉強(小説)
  津島祐子「水辺」(センター2001年)②


 その夜、私も裸足になって、娘とたっぶり屋上の“海”を楽しんだ。なにも危険はないはずなのに、水の拡がりに身を置くことには不安がつきまとい、その不安が心を弾ませた。水を掛け合ったり、鬼ごっこをしているうちに、私も娘もびしょ濡(ぬ)れになってしまった。

 「娘」は、唯一の主人公側の存在ですね。
 水は不安がつきまといながら(-)、心を弾ませるものでもあった(+)という、水の二面性をおさえます。
 このへんは、線をひきはじめると線だらけになるかもしれませんが、それでいいです。
 線をひいて、+記号、-記号をつけておくとなおいいです。

 部屋に戻ると、それまでずっと鳴り続けていたのだろうか、電話がちょうど鳴り終わったところだった。藤野の顔が思い浮かんだ。その顔に重なり、藤野と暮らせるようになった時の自分の喜び、そして、大喜びで婚姻の届けを区役所に出しに行った自分、藤野との子どもをためらいなく産んだ自分に、私はこれからもずっと責任を取らなければならないのでしょうか、と小(注1)林に問いかける自分の声が聞こえた。小林は頷(うなず)いているように思えた。ア同時に、数えきれないほどの人影がまわりに現れ、さかんに頷きはじめた。

 夫との関係性が描写されます。
 結婚当初の、そして娘を授かった喜び、しかし「責任を取らなければならないのでしょうか」という表現の私の今の気持ちがうかがえますね。
 注から会社の上司であることがわかる「小林」は、当然「世間」側の人間です。「同時に数えきれないほどの人影がまわりに現れ、さかんに頷きはじめた」からもそれがわかります。
 もちろん、それはあくまでも「私」の意識する「世間」ですが。

 娘の父親であり、私の夫である男だが、私はすでに一ヵ月以上、その男の知らない、知らせようもない、とりたてて大きな事件は起こらなかったが、その平穏なことに、かえって、これからの日々への怖れを膨らませずにいられないような生活を続けてきてしまっている。安定を保てるはずがないのに、一向に倒れず、それどころか、そのまま根を張り、新しい芽さえ覗(のぞ)かせようとする、歪んだ、こわれやすい、透明なひとつのかたまりを眼の前にしているような心地だった。それが見えるのは、私の二つの眼だけなのだ。藤野と再び、夫婦として、なにげなく顔を合わせるには、B私はあまりにも、この新しく自分に手渡された不安定なかたまりに愛着を持ちはじめていた。夫として私に立ち向かう藤野の口調は、私に、最早、異(注2)和感しか与えなかった。その遠い、意味もよく分からなくなってしまった声に、それでも私は、藤野の方から切り捨ててくれない限り、耳を傾け続けなければならないのだろうか。
 別居を決めたのは藤野の方だったのに、それでも私は藤野を忘れてはいけないのですか。私はもう一度、まわりの人影を眺めた。イそれぞれ私が知っている人に似ているような人影は、一様に深々と頷いた。
 その夜も、水の音は私の耳もとに響いていた。私は柔かく湿った感触に包まれて眠った。

 夫と離れて娘と暮らす日常は、「平穏」(+)で、同時に「これからの日々への怖れ」(-)も感じさせます。
 それは、「安定を保てるはずがない」(-)のに、「そのまま根を張り、新しい芽さえ覗かせようとする」(+)ものであり、「歪んだ、こわれやすい」(-)と感じながら、「透明なひとつのかたまり」(+)と受け止めています。
 今の暮らしは、「新しく自分に手渡された不安定な(-)かたまり(+)」なのです。
 もちろん、世間の人からは責められるものかもしれないが、自分は「愛着を持ちはじめて」いました。
 (-)は自覚しながらも(+)と感じている今の暮らしを「不安定なかたまり」と比喩で表現しているのです。
 「かたまり」が「不安定」という言い方自体がパラドキシカルですが、このような二面性は、人間誰しも、いろんなことがらに対して抱く感覚ではないでしょうか。
 早く学校行きたいけど、今の暮らしも楽とも言える、みたいな。

問3 傍線部B「私はあまりにも、この新しく自分に手渡された不安定なかたまりに愛着を持ちはじめていた」とあるが、なぜ、「手渡された」・「かたまり」という表現が用いられているのか。その理由として最も適当なものを一つ選べ。

 選択肢の前半で「手渡された」の言い換えを、後半で「かたまり」の言い換えをしています。
「かたまり」が何の比喩であるかを考えてみれば、①「責任」、②「こだわり」、③「とまどい」、④「重い」のどれも、あてはまりません。「愛着」にもつながりませんね。 
 「不安定」ながらも、確かな実感を感じ始めている今の暮らしを、こう喩えたのです。⑤「充実感」が正解です。

 その夜も、水の音は私の耳もとに響いていた。私は柔かく湿った感触に包まれて眠った。
 翌朝、呆気(あっけ)なく、給水塔の修理は終わってしまった。屋上はみるみるうちに、透明な水を失っていった。C娘が私の代わりに、修理工を詰(なじ)ってくれた。
  おみずを、とめちゃだめ。けちんぼ!だいきらい!

 危機をもたらすかもしれない(-)屋上の水は、私にとっては「柔かく湿った感触に包まれて眠」る(+)ような、愛着のあるものです。夫と別れた暮らしと、水のイメージが重なりますね。
 こういう表現方法を象徴と言います。「水」は「今の暮らし」の象徴だ、と説明します。
 これは評論にはない、小説特有の表現方法ですね。

  象徴  抽象概念を具体物に置き換えて、感覚的にわからせたり、イメージをつくらせようとする

  (例)日本人の感性 → 鹿おどし  若さ → にきび  理性 → 月

 「比喩」もほぼ同じように説明できますが、対応するものどうしの距離感や、具体・抽象の度合いが違うと言えます。これは改めて勉強しましょう。
 象徴されるものではなく、象徴するものばかりが描かれた小説の場合、読解が難しいです。
 たとえば韻文(詩や短歌・俳句)は、そういう要素が強いです。共通テストでは、出題される可能性があるので、しっかり理解しておきましょう。
 だから私にとって、水が失われることは、今の暮らしを否定されているようにも感じてしまいます。
 しかし、水を無条件に受け入れるわけにもいかないし、そのままにしておけるものでもないことは、当然わかっています。
 娘にとって水は、母親との新しい遊びをうみだすすばらしいものであり、一緒に楽しんでいる母親を見ています。
「おみずを、とめちゃだめ」という娘の言葉は、丸で自分の気持ちを代弁してくれたかのようだ、と「私」は見ているのです。

問4 傍線部C「娘が私の代わりに、修理工を詰ってくれた」とあるが、この表現からうかがわれる「私」の心情はどのようなものか。その説明として最も適当なものを一つ選べ。

 ①「娘が自分の気持ちを察してくれるようになった」ナシ、「水が与えてくれる安息を大切にしたい」不足
 ②「大人である自分は子供のために「海」を残したい」ナシ、「無邪気な子供は好きなことが言えるものだなと痛快に思っている」ナシ
 ④ 娘との二人きりの生活を守っていきたいのだが、「周りからの干渉を防ぎきれずにいる」言イスギ、「娘がそれに一人で立ち向かってくれたので、いじらしく思っている」ナシ。
 ⑤「遠慮を知らない娘の乱暴な言葉づかいに困惑した」ナシ、「その乱暴さがかえって、自分の水への愛着の率直な表明になっていることに気づき」ナシ

 ③ 娘との生活は不安の中に心を弾ませるものがあった。屋上での水遊びはその象徴のようであり、娘がそれを直感的に受け止め自分の気持ちをうまく言ってくれたと思っている。

 水の二面性、象徴性を説明し、娘の言葉は自分の気持ちを察してくれた「かのような」ものだ、と書いてある③が正解です。
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津島祐子「水辺」(センター2001年)①

2020年05月16日 | 国語のお勉強(小説)
  津島祐子「水辺」(センター2001年)①


 小説の1問目は、2001年のセンター試験です。
 まず作家、作品名、リード文を確認しよう。
 評論もそうだけど、最初に設問もさっと視覚に入れておこう。
 いつもどおりの言葉の意味、心情を聞く問題、表現の問題、全部で6問、いつも通りね、ぐらいにざっくりでいいです。
 リード文には、大切な情報が書かれています。
 注があれば、当然それも大事ですね。
 問題を作っている人がつけたものですから、基本的に問題を解くために必要な情報です。
 与えられたすべての情報を利用して解くという姿勢は、共通テストではさらに重要視されます。
 まずリード文を読み、最初の方の段落を読めば、この小説の設定はわかりますね。

 次の文章は、津島佑子の小説「水辺」の末尾である。「私」は夫と別居し、娘との二人暮らしの日々がしばらく続いた。二人の住まいは四階建ての一番上の部屋で、その部屋の中を通らないと屋上に出られない構造になっている。ある夜、「私」は壁の向こうに水の音が聞こえるように思ったが、そのまま寝入ってしまった。翌朝、階下の人から水漏れがするという苦情が持ち込まれる。本文はそれに続く部分である。

 ちなみに作者の津島祐子さんは、三年ほど前にお亡くなりになりました。みなさんにとって有名な作家ではないと思いますが、たくさんの文学賞も受賞してますし、外国の大学によばれて日本の文学を紹介しに行ったりしてた方です。お父さんはみんなも知ってる有名な小説家ですよ。太宰治ですね。ただ、津島祐子さんがまだ幼いときに父親は玉川上水に入水して亡くなってしまいます。血は争えないということでしょうか。こうして高名な小説家になりました。

 主人公は「私」です。本文を読んでわかったと思いますが、夫と別居して一ヶ月ぐらい経っています。
 詳しい事情はわからないものの、夫婦の間がうまくいってなかったことが読み取れましたね。
 さて、評論を読むときに、「近代という補助線」をひくことで、対比が明確になり、筆者の主張の方向性がつかめました。 小説でも、対比を意識しましょう。小説における対比は何でしょう。
 典型的なのは、主人公つまり「主役」と「対役」の関係です。
 たとえば、「下人」と「老婆」、「李徴」と「袁傪」です。
 対役は、基本的に主人公が生きる世の中、「世間」の人を代表する役割を果たしています。
 主人公は、羅生門や山月記で学んだとおり、原則として「反世間的存在」です。
 世間一般の価値観にあわなかったり、世間の人々とうまくいかなかったりして、何らかの屈託を抱えて生きています。
 この小説においても、主人公と世間の人々との対比は典型的に描かれていますね。
 ですから、リード文の「私」は丸で囲み、「階下の人」は四角で囲んで、対比にしてみましょう。傍線と波線とかでもいいですよ。

  すみません、そこは遠慮して下さいませんか。それより、屋上を見てみましょう。けさ、屋上は調べなかったんです。
 私はあわてて、二人の男を部屋のなかの階段に導いた。敷き放しの乱れた蒲団(ふとん)など見られたら、と思うだけで、体がこわばった。
 風呂場は異常なかった。屋上に出るドアを開け、私が真先(まっさき)に外に出た。眼に異様なものが映った。私は、思わず、ア声を洩らした。乾ききっているはずの屋上に、水がきらきら光りながら波立っていた。透明な水が豊かに拡がっていた。

 二人の男、つまり「不動産屋」と「三階の男」ですね。○○さんではなく、「~の男」という言い方で、「私」がその人たちをどういう感覚で見ているかが伝わってきます。
 水漏れの原因を見つけようと家の中をのぞこうとした男達を、「私」はあわてて制する。こんな人たちにプライベートを見られたくないと思いながら、屋上へ導く。
 そこで目に入ったのは「異様なもの」、予想もしてなかった光景でした。屋上一面が水に覆われきらきら光っていたのです。

 私は、思わず、ア声を洩らした。

 「声を漏らす」ですから、つい「え?」とか「うそ!」とか小さな声が出てしまったということですね。①~⑤のなかで一番近いのは、⑤「小さく叫んだ」ではないでしょうか。③「悲鳴をあげた」だと「漏らす」とずれますね。
 ①「ひとりごとを言った」②「こっそりとつぶやいた」ほど意図的な行為ではないですね。④「感情的に言った」も「声を漏らす」とは対応してません。

 「きらきら光りながら波立ってい」る水を見て、娘が叫びます。

  ウミ!ママ、ウミだよ。わあ、すごいなあ!おおきいなあ 。
 娘は裸足のまま、水のなかに跳びこんで行った。一人で笑い声を響かせながら、水を蹴(け)散らし、両手で水をすくいあげたり、顔に水をつけてみたりしはじめた。娘の足だと、水はくるぶしまで呑(の)みこんでしまっていた。
 私と二人の男は水の流れを辿(たど)りながら、給水塔の前に行った。水が、そこから、勢いよく溢(あふ)れ出ていた。見とれてしまうほどの、水量だった。

 娘さんは楽しそうです。「きらきら光る」「豊かに拡がる」「見とれてしまう」は、私の視点を通した水の表現です。マイナスのニュアンスは感じられないですね。
 小説を読むときは、主人公の心情が露骨に書いてある部分には線をひきましょう。
 情景描写も作者の創作ですので、基本的に主人公の心情と重なっていきます。
 とくに主人公の視点で「そう見えた」部分は、心情と同じくらい大事です。
 そういう箇所も線をひきましょう。

  ここから、あっちの方へ流れて、排水口で間に合わない分が、下に洩れていたんですな。どこかに、小さな罅(ひび)でも出来ているんでしょう。それにしても…これは大した眺めだ。
 三階の男も、イ気を呑まれてしまったのか、すっかり穏やかな表情に戻っていた。

 三階の男でさえ「気を呑まれて」しまうような光景でした。
 「気を呑まれる」は、「心理的に圧倒された状態」を表します。辞書的に最も近い①が、当然答えになります。②は「あきれて」がずれます。③「無我夢中」⑤「不審」は文脈的にも入りません。④「引き込まれて」は文脈的に入りそうな気もしますが、もともとの言葉の意味として出てきません。
 ことばの意味の問題は、辞書的な意味にあっているかどうかが最優先です。いきなり文脈で考えてはいけません。

  まったく、これじゃ、あの程度で下が助かったのを、ありがたく思わなければなりませんなあ。
  ほら、お子さんをすっかり喜ばせてしまった。
  うちの孫も、水が大好きですよ。
 二人の男は眼を細めて、水と戯れている娘の姿に見入った。
  しかし、あなた、真下にいて、音ぐらいは聞こえていたでしょうに。
 不動産屋に言われ、私ははじめて、ゆうべの水の音を思い出した。あの柔かな、遠い音。Aこの現実の身にもう一度、蘇(よみがえ)る音だったのか、と私は不意を襲われたような心地がして、肌寒くなった。

 屋上一面が、娘さんのくるぶしまで浸らせるほどの水量で覆われています。
 たしかに、階下の部屋が、ちょっとした水漏れぐらいですんでいたのは、幸運だったのかもしれません。
 私にとっては、「柔かな、遠い音」でした。何か水音が聞こえるとおもいながら眠りについてしまえるような。
 しかし、現実には、一歩間違えばけっこうな被害をもたらしたかもしれなかったと、私も気づくわけです。

問2 傍線部A「この現実の身にもう一度、蘇える音だったのか、と私は不意を襲われたような心地がして、肌寒くなった」とあるが、なぜ「私」は、「肌寒くなった」のか。その理由として最も適当なものを選べ。

 夢うつつで聞いていた心地よい水の音 → 現実は危険なものだった → ぞくっとした = 肌寒い

 自分のとって心地よい(+)ものが、危険なものだった(-)というギャップを説明した選択肢を選びます。
 「肌寒い」ぞくっとする(おそれ・不安)の内容が、②「責任が問われるのではないかと」、③「精神的に不安定ではないか」、⑤「人間の生活の不気味さ」はまったく違う。
 ①は△くらいかな。「放置していた」は、意図的にそうしたというニュアンスがふまれるので、ずれる。
 自分的にプラス側だった水の音が、実は危険と隣り合わせ、という内容ときれいに対応する④が正解。
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ウッディ・マッドメン・オーケストラ9th

2020年02月09日 | 国語のお勉強(小説)
ウッディ・マッドメン・オーケストラ(ちょー上手いです)

        第9回演奏会

日 時 2020年2月9日(日)14時開演 入場無料

会 場 和光市サンアゼリア 大ホール
    (東武東上線和光市駅より徒歩15分)

曲 目 バーンズ「交響曲第3番」 
    ボロディン「だったん人の踊り」
    久石譲「もののけ姫セレクション」 他
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「こころ」の授業(6)

2019年10月20日 | 国語のお勉強(小説)
六段落

 私はKと並んで足を運ばせながら、彼の口を出る次の言葉を腹の中で暗に待ち受けました。あるいは待ち伏せと言ったほうがまだ適当かもしれません。そのときの私はたといKをだまし打ちにしてもかまわないくらいに思っていたのです。しかし私にも教育相当の良心はありますから、もしだれか私のそばへ来て、おまえは卑怯だと一言ささやいてくれる者があったなら、私はその瞬間に、はっと我にたち返ったかもしれません。もしKがその人であったなら、私はおそらく彼の前に赤面したでしょう。ただKは私をたしなめるにはあまりに正直でした。あまりに単純でした。あまりに人格が善良だったのです。目のくらんだ私は、〈 そこ 〉に敬意を払うことを忘れて、かえってそこにつけ込んだのです。そこを利用して彼を打ち倒そうとしたのです。
 Kはしばらくして、私の名を呼んで私のほうを見ました。今度は私のほうで自然と足を止めました。するとKも止まりました。私はそのときやっとKの目を真向きに見ることができたのです。Kは私より背の高い男でしたから、私はいきおい彼の顔を見上げるようにしなければなりません。私はそうした態度で、狼のごとき心を罪のない羊に向けたのです。
 「もうその話はやめよう。」と彼が言いました。彼の目にも彼の言葉にも変に悲痛なところがありました。私はちょっとあいさつができなかったのです。するとKは、「やめてくれ。」と今度は頼むように言い直しました。私はそのとき彼に向かって〈 残酷な答えを与えた 〉のです。狼がすきをみて羊の咽喉笛へ食らいつくように。
 「やめてくれって、僕が言い出したことじゃない、もともと君のほうから持ち出した話じゃないか。しかし君がやめたければ、やめてもいいが、ただ口の先でやめたってしかたがあるまい。君の心でそれをやめるだけの覚悟がなければ。いったい君は君の平生の主張をどうするつもりなのか。」
 私がこう言ったとき、背の高い彼は自然と私の前に萎縮して小さくなるような感じがしました。彼はいつも話すとおりすこぶる強情な男でしたけれども、一方ではまた人一倍の正直者でしたから、自分の矛盾などをひどく非難される場合には、決して平気でいられないたちだったのです。私は彼の様子を見て〈 ようやく安心しました 〉。すると彼は卒然「覚悟?」とききました。そうして私がまだなんとも答えない先に「覚悟、――覚悟ならないこともない。」とつけ加えました。彼の調子は独り言のようでした。また夢の中の言葉のようでした。
 二人はそれぎり話を切り上げて、小石川の宿のほうに足を向けました。わりあいに風のない暖かな日でしたけれども、なにしろ冬のことですから、公園の中は寂しいものでした。ことに〈 霜に打たれて蒼みを失った杉の木立の茶褐色が、薄黒い空の中に、梢を並べてそびえているのを振り返って見たときは、寒さが背中へかじりついたような心持ちがしました 〉。我々は夕暮れの本郷台を急ぎ足でどしどし通り抜けて、また向こうの丘へ上るべく小石川の谷へ降りたのです。私はそのころになって、ようやく外套の下に体の温かみを感じ出したくらいです。
 急いだためでもありましょうが、我々は帰り道にはほとんど口をききませんでした。うちへ帰って食卓に向かったとき、奥さんはどうして遅くなったのかと尋ねました。私はKに誘われて上野へ行ったと答えました。奥さんはこの寒いのにと言って驚いた様子を見せました。お嬢さんは上野に何があったのかと聞きたがります。私は何もないが、ただ散歩したのだという返事だけしておきました。平生から無口なKは、いつもよりなお黙っていました。奥さんが話しかけても、お嬢さんが笑っても、ろくなあいさつはしませんでした。それから飯を飲み込むようにかき込んで、私がまだ席を立たないうちに、自分の部屋へ引き取りました。

 卒然 … とつぜん
 外套 … コート

Q33「そこ」とは何か。本文の言葉を用いて20字で記せ。
A33 あまりに正直で、単純で、善良なKの人格。

Q34「残酷な答えを与えた」とはどういうことか。(60字以内)
A34 恋愛問題で行き詰まり悲痛な面持ちのKに対して、
   追い打ちをかけるように日頃の主張との矛盾を指摘し
   その態度を批判したこと。

「ようやく安心しました」について
Q35 なぜか。(50字以内)
A35 矛盾を指摘した私の言葉に反論もせず萎縮してしまったKを見て、
   自分が優位に立ったことを感じたから。

Q36 私の中にはどんな不安があったのか、本文の言葉を用いて説明せよ。
A36 Kが実際的な方面にすすむことによって私の利害と衝突すること。

Q37「霜に打たれて蒼みを失った杉の木立の茶褐色が、薄黒い空の中に、梢を並べてそびえているのを振り返って見たときは、寒さが背中へかじりついたような心持ちがしました」という描写はどのような働きをもっているか。
A37 自分がしたことに対する無意識の罪の意識を表し、二人にとっての暗い将来を暗示する。


行 Kの出方を待つ  待ち伏せ・だましうち
   ↓
事 悲痛な様子を発見する 羊のよう
   ↓
心 だめ押しのチャンス!
   ↓
行 「残酷な答え」を与える  狼のように
   ↓
事 萎縮したKを見る
   ↓
心 安心
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「こころ」の授業(5)

2019年10月18日 | 国語のお勉強(小説)
 五段落

 私はちょうど〈 他流試合でもする人のようにKを注意して見ていた 〉のです。 私は、私の目、私の心、私の身体、すべて私という名のつくものを五分の隙間もないように用意して、Kに向かったのです。〈 罪のないK 〉は穴だらけというよりむしろ明け放しと評するのが適当なくらいに無用心でした。私は彼自身の手から、彼の保管している要塞の地図を受け取って、彼の目の前でゆっくりそれを眺めることができたも同じでした。
 Kが〈 理想 〉と〈 現実 〉の間に彷徨してふらふらしているのを発見した私は、ただ一打ちで彼を倒すことができるだろうという点にばかり目をつけました。そうしてすぐ彼の虚につけ込んだのです。私は彼に向かって急に厳粛な改まった態度を示し出しました。むろん策略からですが、その態度に相応するくらいな緊張した気分もあったのですから、自分に滑稽だの羞恥だのを感ずる余裕はありませんでした。私はまず「精神的に向上心のない者はばかだ。」と言い放ちました。これは二人で房州を旅行している際、Kが私に向かって使った言葉です。私は彼の使ったとおりを、彼と同じような口調で、再び彼に投げ返したのです。しかし決して復讐ではありません。私は〈 復讐以上に残酷な意味を持っていた 〉ということを自白します。私はその一言でKの前に横たわる恋の行く手をふさごうとしたのです。
 Kは真宗寺に生まれた男でした。しかし彼の傾向は中学時代から決して生家の宗旨に近いものではなかったのです。教義上の区別をよく知らない私が、こんなことを言う資格に乏しいのは承知していますが、私はただ男女に関係した点についてのみ、そう認めていたのです。Kは昔から精進という言葉が好きでした。私はその言葉の中に、禁欲という意味もこもっているのだろうと解釈していました。しかしあとで実際を聞いてみると、それよりもまだ厳重な意味が含まれているので、私は驚きました。道のためにはすべてを犠牲にすべきものだというのが彼の第一信条なのですから、摂欲や禁欲はむろん、たとい欲を離れた恋そのものでも道の妨げになるのです。Kが自活生活をしている時分に、私はよく彼から彼の主張を聞かされたのでした。そのころからお嬢さんを思っていた私は、いきおいどうしても彼に反対しなければならなかったのです。私が反対すると、彼はいつでも気の毒そうな顔をしました。そこには同情よりも侮蔑のほうがよけいに現れていました。
 こういう過去を二人の間に通り抜けてきているのですから、精神的に向上心のない者はばかだという言葉は、Kにとって痛いにちがいなかったのです。しかし前にも言ったとおり、私は〈 この一言 〉で、彼がせっかく積み上げた過去を蹴散らしたつもりではありません。かえって〈 それ 〉を今までどおり積み重ねてゆかせようとしたのです。それが道に達しようが、天に届こうが、私はかまいません。私はただKが急に生活の方向を転換して、私の利害と衝突するのを恐れたのです。要するに私の言葉は単なる利己心の発現でした。
 「精神的に向上心のない者は、ばかだ。」
 私は二度同じ言葉を繰り返しました。そうして、その言葉がKの上にどう影響するかを見つめていました。
 「ばかだ。」とやがてKが答えました。「僕はばかだ。」
 Kはぴたりとそこへ立ち止まったまま動きません。彼は地面の上を見つめています。私は思わずぎょっとしました。私にはKがその刹那に居直り強盗のごとく感ぜられたのです。しかしそれにしては彼の声がいかにも力に乏しいということに気がつきました。私は彼の目づかいを参考にしたかったのですが、彼は最後まで私の顔を見ないのです。そうして、そろそろとまた歩き出しました。

 他流試合 … 流派の異なるものどうしの、威信をかけての争い。※ 道場破り
 要塞 … とりで
 彷徨する … さまよう
 虚につけ込む … 相手の無防備な部分を突破口として攻め入ること
 宗旨 … 信仰する宗派
 精進 … 仏道修行に励むこと
 刹那 … 一瞬 ※65分の1指はじき
 居直り強盗 …窃盗が見つかって開き直り、強盗にかわる


Q25「他流試合でもする人のようにKを注意して見ていた」とは、「私」のどういう状態を表しているか。40字以内で記せ。
A25 Kを自分と敵対する存在と捉え、一部の隙も見せずに様子をうかがっていたということ。

Q26「罪のないK」という表現の働きを説明せよ。
A26 自分の敵対心がKにとって理不尽なものであったとの自覚はあることを読み手にアピールする。

Q27「理想」とあるが、Kにとって、どのように生きることが理想なのか。本文の言葉を用いて20字程度で説明せよ。
A27 道のためにすべてを犠牲にして精進すること。

Q28「現実」とは何か、説明せよ。
A28 お嬢さんへの恋心に内面を支配されていること。

Q29「復讐以上に残酷な意味をもっていた」とあるが具体的にはどんな意図があったのか。20字程度で抜き出して答えよ。
A29 Kの前に横たわる恋の行く手をふさごうとした

「この一言」について、
Q30 どの一言か、抜き出せ。
A30 精神的に向上心のないものはばかだ。

Q31 この一言は「私」のどういう心から発せられたのか。3文字で抜き出せ。
A31 利己心

Q32「それ」とは何か。20字程度で記せ。
A32 自分の信条に従って生きてきたこれまでの生活。


事 無防備なKを発見する
    ↓
心 一打ちで倒すことができる
    ↓
行 「精神的に向上心のないものは馬鹿だ」
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「こころ」の授業(4)

2019年10月11日 | 国語のお勉強(小説)
四段落

 ある日私は久し振りに学校の図書館に入りました。私は広い机の片隅で窓から差す光線を半身に受けながら、新着の外国雑誌を、あちらこちらとひっくり返して見ていました。私は担任教師から専攻の学科に関して、次の週までにある事項を調べてこいと命ぜられたのです。しかし私に必要な事柄がなかなか見つからないので、私は二度も三度も雑誌を借り替えなければなりませんでした。最後に私はやっと自分に必要な論文を探し出して、一心にそれを読み出しました。すると突然幅の広い机の向こう側から小さな声で私の名を呼ぶ者があります。私はふと目を上げてそこに立っているKを見ました。Kはその上半身を机の上に折り曲げるようにして、彼の顔を私に近づけました。ご承知のとおり図書館ではほかの人のじゃまになるような大きな声で話をするわけにゆかないのですから、Kのこの所作はだれでもやる普通のことなのですが、私はそのときに限って、一種変な心持ちがしました。
 Kは低い声で勉強かとききました。私はちょっと調べものがあるのだと答えました。それでもKはまだその顔を私から離しません。同じ低い調子でいっしょに散歩をしないかというのです。私は少し待っていればしてもいいと答えました。彼は待っていると言ったまま、すぐ私の前の空席に腰を下ろしました。すると私は気が散って急に雑誌が読めなくなりました。なんだかKの胸に一物があって、談判でもしに来られたように思われてしかたがないのです。私はやむを得ず読みかけた雑誌を伏せて、立ち上がろうとしました。〈 Kは落ち着き払ってもう済んだのかとききます 〉。私はどうでもいいのだと答えて、雑誌を返すとともに、Kと図書館を出ました。
 二人は別に行く所もなかったので、竜岡町から池の端へ出て、上野の公園の中へ入りました。そのとき彼は〈 例の事件 〉について、突然向こうから口を切りました。前後の様子を総合して考えると、Kはそのために私をわざわざ散歩に引っ張り出したらしいのです。けれども彼の態度はまだ〈 実際的の方面 〉へ向かってちっとも進んでいませんでした。彼は私に向かって、ただ漠然と、どう思うと言うのです。どう思うというのは、そうした恋愛の淵に陥った彼を、どんな目で私が眺めるかという質問なのです。一言で言うと、彼は現在の自分について、私の批判を求めたいようなのです。そこに私は〈 彼の平生と異なる点 〉をたしかに認めることができたと思いました。たびたび繰り返すようですが、彼の天性は人の思わくをはばかるほど弱くでき上がってはいなかったのです。こうと信じたら一人でどんどん進んでゆくだけの度胸もあり勇気もある男なのです。養家事件でその特色を強く胸のうちに彫りつけられた私が、これは様子が違うと明らかに意識したのは当然の結果なのです。
 私がKに向かって、この際なんで私の批評が必要なのかと尋ねたとき、彼はいつもにも似ない悄然とした口調で、〈 自分の弱い人間である 〉のが実際恥ずかしいと言いました。そうして迷っているから自分で自分がわからなくなってしまったので、私に公平な批評を求めるよりほかにしかたがないと言いました。私はすかさず迷うという意味を聞きただしました。彼は進んでいいか退いていいか、それに迷うのだと説明しました。私はすぐ一歩先へ出ました。そうして退こうと思えば退けるのかと彼にききました。すると彼の言葉がそこで不意に行き詰まりました。彼はただ苦しいと言っただけでした。実際彼の表情には苦しそうなところがありありと見えていました。もし相手がお嬢さんでなかったならば、私はどんなに彼に都合のいい返事を、その渇ききった顔の上に慈雨のごとく注いでやったかわかりません。私はそのくらいの美しい同情を持って生まれてきた人間と自分ながら信じています。しかし〈 そのときの私は違っていました 〉。

 悄然 … しょんぼりする様子
 慈雨 … 恵みの雨

Q18「Kは落ち着き払ってもう済んだのかとききます」という描写の役割を説明せよ。
A18 自分の都合だけを考え、他人の様子に無頓着なKの様子を描写し、
   一般的な観点からすると人間性に問題があったことをそれとなく示している。

Q19「例の事件」とは何か、簡潔に記せ。
A19 お嬢さん問題

Q20「実際的な方面」とはどういうことか。
A20 自分の恋心に基づき、何らかの具体的行動にでること。

 「彼の平生と異なる点」について、
Q21「平生」のKはどんな人物だったとここでは述べられているか。35字以内で抜き出せ。
A21 こうと信じたら一人でどんどん進んでゆくだけの度胸もあり勇気もある男

Q22 どのような点が「平生と異な」っていたのか。本文の語を用いて20字程度で記せ。
A22 現在の自分について私の批判を求めている点。

Q23 「自分の弱い人間である」とあるが、Kは何によって自分を「弱い人間である」と判断しているのか。簡潔に述べよ。
A23 恋愛感情をもったこと

Q24 「その時の私は違っていました」とあるが、なぜか。20字程度での記せ。
A24 お嬢さんを自分の結婚相手と考えているから。


事 Kが相談にくる
 ↓
心 違和感
 ↓
行 Kを観察する

 平生のK……自分の道を突き進む
   ↑
   ↓
 現在のK……私に批評を求めている
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「こころ」の授業(3)

2019年10月08日 | 国語のお勉強(小説)
三段落

 二人はめいめいの部屋に引き取ったぎり顔を合わせませんでした。Kの静かなことは朝と同じでした。私もじっと考え込んでいました。
 私は当然自分の心をKに打ち明けるべきはずだと思いました。しかしそれにはもう時機が遅れてしまったという気も起こりました。なぜさっきKの言葉を遮って、こっちから逆襲しなかったのか、そこが非常な手ぬかりのように見えてきました。せめてKのあとに続いて、自分は自分の思うとおりをその場で話してしまったら、まだよかったろうにとも考えました。Kの自白に一段落がついた今となって、こっちからまた同じことを切り出すのは、どう思案しても変でした。私は〈 この不自然 〉に打ち勝つ方法を知らなかったのです。私の頭は悔恨に揺られてぐらぐらしました。
 私はKが再び〈 仕切りの襖 〉を開けて向こうから突進して来てくれればいいと思いました。私に言わせれば、さっきはまるで不意打ちにあったも同じでした。私にはKに応ずる準備も何もなかったのです。〈 私は午前に失ったもの 〉を、今度は取り戻そうという下心を持っていました。それで時々目を上げて、襖を眺めました。しかしその襖はいつまでたっても開きません。そうしてKは永久に静かなのです。
 そのうち私の頭はだんだんこの静かさにかき乱されるようになってきました。Kは今襖の向こうで何を考えているだろうと思うと、それが気になってたまらないのです。不断もこんなふうにお互いが仕切り一枚を間に置いて黙り合っている場合は始終あったのですが、私はKが静かであればあるほど、彼の存在を忘れるのが普通の状態だったのですから、そのときの私はよほど調子が狂っていたものとみなければなりません。それでいて私は〈 こっちから進んで襖を開けることができなかったのです 〉。いったん言いそびれた私は、また向こうからはたらきかけられる時機を待つよりほかに〈 しかたがなかったのです 〉。  
 しまいに私はじっとしておられなくなりました。無理にじっとしていれば、Kの部屋へ飛び込みたくなるのです。私はしかたなしに立って縁側へ出ました。そこから茶の間へ来て、なんという目的もなく、鉄瓶の湯を湯のみについで一杯飲みました。それから玄関へ出ました。私はわざとKの部屋を回避するようにして、こんなふうに自分を往来の真ん中に見いだしたのです。私にはむろんどこへ行くというあてもありません。ただじっとしていられないだけでした。それで方角も何もかまわずに、正月の町を、むやみに歩き回ったのです。私の頭はいくら歩いてもKのことでいっぱいになっていました。私もKを振るい落とす気で歩き回るわけではなかったのです。むしろ自分から進んで〈 彼の姿を咀嚼しながらうろついていた 〉のです。
 私には第一に彼が解しがたい男のように見えました。どうしてあんなことを突然私に打ち明けたのか、またどうして打ち明けなければいられないほどに、彼の恋がつのってきたのか、そうして平生の彼はどこに吹き飛ばされてしまったのか、すべて私には解しにくい問題でした。私は彼の強いことを知っていました。また彼のまじめなことを知っていました。私はこれから私の取るべき態度を決する前に、彼についてきかなければならない多くを持っていると信じました。同時にこれから先彼を相手にするのが変に気味が悪かったのです。私は夢中に町の中を歩きながら、自分の部屋にじっと座っている彼の容貌を始終目の前に描き出しました。しかもいくら私が歩いても彼を動かすことはとうていできないのだという声がどこかで聞こえるのです。つまり私には彼が一種の魔物のように思えたからでしょう。私は永久彼に祟られたのではなかろうかという気さえしました。
 私が疲れてうちへ帰ったとき、彼の部屋は依然として人気のないように静かでした。

時機……タイミング
往来(おうらい)……道
咀嚼(そしゃく)……かみくだく

Q9「この不自然」とは何のことをこう言っているのか。(50字以内)
A9 お嬢さんへの恋心を打ち明けるKの話が一段落した後で、自分が同じ内容の話をKに切り出すこと。

Q10「仕切りの襖」には表現効果を説明せよ。
A10 私とKの心の隔たりを象徴的に表す。

Q11「午前に失ったもの」とは何か。20字以内で述べよ。
A11 自分とお嬢さんとの結婚話をすすめる契機。

Q12「自分から進んで彼の姿を咀嚼しながらうろついていた」とあるが、それはなぜか。40字以内で説明せよ。
A12 Kの人間性をよく見極めながら、今後自分のとるべき態度を決めていこうと考えたから。

Q13 Kの存在が「私」にとって不都合なものになったことを予感させる表現を、三つ抜き出せ。
A13 相手にするのが変に気味が悪かった
   彼が一種の魔物のように思えた
   私は永久彼に祟られたのではなかろうかという気さえしました


事 襖を隔ててKと対峙する

心 落ち着かない
  静かなKが気になる
  一方的な敵対心を抱く
   逆襲 手抜かり 突進 不意打ち

行 正月の町を歩き回る

心 私 →咀嚼→ K
   平生と異なっている 不可解
   気味が悪い 一種の魔物 祟られた

   読者=私(青年)への印象操作


Q14 「私(=先生)」が、Kへの恐怖心や不可解さを強調するのには、どのような心理が働いていると考えられるか。
A14 その後Kを出し抜いてお嬢さんとの結婚話を進めるという行動を自分がとったことを
   少しでも正当化したいという自己弁護の心理。

Q15 なぜ「しかたなかった」のか。「私」の行動をおさえているものは何か。
A15 プライド 見栄 世間の目 Kに対する劣等感

Q16 「こちらから進んで襖を開けることができなかった」のは、なぜか。
A16 不自然さをおして、自分の気持ちをKに説明することは、
   学問的劣等感を抱いているKに対し、
   世俗のことでまで後れをとるようで自尊心が傷つけられるから。

Q17 二段落の「口をもぐもぐさせるはたらきさえ、私にはなくなってしまったのです」に見られる、
   Kに対する私の意識を説明せよ。
A17 Kの死後何年も経った後でさえ、Kを揶揄する表現を半ば無意識に用いていると考えられ、
   Kに対する劣等感とその裏返しの自尊心の存在は変わっていないことを読み取ることができる。

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