ルアンナムターの農林業試験場に種子倉庫を作ることになりました。
工務店の人たちが来て地慣らし作業をしていたら、ゴロゴロ出てきたんです、不発弾が。
画像一番左は大きさ比較のために置いた私の足。ブーツのサイズは27センチ。
ベトナム戦争時代、ラオスは米軍の空爆を受けていました。
南ベトナム開放民族戦線(通称ベトコン)が物資等運搬のために利用したホーチーミン・ルートという抜け道がラオス国内にあったとかで、それを分断するためにかなり執拗な爆撃を受けたらしい。
そのほかにもいろんな経緯があり、なんだかんだで当時ラオス全土に投下された爆弾の量は合計300万トンにもなるのだそうです。当時のラオスの人口がおよそ300万人だったそうですから、国民一人当たり1トンの爆弾が使われたことになります。世界史上、これほどの密度で爆撃を受けたところは他にはないそうです。
単なる攻撃目的だけではなく、ベトナム爆撃からタイ北部にあった米軍基地に帰投する際、ベトナムに落としきれなかった分を空路途中のラオスにばらまいて行ったりもしたらしい。爆撃機の機体を軽くするためだったということですから、いわば不要物投棄の感覚。ゴミ爆弾。
また一説によると、投下された爆弾の2割程度は爆発しないように最初から設定されていたらしい。爆発せず不発弾となるものが確実にある、となればそこに暮らす人々にとって長期間に渡って脅威になるわけです。
実際、現在に至る数十年の間、不発弾の不時爆発による被害をラオスの人々は受け続けています。
当時のアメリカのやり方はひどい。すごくえげつない。
個人的にアメリカは好きな国です。
ですが、こういう事実を知るたびに、私の中のアメリカとアジアを隔てる距離感が大きくなっていくような気がします。
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以下、2010年4月6日に追加
少々訂正します。
見つかった爆弾は空爆用のものではないそうです。
あれは迫撃砲の砲弾で、地上戦で使用するものだそうです。
米軍がベトナム戦争に参戦する前、ラオスには仏軍が駐留しておりました。彼らが撤退する際、運びきれない弾薬をほったらかして雑に地中に埋めたらしい。その跡地にルアンナムターの研究所が作られたのだそうです。
あの場所から集中して多数の爆弾が見つかったのはそういう理由からだそうです。
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そうかもしれませんね。
戦争の問題は複雑で難しいですね。