一時期、アメリカのギター雑誌「Acoustic Guitar」を入手する機会が度々ありました。毎号、有名ギター・メイカーのテイラーが広告を載せており、それは特に派手なものではなく、たいていは中年男性の写真に五行くらいの静かなキャプションが添えられた、むしろ地味な広告でした。地味ではありましたが、中年男性とギターの親密な関係が心地よく描かれていて魅力的な広告でした。すでにその雑誌は手元に無いのでうろ覚えですが、たしかこんな感じのキャプション。
甥から借金の申し込みがあったら快く引き受けよう。
週末ごとの庭の芝刈りで返済してもらおう。
甥の額にうっすらと汗が浮く程度の軽い労働。
芝を刈る間、彼の耳には私が木陰で弾くテイラーの音色が届く。
私は常にgiverでいられる。
常に誰かに何かを与える側にいる、ということは人生の余裕であり徳であり、とても気分の良いものでありましょう。ヒトは他人に親切に接することでも幸せになれるんです。
途上国で生活していると、ほぼ毎日、街のどこかで物乞いをするヒトを見かけます。実際に助けを乞われることもしばしばで、そのときにポケットにコインがある場合は、いくらかあげることにしていました。一度に渡す金額はだいたい20円くらいではなかったでしょうか? 私の収入を考えると本当に微々たる値です。生前のジョン・レノンは収入の1%を寄付用としていたそうですが、私はせいぜい0.1%くらいだったかと思います。ま、街を歩いている時に目の前で頼まれたらコインを渡す程度の、さほど積極的ではない寄付ですから、そんなもんでしょう。
ケニヤのエンブは坂道が多い街です。
人通りの多い坂の途中に座り込み、プラスティック製のカップをかざして物乞いをするおばあさんがいました。カップにシリング硬貨を入れてあげると小さく「アサンテ」と言ってくれました。
ちょうどその時、かたわらを汗だくになって荷車を押して坂を登っていた青年が私に「アサンテ!」と、声をかけてくれました。
ああ、なんて嬉しいこと! コインをあげた本人だけではなく、通りがかりのヒトからも感謝の言葉をかけてもらえるなんて。
私はGiverとなる喜びを感じ、そしてまたエンブの街からも受け入れられたような気分にもなり、とにかくすごく優しい気持ちになったのでした。
それをきっかけに私の中で寄付に対する積極性が増し、困った人を探しては少額ながらもお金を渡し続け、その額はジョン・レノン同様、当時の収入の 1%に達しました、なんてことにはなりませんでしたけど。