Don't Let Me Down

日々の雑感、引用。
言葉とイメージと音から喚起されるもの。

Snapshot;ディアスポラ

2009-12-27 13:34:01 | 日記

なぜ“ユダヤ人”は優秀か?

かれらが歴史的に“さまよってきた”からではないか。
つまり彼らが、定住地を建国したときから、かれらは優秀ではなくなったのだ(笑)

いやいやぼくには、ユダヤ人差別などはない。
それどころか、フロイト、ベンヤミンからボブ・ディランまで、“ユダヤ系”のかたがたの優秀さには、敬意を払う。

ぼくにとって重要なのは、なぜユダヤ人が優秀かということではなく、<さまよう>ということである。

たまたま昨夜読んでいた本に、この問題の“定式化”があった。

ミシェル・ド・セルトーという、ぼくの知らなかった思想家の考えである;
《自分のところにいながら異人であるようなポジション》(上野俊哉+毛利嘉孝『カルチュラル・スタディーズ入門』;ちくま新書)

説明が必用だろうか。
ある時代の“ユダヤ人”なら、このポジションは“客観的条件”として存在した。

しかし、セルトーというひとが言っているのは、自分の故郷(国)で、<異人である>ような存在なのだ。

自分の<日常>で、<異人>であることである。





Snapshot;ユダヤ人

2009-12-27 13:30:30 | 日記

ユダヤ人にかんする“負のイメージ”には、<金貸し>というものがある。

しかし、そもそもユダヤ人が金貸しになったのは、キリスト教徒が、みずからの手を汚したくなかったという歴史があったらしい。
(たとえば徳永恂 『ヴェニスからアウシュヴィッツへ』を参照)

これはまったくの(歴史的)皮肉ではないか。

現在の世界金融市場を牛耳るのも、“ユダヤ人”なのであろうか。

あるいは、世界中が“ユダヤ人”になったのであろうか。




不破利晴への手紙 09-12-27

2009-12-27 10:38:16 | 日記

★不破利晴コメント(“Snapshot;;<マス>メディア”に対して)

Unknown (不破利晴)
2009-12-27 00:18:40
「革命」と聞いて、いろんな思いが錯綜し、コメントではなく、結局記事になってしまいました(苦笑)



★返信

昨夜寝る前に君の“2012”を読んだんだが、ぼくのブログへの<反応>とは、思わなくてさ(笑)

君が<革命>という言葉に反応してくれたのは、うれしいが。

ただ、ぼくが<革命>という言葉を、いま使うなら、あんまり<行動>のことはイメージしてなくて(イメージできなくて)ね。

ぼくとしては、いま好きなのは<新しい天使>でね(笑)
天使というのは、宗教的な概念だし、ベンヤミンの場合も“ユダヤ教”は無視し得ない。
けれどもぼくは、宗教的でも(いわゆる)マルクス“主義”的でもない<天使>を夢想するわけ。

ベンヤミンの文章自体がそれを<告知>していると感じる。
ぼくはずっと、ぼくにとって“中心となる人物”をさがしてきた。
ずっとサルトル、メルロ=ポンティ以降のレヴィ=ストロース、フーコー、ドゥルーズ、デリダのようなフランス思想をフォローする必要を感じてきて、それを放棄していない。
彼らはそれぞれ違っているが、そこには決定的に新しいものがあると思う。

さらに“その背景”には、マルクス、ニーチェ、フッサール(現象学)があり、さらにその背景にカント、ヘーゲルがいる。
そしてフロイト―ラカンがいる。
最低でもこれらのひとびとについて、自分なりのなんらかの手応えを得たいと思う。

ただこれらの人々のなかで、だれを<中心>とするかで迷ってきた。
そこにベンヤミンがあらわれた。
そしてやっぱりフロイト(笑)

ぼくは<哲学>をやりたいわけではないし、<社会思想>という“くくり”のほうが、ぼくの問題意識に近い。

また、“テクストかひとか”という次元があり、実は、ぼくはけっこう<ひと>なんで、ベンヤミンという<ひと>に惹かれる(もちろんベンヤミンの“テクスト”も最上だと思うが)

そして、当然さらに、“本を読む”こととは別次元の、<行動>があることは、ぼくも了解している。
しかし、この<最後の行動>については、ぼくには“自発性”は、ぜんぜん予想できない。

まさに、君が言うような<危機>が到来する可能性がある。
その時は、ぼくは“巻き込まれる”だけだと思う。
あるいは、その時、ぼくがいかに<行動>できるかは、まったくの未知だと思う。

そういう<意味>では、ぼくに<主体性>など残念ながら、まったくない。
しかし、現在進行形でぼくがやること、本を読むことも行動=実践であると考える。

つまりぼくは<革命のために>準備したりはしない。
こういう言い方は、一種の<逃げ>でもあるが、むしろ<革命>はひとつの出来事(エポック)ではなく、まさに日々実践されることだと思う。

結局、“マルクス主義的な”<革命>のまちがいは、歴史的必然により、矛盾がピークに達したときに、革命が起こり、“理想社会が”実現する、という神話だ。

そういう<意味>では、<理想社会>などこない。
これは<天国や地獄がない>ことと同じように明解なことである(笑)

まさにこのような<発想>が、くるっている。

ぼくたちは、自分の人生も、この社会も、完全にコントロールすることなど、決してできない。
だからあきらめるのではなく、放棄するのではなく、居直るのではなく、<考えつづける>わけである。

つまり、たとえば、ベンヤミンのような(もちろんベンヤミンひとりではない)根源的な思索者も“偶然(運命)”に翻弄された。
まさに<その渦中で>考えたのだ。

ぼくはそういう<人間の実在>しか信じないし、興味もない。

ぼくらは、“結論を出す=結論を出し、実践的指針を与える”ためだけに考えているのではない。
そう“考える”ことも必要であり、この世の具体的悲惨にたいして、異議を提出し、少しでもその現状を変えることは、必要だ。

しかし、そのためだけに考えるなら、その“現実的効果”は、いつも皮相なものにとどまる。

<永続革命>とは、派手派手しい“スローガン”にあるのではなく、まさに、この日々をどう生きて、死ぬのかという<実践>、この<ぼく>という人生のただ一度の実践にある。

ぼくや君の<孤独なたたかい>は、他者と世界との関係が錯綜するこの<社会=環境>のただなかでの日々の行動=実践なのだ。




新しい天使

2009-12-26 16:02:34 | 日記


今年2009年も出会いがあった。

平出隆『猫の客』、青山真治「ホテル・クロニクルズ」

すぐ思い浮かぶのは、この2冊。
しかし、まだ充分ではない出会い、まだ無意識にもぐり地層となったさまざまな断片=言葉=映像があった。

まさに未来(2010年)へと継続される<潜在性>がある。
これらの言葉=映像が、ぼくとして、いつ表出できるのかも不明であり、結局、それらは突然の中断をむかえるのだろう。

それらの言葉=映像が(あるいは音のインタープレイが即興が)、ぼくという小さく・瞬間的な実存にただとどまるのではなく、すこしでも、このひとかけらの断片として、あなたに、とどくことを願う。


ヴァルター・ベンヤミン。

野村修『ベンヤミンの生涯』(平凡社ライブラリー)の最初に引用された<三つの天使像>の2番目の天使から引用する(なおこの翻訳は、『ベンヤミン・コレクション3』(ちくま学芸文庫)の最初にもあるが、ぼくはこの初めて読んだ野村氏の翻訳文に愛着がある);


★ 天使はしかし、ぼくが別れてこざるをえなかったすべてのものに、人間たち、とりわけ物たちに、似かよってゆく。ぼくの手にもはやない物たちのなかに、かれは住まう。

★ かれは物たちを透明にする。するとあらゆる物の背後からぼくには、それをぼくが贈りたいひとの姿が、見えてくるのだ。だから贈ることにかけては、ぼくは誰にもひけをとるはずがない。

★ そう、ひょっとしたら天使は、何ひとつ手許に残さず贈りものにしてしまう男に、誘い寄せられてきたのかもしれぬ。なぜならかれ自身は、鉤爪をもちするどい刃のような翼を持ちながらも、見られた相手に襲いかかるようなそぶりは、まったく見せないのだから。かれはその相手を吸い込むように見つめる――長いあいだ。そしてそのあと断続的に、しかし容赦なく、後退する。なぜか?相手を引きずってゆくために。じぶんがやってきた道、未来へのあの道を辿って。

★ かれはその道をよく知っているので、振り返らなくても、じぶんが選んだ相手から眼を放さなくても、最後まで道を誤りはしない。かれが望む幸福は矛盾していて、そのなかでは一度限りのもの、新しいもの、まだ生きられていないものの恍惚が、再度のもの、取り戻されたもの、生きられたもののあの至福と共存するのだ。

★ したがって、かれが新しいものを期待できるのは、ひとりの新しい人間を連れて帰還する途上でだけである。ぼくもかれと同じだった。ぼくはきみをはじめて見た瞬間から、きみとともに帰っていったのだ、ぼくがやってきたところへ向かって。

<ヴァルター・ベンヤミン;“アゲシラウス・サンタンデル”第2稿(1933年8月成立;ベンヤミン亡命の約5ヵ月後)>


*野村氏の訳注によると、上記の文章(引用はその後半部分)は、遺稿としてゲルショム・ショーレムのエッセイ「ヴァルター・ベンヤミンとかれの天使」(1972)のなかで、はじめて発表された。





Snapshot;<マス>メディア

2009-12-26 12:33:55 | 日記
現在テレビ=新聞=ネットを中心とする<“マス”メディア>ほど不快なものはない。

<大学教授>も不快である、かれらの多くもメディアに加担している。
あらゆる<広告屋>は、不快である。
もちろん<太鼓持ち>タレント(毒舌!爆笑!いいとも!)が、不快である。

彼らは“確信犯的”嘘つきである。

マスメディアに“右”とか“左”とかの差異もない。
かれらは皆、“グル”である。

かれらは、“この社会で”有利なポジションを占めれば占めるだけ、<保身>にしか関心がない。

ゆえに、持てる者は、現状を死守する。
現状を批判してみせるという<芸>でも、死守する。

かれらの辞書には、<革命>という言葉がないだけではなく、<革新>という言葉もなく、せいぜい<改革>とか<改良>とか言ってみせるだけである。

かれらの言っていることは、“あなたもわたしも<エゴ>だから、<安全>を脅かすものはすべて避けようね“という予定調和的<共感>のみである。

かれらの“リベラリズム”は、<自由>についての考察・認識をまったく欠いている。

そもそも<自由>について、みずから考えたことがないのだ。
<リベラリズム>をおびやかす、<悪>や<暴力>についても、彼らはなにも考えられない。
せいぜい、国立オンボロ大学とか留学先のカリフォルニアだかで、“おそわった”ことを、鵜呑みにしてきただけである。

かれらは、自分が保守しているものさえ認識しない。
いや、自分が死守しているのが、自分の社会的ポジションでしかないという、あまりにも単純な<真実>を、誤魔化すためにのみ“活動”している。

かれらに必要なのは、この絶対的<格差>である。

格差がなければ、誰にも自慢できないし、自己満足できないのである。


すなわち、“公正な報道”が自分たちに都合が悪くなれば、報道しない。


ただそれだけ。





Snapshot;笑う

2009-12-26 11:14:33 | 日記
▼乗り継ぎを入れても東京から広島まで3時間かからない。とはいえ、かつて新幹線を「夢の超特急」と呼んだ高揚感はいま一つだ。追われるように先を急ぐ人生に、さらにムチが入るだけではないか――。重ねた齢(よわい)のせいか、技術への期待は昔ほど素朴ではない▼その昔、「急行」が初めて走ったときに怒った人がいたそうだ。「乗る時間を短くして運賃が高いとはけしからん」という理屈だったらしい。苦笑しつつも、忘れていた牧歌を聞くような懐かしみがわく(今日の例の天の声)


《重ねた齢(よわい)のせいか》だって!
50代のくせに、おおげさに言うな。
人間60代にならないと、ワカランことがある。

《技術への期待は昔ほど素朴ではない》
そうだろうか、朝日新聞にいるようなひとは、“素朴な技術への期待”しかもっていないから、いられる。

《苦笑しつつも》
なぜ苦笑なのか。
ぼくはただ笑える、たいして可笑しくもないが。

《忘れていた牧歌を聞くような懐かしみがわく》
ほんとかいな?
朝日新聞のひとに、<忘れていた牧歌>があるのだろうか。

ぼくは昔の朝日新聞を《懐かしむ》が、それは自分のかつての生活習慣に対してである。
内容や、文章にではない。

いつもいつも、しらじらしい顔で“すべてを解説してみせる”いやなヤツが、ガッコウにもいた。

そいつらが、いま、よってたかって<情報操作>をしている。

自分に都合の悪い情報は“書かない”。
自分にわからない<感情>は、書きようがない。

だから、いつもまったくつまらない“小市民根性”しかみえない。

こういうひとたちの<感覚>では、この社会は、絶対に変わらない。

そういう<意味>で朝日新聞は、“保守正道”なのだ。





Snapshot;夢A

2009-12-26 06:21:23 | 日記


今朝はやく、オシッコにいきたくなって起きたら(寝る前に水をたくさん飲んだ)、とても鮮明な夢を見ていたことがわかった。

田原総一朗の夢である(爆)
田原総一郎が自殺したという夢。

こんな夢を見ているとは、オシッコに起きないなら知らなかった。




辺境にて

2009-12-26 05:35:03 | 日記
内田樹ブログから引用する;

繰り返し申し上げるが、現代日本の不幸の過半は「努力のしすぎ」のせいである。
私たちは疲れているのである。
私たちに必要なのは休息である。
『日本辺境論』が売れているのは、「もう努力するのを止めましょう」という(日本人みんながほんとうは聴きたがっている)実践的提言をなす人がいないせいである。
きっとこの後、潮目の変化を感じとった言論人の中から「日本人よ、ナマケモノ化せよ」といったタイプの言説を語る人が出てくるだろうと思うけれど、そういうことを「せよ」という当為の語法で語るのがもう「刻苦勉励」なんだよね。
こういう提言は「オレ、ちょっと疲れちゃったからさ、休まない?ねえ、休まない?」という懇請の語法で語られないと通じないのよ。
(以上引用)


内田樹さん、『日本辺境論』売れて、よかったね。

『日本辺境論』には上記のようなことしか書いてないんだから、まだ買ってないみなさん、買う必要はないってことさ。

大江健三郎の『水死』を買おう(ぼくもまだ買ってないが;笑)

内田樹に限らないが、その“論旨”に賛成しても、どうしても嫌いなひとというのがいるね。

つまりあらゆる<文章>は、そこで何が言われているかということじゃないのさ。
恐ろしいことに《文は人なり》なんよ。

もちろん内田樹には“論旨”もおかしいこともあるが(笑)

たとえば上記でぼくが不快なのは、なんで内田の本で、“日本人は努力のしすぎだ”なんてことを読まされなければならないのか、ということさ。

しかも《懇請の語法で語られないと通じないのよ》という“ネタばれ”付きでさ。

ぼくは<外国>から理屈をかっぱらって、つまらない四方山話をするひとは、<下品>だと思う。
品性が卑しいことが<文面>からただよってきちゃう。

もちろんこのひとのブログでは、その卑しさも堂々とお書きになっておる。
そういうのを、“率直でいい”と感じる親切な愛読者も多々いらっしゃるのだろう。

内田さん、もうカネも溜まっただろうから、ごゆっくりお休みください。

ぼくは<辺境>を論じてなどいない。
辺境に生きている。





<それにしても>

”サンプロ”を降板する田原総一朗のギャラが1回100万円近い(推測)というのには、恐れ入る。

やっぱ有能なひとのギャラは高いのね。
もちろん皮肉である。

こういう無駄ガネを貧者に分配すべきである。

すべての<テレビ>タレントに言っている。




THE SEA CHANGE;大変貌

2009-12-24 17:55:52 | 日記

いまさら<ファシズム>ではないだろう、<南京大虐殺>でもないだろう。

ぼくは、マゾヒスト(自虐!)でも、“狼が来る少年”でもないのだ。

しかし単純に、ぼくらが、ただ毎日を惰性で生きるのでなく、このただ一回の人生を、すこしでも“よく生き”、できるなら未来の世代に対して“わずかながら”の贈り物をする生き方を模索するなら、“歴史からまなぶ”ことも必要ではないのか?

<20世紀思想史>のすぐれた仕事としてスチュアート・ヒューズの“3部作”はある。
この3冊目『大変貌』(みすず書房)の書き出しは以下のようにはじまっている;

★ ファシズムの暴圧を逃れたヨーロッパの知識人のアメリカ合衆国への移住は、ようやく1970年代の視野のなかで、20世紀の第2四半期のもっとも重要な文化的出来事――あるいは一連の出来事――としてはっきりと認識されるにいたった。

ハーヴァード大学でこのヒューズのもとで学んだ若者の博士論文を根幹に1973年に出版されたのが、マーティン・ジェイ『弁証法的想像力』(みすず書房1975)である。

この本は“フランクフルト学派”に関する研究である。
“フランクフルト学派”の亡命体験をめぐる現代史=現代思想史である。

その“学派”の中心人物だったホルクハイマーからの引用を、『弁証法的想像力』第8章から引用しよう;

★ 啓蒙と知的進歩をもって、諸々の悪しき力、悪魔や悪霊、盲目な運命の迷信的信奉からの人間の解放と解するならば、現今理性と称されているものを告発することは、理性のなしうる最大の貢献である。

また、『弁証法的想像力』のエピローグは以下のように結ばれている;

★ 「アウシュビッツのあとに詩を書くことは野蛮だ」と、アドルノはもっと苦しかった時期に書いた。社会理論を書き、科学的な調査研究を行うことは、その批判的で否定的な衝迫が保たれていてのみ、もっと許されるものになるのであった。なぜならば、フランクフルト学派はいつもそう主張していたのだが、詩を書くことがもはや野蛮な行為ではないような未来の可能性が保持されるとすれば、それは現在を賛美することを拒絶することによってのみであるからであった。


これらの言葉は、もう何十年も前に書かれたから、<現在>に関係ないであろうか。

これらの言葉が、“むかしより”ピンと来るぼくは、アナクロなだけなのだろうか。

この<現在>というのは、この現在でしゃべり散らす人々は、<批判>とか<否定>という言葉を、たんに“ネガティブ”としか感受できないほど、言語感覚が劣化・麻痺しているのか。
言語感覚が麻痺した人々は、どのようにして認識し、考えるのだろうか?


“フランクフルト学派”の成果を代表する著書である『啓蒙の弁証法』(岩波文庫2007)から引用する;

★ 死者への関係が疎外されている――死者たちは忘れられミイラにされる――、それは今日、経験が病んでいることの徴候の一つである。人生とは一人の人間の歴史の統一に他ならないが、その人生という概念そのものが、ほとんど空しいものになってしまったと言えよう。一人一人の生は、かろうじてその反対物である死によって定義されるだけで、意識的な記憶の連なりや忘れようとしても忘れられない追憶の一致といったものは、すべて失われてしまった。

★ つまり人生はその意味を失ったのだ。個々人は、点としての現在のたんなる羅列へと還元される。そういう現在は後に何の跡も残さない、と言うよりむしろ、現在の痕跡は非合理的で余計なもの、文字どおり「追い越された」ものとして、人々の憎悪の的となる。最新刊以外の書籍はうさんくさく思われ、歴史学を専門的に営んでいる部門の外では、歴史に想いを致すなどは、当世風のタイプの人々をいらいらさせるだけなのだが、それと同じように、人間の過去は、そういう人々を激怒させる。ある人が前に何だったか、何を経験したかということは、彼が今何であるか、何を持っているか、極端な場合には、何に利用できるかということの前では抹消されてしまう。

★ どんな感情に対しても、市場価値を持たないものは追放してしまえ、という非難が加えられるが、もっとも激しくその的になるのは、労働力の心理的回復にまったく役立たない[明日の労働のために英気を養うことのない]感情・悲しみに対してである。悲しみは文明の傷痕、非社交的な感傷となる。それははしなくも、人間に目的の王国への忠誠を誓わせることがなお完全には成功していないという消息を告げている。だからこそ悲しみは、他のどんな感情にも増して醜悪なものと見なされ、意識的に社会的なしきたりのたんなる形式とされるようになる。

★ 祖母の葬儀が第一級の格式で営まれたことを得意げに書き記したある少女は、父親が涙をこぼしたからといって、「パパが取り乱したのは残念だ」と付け加えていたが、この間の事情を示す好箇の例であろう。

★ 人間たちは、もはや自分自身を覚えていないということについての絶望を、死者たちにぶちまけているのだ。

<ホルクハイマー+アドルノ;“手記と草案;幽霊の理論・補論”―『啓蒙の弁証法』>





Snapshot;プロバンスの土から

2009-12-24 11:01:36 | 日記

★ 八王子に帰省している良き魔女は、みずから物をつくるひとである。
プロバンスの土から、お皿や茶碗やアクセサリーをつくった、娘の顔の像もある。

彼女の妹さんも、“衣服”をつくる、彼女らのお母さんは俳句もつくる、彼女らは料理もつくる。
この“女の館”に招かれて、おいしいおにぎりやおでん、白菜漬けの昼食を、いただく。

魔女は自分の作品の展示即売も例年行ってきたが、今年はやっていない。
その展示スペースには、たくさんの帽子があった。
最初ぼくは、それらはみな、魔女の作品かと思った。
そうではないと彼女は言う。
彼女が作ったものは数点であり、それは布をはぎ合わせてつくった。
その他の帽子は、彼女がコレクションしたものである。

魔女は言った;
本格的な帽子を作るには、成型する機械がいる。
フランスの人々は、ひところ、みんな帽子をかぶっていた。
豊かな人はゴージャスな帽子を、貧乏な人々は安い帽子を買って、それにみずから手を入れた。

だから、無数の帽子があり、それが古物市で収集できるということらしい。

既成の、あるいはみずから手を加えた、<無数の帽子>が、現在においてある。
これが<文化>ではないか。
<歴史>ではないか(ベンヤミンはそれを<発掘>しようとした)

最近あるブログ(コメント)で読んだ;
音だけ聞くとヨーロッパに憧れちゃいますが、どうもそそられないのがヨーロッパなんです。
行けば違った感慨を持つんでしょうが、アメリカほどのざっくばらんさがないので、なんだか敷居が高いっていうか……。
地中海でお好み焼きを食べよう!なんてツアーがあれば、ずいぶん楽なんですけどね(笑)
(以上引用)


笑っている場合ではないと、思う。

この“スパリゾート井上”のようなひとに、“わからない”のは、上記のような<無数の帽子>の実在、感触なのだ。

かれには“ロックが分かって”も、文化がわからない、歴史もわからない。

ぼくは彼と同じように<ロック>を自分の生活の基本としてきた者として、すなわち人生の先輩として、はなはだ遺憾である、残念なのだ。

君は<ロック>のなにを聴いてきたのか?
君は“アメリカ人”がヨーロッパからの移民であることさえしらないのか。

あるいは、<他の地域からの>移民であることも知らないのか。