Don't Let Me Down

日々の雑感、引用。
言葉とイメージと音から喚起されるもの。

夜と昼;土くれのようなわたし;いくつかの引用

2009-12-21 20:55:21 | 日記

今日もいくつかの本をところどころ読んだ。

宇野邦一『破局と渦の考察』(岩波書店2004)には、目次がない。
最後にある“初出一覧”から「夏、感じること」というタイトルにひかれて読んでみた。
1999年に発表された文章。

この文章のテーマは、“思考と感覚の隔たりを思考しよう”というもので、そのこと自体も興味ぶかかったが、今日は下にもう長い(長すぎる)ブログを書いたのでそれについては書かない。

この文章には(この文章にも)なかなかよい“引用”があった。
この文章の最初にあった引用と、セザンヌの言葉だけを引用しよう;

★ 私は自分が何者であるか知る前に死んでしまうでしょう。(フランシス・ベーコン)
(このベーコンについて説明がないが、画家のフランシス・ベーコンでしょうね)


以下はすべてセザンヌの言葉;

★ 夜が来ると、私はもう絵を描かないし、これまでも描いたことがないという気になります。

★ 私が大地から、私自身を溶け込ませた大地の片隅から眼を離すことができるためには、夜が来なくてはならない。

★ 私たちの絵画、それは当てもなくさまよう夜、手探りで進む夜です・・・・・・美術館はプラトンの洞窟です。

★ 画家と一緒に、暗くもつれた事物の根源に下りてゆき、色彩とともに再び這い上がって、色彩とともに光のなかで花開くのです。

★ 日が昇る前、精神が目覚める前の土くれのような・・・・・・


やはりニーチェの言葉も引用すべきか(笑);

★ 私は植物としては墓地の近くに、人間としては牧師館の中で生まれた。

★ 芸術は真理よりもより多く価値がある。
★ 芸術は私たちに動物的活力の状態を想起させる。




日本人は“欧米”を理解したのか

2009-12-21 13:39:27 | 日記
この師走のなんとなく“あわただしい”時期、やれクリスマスがどうたらこうたらとかで、街にはペラペラのイルミネーションが輝き、またぞろプレゼントとかお歳暮とかいう名の“消費物体”が氾濫するさなか、<日本人は“欧米”を理解したのか>などというブログを読む人はだれもいない。

“みんな”が大好きなブログは、“現代的な消費生活”の穴倉で、限りない“自己チュー”的感性を、無限増殖し続けるひとのブログである(つまり“こういうひと”に自分が果たせなかった“無責任状態”を託して、しばしの気休めを得るのである)
あるいは自分とまったく関係ない“タレント”についての、あさましい興味と噂話である(もちろんこのタレントには、”政治家”と呼ばれる人々もふくまれる)
現在の”じゃーなりずむ”というのは、スポーツ・芸能ニュースである。
たぶんゴキブリの生態というのは、このようなものであろう。
世界が滅びてもゴキブリは生き残る。
ああゴキブリどもの“ちいさなシ・ア・ワ・セ”が、この街のイルミネーションのように今日も点滅する。


このときこそ、warmgunは<反時代的=反社会的>ブログを書くのである(爆)
いかに硬直した、誇大妄想狂(まあかんたんにいえば気狂いですが)と思われようと。

あなたカール・レーヴィットを知ってる?
なに知らない。
ぼくが学生のころは聞いた名であったが、最近は聞かない。
2008年に、岩波文庫から『共同存在の現象学』という本の翻訳が出た。

ずっとこのタイトルが気になり、書店で手にとったが、なかなか読みがたい本ではないかと買わなかったが、近日なぜか買った。
まだ本文はぜんぜん読んでないが、巻末の訳者熊野義彦氏の長文の‘解説’を読んだ。

レーヴィットはハイデガーの弟子であると同時にハイデガーの批判者であったという。
このことに興味を持つ以前に、ぼくにとって興味深かったのは、レーヴィットが1936年に東北帝国大学から招聘され、仙台に着任したことである(仙台はぼくの“家系の”場所である)
彼は1941年、真珠湾攻撃の半年前に日本を離れアメリカへ向かったとある(そもそもレーヴィットが“さまよって”いたのは、彼がユダヤ系だったから)

その間の回想録があり、そこからレーヴィットの日本への感想および批判がいくつか引用されている;

★ ヨーロッパ人である者のこころに訴えるのは、古い日本における近代化の進行ではもちろんない。東洋的な伝統が存続していることと、土着の神道に見られる異教的なさまである。

レーヴィットはこの“日本”に古代ギリシアやローマと似たもの=《いたるところに存在しているさまざまな超自然力に対する怖れと崇拝、すなわち「カミ」、「うえのほうにあるもの」》を見て、以下のように書く;

★ 人間の日常生活にあって超人間的な力がこのように承認されるのに似つかわしく、あるいは地震と台風がきっかけなのか、あるいは戦争と爆弾によってそうなったのかはわからないけれど、そうした運命に対して取られる態度は、無条件的な屈従である。


こういう“日本(日本人)”批判を今読むわれわれは、これは戦前の日本であって、“戦後”こういうことは、克服されたと思うのである。

しかしそうであろうか。
ぼくたちは《うえのほうにあるもの》に《屈従》していないで、あろうか。

もちろん、<西洋>にたいして、“君たちの<神>はどうなんだ?”という反批判が可能であってもだ。

さらにレーヴィットの回想文から引用;

★ 学生たちはたしかに、献身的に私たちヨーロッパ人の文献を研究し、じぶんたちの知性によってそれを理解してもいるけれど、じぶんたちの研究のなかから、かれら自身の、また日本人の自我のために、いかなる帰結もみちびき出さない。ヨーロッパの概念、たとえば「意志」「自由」「精神」といったものを、かれら自身の生活、思考、言語において相応するもの、ときにじぶんたちのそれとは相反するものと区別したり、比較してみたりすることはしないのだ。かれらは、それ自体として見知らぬものを、自分自身のためには学ばない。そうすることが自明であるかのように、ヨーロッパの哲学者の原文のなかに歩みいって、自分の概念に対してその哲学の概念を、根源的未知なありかたにおいて見ようとはしない。
★ 彼らはふたつの階で暮らしているようなものである。すなわち、日本的に感じたり考えたりする、したの、基本的な階と、プラトンからハイデガーにいたるヨーロッパの学問がならべられている、うえの階である。かれらが一方から他方へとわたってゆく梯子はどこにあるのだろうか。ヨーロッパの教師は、そう自問してみる。


上記に対して、反論するのはたやすい。
上記のような“感想”こそオリエンタリズムではないか。
あるいは<哲学>だけが、学問であったり、“世界認識”であろうか?とか。

しかし、<戦後>とくに<現在>において、ぼくらは、《ふたつの階で暮らす》のをやめたようである。
あるいは、<西洋哲学>などにはなんの意味もないと、“居直った”のである。

まさにこの“国際情勢”を認識し、そのなかでうまく立ち回るためには、<社会科学>があればよい(この社会科学も西欧製ではあるが)<注>

この<社会>でビョーキになるひとがいれば、医者とか精神科医がいればよい。
<自然科学>が、<サイエンス>があればよい。

つまり徹底的に<西欧>のテクニックを導入し、しかし、<こころ>では、西欧を侮蔑し、“ニッポンは良い国だなー”と居直ろうとしている(和魂洋才!!!)
すなわち、まったくわれわれにカンケーない、クリスマスに浮かれているのだ。

《ふたつの階で暮らして》いた“日本人”には、まだしも“梯子を探す”という課題があった。

そのためには、この<日本>と<西欧>についての歴史的認識が必要であった。
アメリカが好きならば、その<他者>についてもっと知る必要があるのだ、現在の彼女の顔や振る舞いにのぼせているだけでなく、彼女の来歴(歴史)を知るのである。
USAはヨーロッパからの移民で成り立っている。
さらにアフリカ人や、中南米からの“移住者”で成り立っている。
また“アメリカ原住民”がいる。
もっと“最近(戦後だ)”では、USAは、ナチズムからの大量亡命者で成り立っている。

しかしこの<同盟国>のルーツには、ヨーロッパがあり、さらにヨーロッパと<オリエント>の長い確執=交流がある。

さて、<はしご>は1本では足りない、足りないのである。

《かれらは、それ自体として見知らぬものを、自分自身のためには学ばない》

という言葉は、このレーヴィットの感想(批判)を越えている。
それは<ニッポンの哲学>への批判のうちに収まるものではない。

《たとえば「意志」「自由」「精神」といったものを、かれら自身の生活、思考、言語において相応するもの、ときにじぶんたちのそれとは相反するものと区別したり、比較してみたりすることはしないのだ》

という言葉を、そっくり現在の<欧米>にお返しすることも可能だ。

まさにこの<世界=社会=環境>を、この私と他者の<関係>を、《根源的未知なありかたにおいて見る》ことが現在において要請される。


もちろん、このブログのタイトルを以下のように”修正”することもできる;

<われわれ日本人は”日本(日本人)”を理解しているのか>



<注>

にもかかわらず、さっぱりうまく”立ち回れない”のは、いかなる<学>の不足であろうか!

もちろんこれは”国際情勢”や”社会問題”のみではない。

あなたと彼女の(彼氏の)<カンケー>でもある。

つまり<カンケー>は、いたるところに<関係して>いるのだ。