今日もいくつかの本をところどころ読んだ。
宇野邦一『破局と渦の考察』(岩波書店2004)には、目次がない。
最後にある“初出一覧”から「夏、感じること」というタイトルにひかれて読んでみた。
1999年に発表された文章。
この文章のテーマは、“思考と感覚の隔たりを思考しよう”というもので、そのこと自体も興味ぶかかったが、今日は下にもう長い(長すぎる)ブログを書いたのでそれについては書かない。
この文章には(この文章にも)なかなかよい“引用”があった。
この文章の最初にあった引用と、セザンヌの言葉だけを引用しよう;
★ 私は自分が何者であるか知る前に死んでしまうでしょう。(フランシス・ベーコン)
(このベーコンについて説明がないが、画家のフランシス・ベーコンでしょうね)
以下はすべてセザンヌの言葉;
★ 夜が来ると、私はもう絵を描かないし、これまでも描いたことがないという気になります。
★ 私が大地から、私自身を溶け込ませた大地の片隅から眼を離すことができるためには、夜が来なくてはならない。
★ 私たちの絵画、それは当てもなくさまよう夜、手探りで進む夜です・・・・・・美術館はプラトンの洞窟です。
★ 画家と一緒に、暗くもつれた事物の根源に下りてゆき、色彩とともに再び這い上がって、色彩とともに光のなかで花開くのです。
★ 日が昇る前、精神が目覚める前の土くれのような・・・・・・
やはりニーチェの言葉も引用すべきか(笑);
★ 私は植物としては墓地の近くに、人間としては牧師館の中で生まれた。
★ 芸術は真理よりもより多く価値がある。
★ 芸術は私たちに動物的活力の状態を想起させる。