11月19日にこのブログの中断を宣言した。
その後、11月28日にグレン・グールドの写真を<音楽の自由>として貼り付け、思いついて、10月28日の新書紹介ブログ<21世紀へようこそ>を再提示した。
今日は12月8日である。
この間、ぼくは“中断宣言”ブログで宣言した<航海日誌>を書くことができず、それまでとあまり変わりようのない生活を続けた。
変わったのは、“毎日ブログを書かないこと”のみであった。
この間、他者のブログで印象的だったのは、不破利晴君のTwitterでの“つぶやき”(笑)であった。
この間、ぼくが“考えて”いたことがあるとすれば、<何を読むか>ということだけだったといってもいい。
もうぼくに残された時間は少ないのだから、読むものを選ばなければならない。
これはきわめてシンプルな<課題>である。
けれどもぼくは迷い続けている。
つまり、ぼくにブログを書く時間があるのなら、その時間をつかって<読む>べき本があるのである。
すなわち、このぼくに<特徴>があるならば、それは書くことより、読むことを重要と<考える>ことであった。
なぜなら、ぼくには、表出すべき“独自的な自己”などないからである。
たしかにぼくも<通俗>であるから、“ぼくはこういう風に感じた”とか、ぼくは“こんなにいい趣味をもっている”などとの、自分の特異性について、<ひけらかす>こともあった。
けれども<そんなこと>は、もはやドーでもよいのではないだろうか。
いまこのブログを書いているのも、<復活>ではない、ただ1冊の本を紹介したいがためである。
立岩真也『自由の平等-簡単で別な姿の世界』(岩波書店2004)である。
ぼくは立岩氏についてのブログをすでに書いたと思う。
『所有と国家のゆくえ』(NHKブックス2006)における稲葉振一郎氏との対話において、ぼくは立岩氏を知った。
またネット上での立岩氏のサイトおよび“立命館大学グローバルCOEプログラム「生存学」創成拠点”の存在を知った。
しかしぼくは、上記2冊の本も読み終わっていないし、上記のネット上のサイトのおびただしい“情報”を熱心に読んでもいない。
すなわちぼくと立岩氏の“つきあい”はこれから開始される。
立岩氏やその周辺のひとびとが、言っていること、目指していることにぼくが、“賛同”できるかも不明である。
しかしぼくは、『自由の平等』の最初に書かれていた言葉に衝撃を受けた。
ここでは4つの<引用>をしたい。
その引用の最後に立岩氏の言葉を引用する。
それぞれの引用について、ぼくの感想はつけない。
“あなた”に比較検討していただきたい;
引用1;
小泉純一郎と内田裕也における「抑圧された反米感情」という、民主党政権とはぜんぜん関係ない話で盛り上がる。
内田裕也の兄は復員兵で、戦後まもなく死んでいる。兄を深く愛していた内田少年は埋められないほどの心理的欠落感を覚える。
その欠落はある日ラジオから聞こえてきた音楽によって満たされる。
それはエルヴィス・プレスリーの曲だった。
プレスリーのうちに内田裕也は「戦いに敗れて、失われた日本の兄」を幻視したのである。
そのあと、半世紀にわたって、内田裕也はロックンロールを通じて「失われた兄たち」の擁護と顕彰を果たそうとした。
彼が都知事選挙に出馬して、英語でスピーチをしたことには深い必然性があったのである。
小泉純一郎の中でもこれとほとんど同じ心理的な作劇があったのではないかと思う。
横須賀で育った小泉少年はある日帝国海軍司令部に翩翻と翻っていた日章旗が星条旗にとってかわられるのを見た。
そのとき小泉少年は「星条旗と日章旗は同一のものである」という妄想を病むことによって「死んだ兄たち」への崇敬と愛情を保持するという大技を繰り出した。
小泉少年が帝国海軍軍人たちに向けた憧憬のまなざしはそのままアメリカ兵たちのうえに投影されたのである。
小泉純一郎もまたエルヴィス・プレスリーへの深い愛着をカムアウトしている。
「小泉純一郎と内田裕也においてエルヴィス・プレスリーは何を代理表象していたのか?」という問いはフロイト先生がご存命であれば、たちどころに解明してくださったであろう。
そういえば、ドイツ系ユダヤ人とチェロキー族の血を引いたアイルランド系アメリカ人であるエルヴィスもまたひとりの「辺境民」であった。
<内田樹ブログ>
引用2;
今年の3月10日、東京大空襲の日の小欄で「戦争と平和をめぐる言葉の空疎化」について書いた。〈たとえば「戦争の悲惨さ」「命の大切さ」と言う。便利なだけに手垢(てあか)にまみれ、もはや中身はからっぽの感が強い〉と。少し言い過ぎかと思ったが、賛同の手紙を何通か頂戴(ちょうだい)した▼「平和の大切さ」も同じだろう。この手の紋切り型は納まりがよく、人を分かったような気にさせる。一方でものごとを抽象化し、どこか他人事のように遠ざける。往々にして、そこから先の問題意識と想像力を封じてしまう▼新聞も偉そうなことは言えない。「命の大切さを訴えた」「戦争の悲惨さを胸に」式の表現はけっこう目立つ。これで記事は一丁あがり、では書き手の考えも深まっていかない▼批評家の小林秀雄が能について述べた一節を思い出す。〈美しい「花」がある、「花」の美しさという様(よう)なものはない〉。名高いくだりを借りて大胆に言うなら、「『大切な命』がある。『命の大切さ』という様なものはない」となろうか▼抽象的な「命の大切さ」でおしまいにせず、ひとりの「大切な命」についてこそが、もっと語られるべきだろう。「戦争の悲惨さ」は遠くても、「悲惨な戦争」の体験を聞けば、平和への思いは質量を増していくに違いない▼今日が何の日かを知らない若い世代が、ずいぶん増えていると聞く。わが身も含めて4人に3人が戦後生まれになった今、風化はいっそう容赦ない。伝える言葉に力を宿らせたいと、かつて破滅への道を踏み出した日米開戦の日に思う。
<12/8天声人語>
★ 引用3;
赤塚不二夫さんの「おそ松くん」に登場する六つ子たちの両親は、名前を松造、松代という。二人の結婚記念日は12月8日であると、泉麻人さんの著書「シェーの時代」(文春新書)に教えられた。作品中に、そうあるという◆赤塚さんは9歳のときに満州(現・中国東北部)で終戦を迎え、母親の着物の端をぎゅっと握りしめて、着のみ着のまま、日本に引き揚げてきた体験をもつ。父親はシベリアに送られた◆「天才バカボン」にしても、「おそ松くん」にしても、そう面白いことばかりではない現実の日常をカーニバル的な祝祭に、陰を陽に、ひっくり返すのが赤塚ワールドの魅力だろう◆両親の結婚という愉快な主人公家族が最初の形をなす“陽”の出発点に、家族が離ればなれになる“陰”の出発点、日米開戦の日を選んだ――あるいは勝手な深読みかも知れない。議会が力を失い、外交が大局観を失い、言論機関が言葉を失ったときに何が起きるか、歴史に学ぶ上で8月15日とともに、それ以上に忘れてはならない日である◆真珠湾はどこにあるか、と問われ、「三重県」と答える若い人もいると聞く。
<12/8読売・編集手帳>
引用4;
★ 社会について何か考えて言ったからといって、それでどうなるものではないことは知っている。しかし今はまだ、方向は見えるのだがその実現が困難、といった状態の手前にいると思う。少なくとも私はそうだ。こんな時にはまず考えられることを考えて言うことだ。考えずにすませられるならそれにこしたことはないとも思うが、どうしたものかよくわからないこと、仕方なくでも考えなければならないことがたくさんある。すぐに思いつく素朴な疑問があまり考えられてきたと思えない。だから子供のように考えてみることが必要だと思う。
★ 人の存在とその自由のための分配を主張する。つまり「働ける人が働き、必要な人がとる」というまったく単純な主張を行う。
まずそのようには言わない主張を検討する。するとそれらは間違っている(第1章、第2章)
そして、私がただ私であるというだけの存在を望むなら、人が人であるだけで存在していることはよいことだと思うなら、その双方が存在と存在の自由のための分配の規則を支持する(第3章)
<立岩真也『自由の平等-簡単で別な姿の世界』の序章“世界の別の顔”>
ぼくは、
《私がただ私であるというだけの存在を望むなら、人が人であるだけで存在していることはよいことだと思うなら》
という<人間の条件>を支持する。