Don't Let Me Down

日々の雑感、引用。
言葉とイメージと音から喚起されるもの。

Speak Japanese;もっと人生を楽しもう

2009-12-17 10:01:16 | 日記
12月14日のブログで“鳥男”君がぼくのことを書いてくれた。
<Speak Japanese>というタイトル。

いつもの(笑)民主党政権批判のあとにこうあった;

《warmgunさんがかつて言っていたけどね。
政治家は日本語を話せってさ。
確かにこの頃そう思うよ。東大出てるのに…オイラみたいな中卒につっこまれたらダメだろ?

そういえばwarmgunさんがblogを休むらしい。そういや更新頻度が鈍くなったものな。
オイラは頭が悪くてあまりレスも出来ないし、推薦・引用している本もピンとこないが…ああいう存在は必要なんだと思う。少なくてもオイラには必要だ。
warmgunさんはそうだな、オイラから言わせれてもらえば「大江健三郎の本」みたいな存在だな。いってることは難しすぎてよくわからないけど、文をなぞる事に意味があるというかね。今は理解できないだろうけどそのうちふとしたきっかけで読めるようになる…的な存在なわけだ。だから、オイラはとりあえず読んでいる。》
(以上引用)


これを読んで、ぼくはマジで“返信”を書きかけて、挫折した。
ぼくは民主党政権とか最近世の中でおこっていることに興味がないからだ。


ただぼくの“いいわけ”および“アドヴァイス”をのべる。

ぼくが60年以上生き、鳥男が30年以上生きているとして、30年だろうが60年だろうが、その時間は人類史に対して、あるいは自然史にたいしては、とても短いのだ。

60年とか、ましてや、目の前でおこっていることだけが、面白いわけではない。

ぼく自身も、たしかに“目前の事態”に拘束されているのだが、このワク(閉所)を突破すべきだ。

そうしないと、限りない閉所恐怖におちいる。<注>

まさにこの突破への意志が勇気という、現在ではわすれられた人間の美徳ではないだろうか。

その<方法>がいかようにあってもよいのだが、wamgunにとってそれは、本を読むことである。

しかし、“本を読む”ことは、たしかに困難である。

“先生”から上手な本の読み方を教わった(教わったと思える)ひとはよいが、ぼくのように、ほぼ自力で本を読んできた(いまも)人間もいるのだ。

本の読み方を伝授することはできない。

ある1冊の本を“ともに読む”こと以外には。






<注>

現在発売されつつある<本>の大部分が、<この閉所>で生き抜くテクニック(他者を蹴落とし自分と自分の種を保守する)を伝授している。

あるいは、<この閉所>を脱力してみせて、お笑いや、仲間内のざれごとを循環している。

あるいは、幼児のように、“素直に”自己主張している(つまり永遠のひとりごとである)

以上のような<言説>が、<この閉所>を、ますます閉じてゆく。

だから、言葉を発するなら、<この閉所>にすこしでも、亀裂を走らせるべきである。


そうでないなら、

たんに、<無意味>なだけでなく、

楽しくないのである。