Don't Let Me Down

日々の雑感、引用。
言葉とイメージと音から喚起されるもの。

ときにはTwitterのように;ヘーゲル

2009-12-14 13:38:17 | 日記
★ ヘーゲルで完成している哲学思想はない

★幼いヘーゲルの精神を決定づけたものは、シェイクスピアである(略)
ドラマトゥルギー(ドラマの中にある葛藤と展開)こそ、彼の哲学的思索の源泉なのだった。

<加藤尚武:“ヘーゲル”-『中公 哲学の歴史7“理性の劇場”』>




ときにはTwitterのように;フロイト

2009-12-14 13:35:04 | 日記

★ 抑圧されたものが原因をつくる(略)
この抑圧の存在が、自然史の中で人間の歴史が立ち上がる部分である(略)
歴史とは想起=内化であるという考え方は、哲学の伝統にすでに属していた。しかし、人間独自の歴史を求めるこの考えは、自然の歴史の中に呑み込まれようとしていた。そのときに、フロイトはそれを救い出したのだ。
ただし全面的に、ではない。
<新宮一成:“フロイト”-『中公 哲学の歴史9“反哲学と世紀末”』





ときにはTwitterのように;勇気

2009-12-14 13:07:13 | 日記

★ ヴィトゲンシュタインは、このフロイトの態度こそが精神分析を生む「土地」になったと見なし、この「土地」のことを彼は勇気と呼んでいる。フロイトの独創は、「神経症的な臆病さ」とは無縁な、この勇気の中にこそある。これこそが精神分析家に最も必要とされるものなのである。
<十川幸治:『精神分析』(岩波思考のフロンティア)>




*写真は、最近仕事で行ったある施設の壁にあった、古い精神病院の壁の落書き写真をぼくが撮影したものです。




ときにはTwitterのように;確信の誘惑

2009-12-14 13:01:50 | 日記

★ ところで、この本の全体は、いわば、確信の誘惑へと身をゆだねてしまうという習慣を、いったん中断してみようということへの呼びかけなのだ。
<マトゥラーナ+バレーラ:『知恵の樹』(ちくま学芸文庫)>

★ けれどもその論文が発表された1973年、アジェンデ社会主義政権に対するクー・デタによって、チリは凄惨な混乱におちいった。アンデスの山々を望む優美なサンチアゴの市内を音をたてて流れるマポチョ河が血に染まり、多くの人びとが殺され、あるいは亡命を余儀なくされた。(略)マトゥラーナとバレーラも、それぞれ祖国を遠く離れた場所で、個別に新しい探索をつづけることになった。その苦しい日々をくぐりぬけたふたりの再会と共同研究の再開の結実が、この『知恵の樹』だ。
<菅啓次郎:『知恵の樹』訳者あとがき>




ときにはTwitterのように;対話しようぜ

2009-12-14 12:11:39 | 日記
不破利晴君が、ぼくのブログの中断が“寂しい”と昨日の彼のブログで書いてくれた。
“さびしい”というのは、なかなか感動的なことばである。

ニーチェのように、
《女にはまだ友愛を結ぶ能力がない。女はいまも猫であり小鳥である。最善の場合でも牝牛である。女にはまだ友愛を結ぶ能力がない。しかし君たち男よ。君たちのいったい誰に友愛を結ぶ能力があるか》
と言うべきか。

すなわち、“ぼくら”は、ある程度男であり、女である。
ある<女>のブログに、いちいちコメントをつける<男>は、ストーカーではないのであろうか。
そのストーカー行為に、うれしそうに応える<女>は、ストーカーを“歓迎”しているのだ。

しかしこれもまた、<コミュニケーション行為>なのだ(ハーバーマス参照;笑)
友よ、友愛こそがすべて。




ときにはTwitterのように;“ことばの流星群”について

2009-12-14 12:09:14 | 日記
昨日、“ことばの流星群09-12”をアップした。

ひとつのブログの字数制限にひっかかったため、AとBに分けざるをえなかったので、Aから(下から)読んでいただきたい。
この順番は、厳密に考えられたものではまったくないが(笑)、この順番である自然性もまた存在すると思われる。

これらの<引用>を、“もうさんざん読んだよ”と思われる方々は、ぼくのブログの良き読者である。
ぼくはこれらの引用を“さんざんしたい”のである。
すなわち、これらの引用は、ぼくのこの5年のブログの総集編であり、増殖するであろう。




ときにはTwitterのように;サンタクロースとガス

2009-12-14 12:06:07 | 日記
★ だまされやすい人たちは全員サンタクロースを信じていた。しかしサンタクロースはほんとうはガスの集金人なのであった。 <ギュンター・グラス『ブリキの太鼓 第1部』の終結部から>

クリスマスシーズンにふさわしい話題。
ここで“ガス”といわれているのは、ユダヤ人や“少数民族”や“政治犯”を虐殺した<ガス>のこと。
この言葉は<戦後>書かれ、さらに2006年のグラス自伝において、彼自身が「私はナチスの親衛隊員だった」という告白をした。

Wikipediaによると、《犠牲者の数には諸説あるが、900万から1100万人に上ると考えられている》
この<数>が特定できないのは、“虐殺されたひとの数”をだれも数えることができなかったから。

(字数オーバーですね;笑―まだTwitterの“ように”なれない)