Don't Let Me Down

日々の雑感、引用。
言葉とイメージと音から喚起されるもの。

ことばの流星群09-12B ★★★★★★★★

2009-12-13 11:01:09 | 日記
★ 多摩川河畔(昼)リモコン飛行機がとんでいる。スーパー『昭和48年8月』
<山田太一:『岸辺のアルバム』>


★だまされやすい人たちは全員サンタクロースを信じていた。しかしサンタクロースはほんとうはガスの集金人なのであった。
<ギュンター・グラス『ブリキの太鼓 第1部』の終結部から>


★哲学がもし、考えること自体について考える批判的な作業でないとしたら、今日、哲学とはいったいなんだろうか。また、すでに知っていることを正当化するというのではなく、別のしかたで考えることが、どのようにして、また、どこまで可能なのかを知ろうとするという企てに哲学が存するのでないとしたら、今日、哲学とはいったいなんだろうか。
<ミシェル・フーコー:『快楽の活用』>


★ 私は、ある女友達を訪ねるために、リガに着いていた。その女性の家も街も言葉も、私にとって未知のものだった。私の到着を待っている人はおらず、誰も私を知らなかった。私は二時間、ひとりぼっちで街路を歩き回った。このときのような街路を、私はその後二度と見たことがない。どの家の戸口にも、ガス灯の炎が吹き上がっており、歩道の隅石はどれも、火花を飛び散らせており、路面電車はみな、消防車のように走ってきた。そう、彼女は戸口から出て、角を曲がり、電車のなかに座っているかもしれなかった。だが、何としても二人のうち私のほうが最初に、相手に気づくのでなければならなかった。というのも、もし彼女がそのまなざしの導火線を、私につなげでもしたら ― 私は弾薬庫のように吹き飛ばざるをえなかっただろうから。
<ヴァルター・ベンヤミン:『一方通行路』>


★ かれの作り出そうとしている計画の残虐な性質にもかかわらず、トライラックスの<フェイス・ダンサー>サイテイルの考えは何度となく悲しみにあふれた同情へともどっていった。
<フランク・ハーバート:『砂漠の救世主・DUNE第2部』>


★俺はどこにもいない。それが機嫌のいいときの口癖だった。そのあとにはかならず、路地はどこにでもある、という言葉が続いた。
<四方田犬彦『貴種と転生 中上健次』―“補遺 一番はじめの出来事”>


★ 午前1時。皆、寝静まりました。カフェー帰りの客でも乗せているのでしょうか、たまさか窓の外から、シクロのペダルをこぐ音が、遠慮がちにカシャリカシャリと聞こえてくるほかは、このホテル・トンニャット全体が、まるで深海の底に沈んだみたいに、しじまと湿気とに支配されています。
<辺見庸:『ハノイ挽歌』>


★ その夏の末、ぼくらは、ある村の一軒の家ですごした。その村は河と平野をへだてて山々と向いあっていた。かわいた河原には、小石や丸石があり、日に照らされて白く光っていた。水は、幾筋にもわかれ、澄んで、流れも速く、青かった。部隊がつぎつぎと家の側を通り過ぎ、道路をくだっていった。
<ヘミングウェイ:『武器よさらば』>


★人間が意志をはたらかすことができず、しかしこの世の中のあらゆる苦しみをこうむらなければならないと仮定したとき、彼を幸福にしうるものは何か。
この世の中の苦しみを避けることができないのだから、どうしてそもそも人間は幸福でありえようか。
ただ、認識の生を生きることによって。
良心とは認識の生が保証する幸福のことだ。
認識の生とは、世の中の苦しみにもかかわらず幸福であるような生のことだ。世の中の楽しみを断念しうる生のみが幸福なのだ。
世の中の楽しみは、この生にとって、たかだか運命の恵みにすぎない。
<ルートウィヒ・ウィトゲンシュタイン:“草稿1914-1916”>


★ 港で新聞を買ったら、3匹の猫に食べられてしまった老婦人の話が載っていた。アテネ近郊の小さな町での出来事である。
<村上春樹:“人喰い猫”>


★ そのとき、匂いが蘇った。新しい紙と印刷インクの匂いだ。それが彼を取り巻いていた。30年暮らした中国の村では、活字はどれも黄ばんだ紙に印刷されていた。
もう一度、思い切りその匂いをかいだ。そのとたん、胸がつかえた。胃が暴れ、何かが喉にこみ上げてきた。歯を食いしばってそれを止めると、涙がわっと溢れでた。
<矢作俊彦:『ららら科学の子』>


★ 血が流れていた。だが、黒い水と血は、夜目には判別がつかなかった。秋幸の眼の前に、水かさが増した川の水に浮遊した花が見えた。
徹が秋幸の体を後から羽交じめにした。一瞬の事だった。「こいつが、こいつが」と秋幸は言い、立ちあがった。人が走り寄ってくるのがみえた。薄暗い川原だった。風は吹かなかった。秀雄は波打ち際に頭をむけ、顔を両手でおおって、体をびくびくとふるわせていた。
竹原の一族も、フサもその川原にいた。その男浜村龍造もいた。息が荒かった。秋幸の体が空になっていた。殺してやった、と秋幸は思った。
「わあ、大変や」と言う声がし、徹が秋幸の体を突き、「逃げやんか」とどなった。足がそぎ落ちている気がして動けなかった。「おまえの子供を、石で打ち倒した」薄闇の中で秋幸はそう言った。
秀雄の血かそれとも川の水なのか判別がつかないものが、石と石の隙間でひたひたと波打っていた。それは黒く、海まで続いていた。はるか海は有馬をも、この土地をも、枯木灘をもおおっていた。
<中上健次:『枯木灘』>


★ 私が来たのは、人をその父と、娘をその母と、嫁をその姑と仲たがいさせるためである。そして、家の者が、その人の敵となるであろう。私より父または母を愛する者は私にふさわしくない。
<マタイによる福音書>


★ 一夏のあいだ、雲の彫刻師たちはヴァーミリオン・サンズからやってくると、ラグーン・ウエストへのハイウェイの横にならび立つ白いパゴダにも似た珊瑚塔の上を、彩られたグライダーで飛びまわった。
<J.G.バラード:『ヴァーミリオン・サンズ』>


★ 赤ん坊の揺り籠は深淵の上で揺れているのだ。
<ナボコフ:『記憶よ、語れ』>


★ 二日前に雪が降り、京都御所では清涼殿や常御所の北側の屋根に白く積もって残るのを見かけた。大きな建物だから寒かろうと覚悟して行ったが、冬暖かい青空で、光に恵まれた昼となった。
<大仏次郎:『天皇の世紀』>


★ 都市と書物とは、たがいに暗喩たりうるのではないか。都市のなかに生き、都市のなかを歩くことは都市を読むことであり、書物を読むとは、書物のなかを歩き、書物のなかを生きることだ、というように。
<清水徹:『書物としての都市 都市としての書物』>


★ ランボーを理解するために、ランボーを読もうではないか。そして彼の声を、まじりこんできたかくも多くの他の声たちから、分離しようと望もうではないか。
<イヴ・ボヌフォア:『彼自身によるランボー』>


★ 八千矛神(やちほこのかみ)よ、この私はなよなよした草のようにか弱い女性ですから、私の心は浦や洲にいる鳥と同じです。いまは自分の思うままにふるまっている鳥ですが、のちにはあなたの思うままになる鳥なのですから、鳥のいのちは取らないでください……
いまは朝日がさしてきた青山ですが、やがて夕日が沈んだら、まっ暗な夜が来ましょう。あなたは朝日のように晴れやかに笑っていらっしゃり、さらした梶の皮の綱のような白い腕、泡雪のような若やかな胸を抱きかかえ、玉のような手と手とをおたがいに枕とし、股を長々と伸ばして寝ましょうに、そうやみくもに恋いこがれなさるものではありません……
(高橋睦郎:『古事記』現代語訳―『読みなおし日本文学史』による)


★ 彼は、静物をひとつ描くのに、100回もカンヴァスにむかわねばならなかったし、肖像を1枚描くのには、150回ものポーズが必要であった。
<メルロ=ポンティ:“セザンヌの疑惑”>


★カーテンの後には見るべきものは何もない。
<ドゥルーズ:『無人島』>


★でも脳出血後に歩行が不自由になったいま、もう飛行機を使って他の大陸まで飛び歩くことは不可能だろう。そう考えると、私にとってこの文庫の収録作品は繰り返しのない貴重な体験ということになる―そう思うと、世界の広さ、その荒涼たる美しさが耐え難いほど懐かしい。それはいまや女体へのつらい懐かしさに似ている。
<日野啓三『遥かなるものの呼ぶ声』)あとがき>


★ 1848年。王政の瓦壊によって、ブルジョワジーは自分を守ってくれた「覆い」を奪い去られる。一挙に、<詩>は、その伝統的な二つのテーマ、すなわち<人間>と<神>とを失う。
<J.P.サルトル:“マラルメの現実参加”>


★ 市街電車の音や絨毯を叩く音の拍子が、私を揺すり、眠りに誘った。その拍子に包まれて、私の夢は結ばれたのだった。初めのうちは、まだかたちをなしていない夢、おそらくは、産湯の波のような感じやミルクの匂いが浸透していた夢。それから、長く紡ぎ出されていった夢。旅や雨の夢。春がくると中庭の木々が、裏正面の灰色の壁を背景にして、いっせいに芽を吹いた。そして季節が進み、屋根のように広がり埃をかぶった木の葉が、日に千回も建物の壁に触れるようになると、枝々のざわめきが私に何かを教え込もうとするだったが、私にはそれがまだ解読できなかった。つまり何もかもが、この中庭では、私に送られてくる合図になったのだ。緑のブラインドが巻き上げられる、その音のせめぎあいのなかに、なんと多くの知らせが秘められていたことか。夕暮れ時に鎧戸がガタガタと巻き下される、その騒がしい物音のなかに、賢明にも私はなんと多くのヨブの知らせ(凶報)を、封じられたままにしておいたことか。
<ヴァルター・ベンヤミン“ロッジア”―『1900年頃のベルリンの幼年時代』>


★しかし、1917年の運命の夏のある夕暮れのことは、胸がはり裂けるような鮮明さで、いまも憶えている。どういうわけか夏の間別れたきりだったが、その日偶然郊外電車のなかでタマーラに会った。私たちはひと駅区間、数分、きしんで揺れる連結部に並んで立った。私は当惑し、後悔の念にさいなまれていた。彼女は固い棒チョコをひっきりなしに少しずつかじりながら、勤めている役所の話をつづけた。電車の片側は青っぽい沼地で、その上空では、泥炭の燃える黒い煙が壮大な琥珀色の落日の前にたなびいた雲とまざり合っていた。(略)後年ある時期私は、ジャスミンの匂う、気がちがったようにこおろぎの鳴いている、夕暮れの小さな駅に降りる前デッキの上で私をふり返った最後の瞬間のタマーラの姿には、この風景がふさわしかったと思ったこともあった。だがこのときの純粋な苦痛は、その後いろいろなことはあっても、いまでもはっきり感覚に残っている。
<ウラジミール・ナボコフ『ナボコフ自伝-記憶よ、語れ』>


★ 朝の光が濃い影をつくっていた。影の先がいましがた降り立ったばかりの駅を囲う鉄柵にかかっていた。体と共に影が微かに動くのを見て、胸をつかれたように顔を上げた。鉄柵の脇に緑の葉を繁らせ白いつぼみをつけた木があった。
<中上健次:『地の果て 至上の時』>


★ 北村透谷は25歳で自殺した詩人である。日本人は自殺あるいは夭折を好むので、文学史では筆頭におかれる文学者である。彼はまた、日本で最初に、恋愛の意味を哲学的に説き、処女の大切さを説いた人である。今どき、そんなことをいえば、いっぺんに古い奴だと決めつけられる。ところが、透谷は、江戸文学の井原西鶴を受け継いだ当時のベストセラー作家、尾崎紅葉を古いと攻撃して出てきたのだ。西鶴や紅葉の描いたヒロインは、愛や処女性などということは考えたことがなく、自分をどう高く売るか、いかに性的な魅力で男を翻弄するかを中心に考えていた。しかし、そのほうが、現代的ではないか。少女の援助交際が革命的だという学者がいるくらいである。ならば、透谷のほうが古い。さらに、透谷のように、文学で世俗的な権力に対抗するなどというのはダサい。文学なんてエンターテイメントでいいのだ。そのようにうそぶく人たちに私はいいたいが、君たちは透谷を越えたのではない。たんに、君たちは徳川時代の町人なのだ。
<柄谷行人:『必読書150』の“北村透谷・「人生に相渉るとは何の謂ぞ」”解説>


★ 私はアフリカに農園を持っていた。ンゴング丘陵のふもとに。この高地の100マイル北を赤道が横切り、農園は海抜6000フィートを超える位置にあった。昼間は太陽の近くまで高く登ったような気がするが、明けがたと夕暮れは涼しくやすらかで、そして夜は冷えびえとしていた。
<アイザック・ディネーセン:『アフリカの日々』>


★でも、気が狂ってるというのは、やはり悲しいことですわ。もしほかの人たちが気違いだとしたら、その中でわたしはどういうことになるのかしら?
<デュラス:『ヴィオルヌの犯罪』>


★ 付属病院の前の広い舗道を時計台へ向かって歩いて行くと急に視野の展ける十字路で、若い街路樹のしなやかな梢の連なりの向うに建築中の建物の鉄骨がぎしぎし空に突きたっているあたりから数知れない犬の吠え声が聞えてきた。風の向きが変わるたびに犬の声はひどく激しく盛上がり、空へひしめきながらのぼって行くようだったり、遠くで執拗に反響しつづけているようだったりした。
<大江健三郎:“奇妙な仕事”>


★ ちょうどたまたま新しく居を定めたところが、男が猟銃で一家7人殺傷し自殺した事件のあった熊野市二木島から二つ手前の村新鹿(あたしか)だった事もあり、今年はひととおりでなく桜が眼についた。
<中上健次“桜川”-『熊野集』所収>


★ 今もおなじだけれど、20数年前のその頃も、毎日、夕方になると、飲まずにいられなかった。
<開高健:“黄昏の力”>


★毎日の昼間のことはよく覚えていない。陽光の激しさがものの色を失わせ、すべてを圧しつぶしていた。 
  夜のことは覚えている。青い色が空よりもっと遠くに、あらゆる厚みの彼方にあって、世界の奥底を覆いつくしていた。空とはわたしにとって青い色をつらぬくあの純粋な輝きの帯、あらゆる色の彼方にある冷たい溶解だった。ときどきヴィンロンでのことだが、母は気持ちが沈んでくると、小さな二輪馬車に馬をつながせて、みんなで乾季の夜を眺めに野原に出た。あれらの夜を知るために、わたしには運よくあのような母がいたことになる。空から光が一面の透明な滝となって、沈黙と不動の竜巻となって落ちてきた。空気は青く、手につかめた。青。空は光の輝きのあの持続的な脈動だった。夜はすべてを、見はるかすかぎり河の両岸の野原のすべてを照らしていた。毎晩毎晩が独自で、それぞれがみずからの持続の時と名づけうるものであった。夜の音は野犬の音だった。野犬は神秘に向かって吠えていた。村から村へとたがいに吠え交わし、ついには夜の空間と時間を完全に喰らいつくすのだった。
<デュラス:『愛人(ラマン)』>


★ 言語もまた、一個の神秘、一個の秘密である。ロドリゲス島の<英国人湾>に閉じこもって過ごしたあのように長い歳月を、祖父はただ地面に穴を掘り、自分を峡谷に導いてくれる印しを探すことだけに費やすわけではない。彼はまた一個の言語を、彼の語、彼の文法規則、彼のアルファベット、彼の記号体系でもって、本物の言語を発明する。それは話すためというよりはむしろ夢みるための言語、彼がそこで生きる決意をした不思議な世界に語りかけるための言語である。
<ル・クレジオ:『ロドリゲス島への旅』>


★ 女は手紙を渡した後で窓を眺めて、これではここは涼しくならないの、と風の通し方を教えた。暑い日には遠慮はいらないので、と自分で二階のほかの二間の窓も障子もすっかり開けて来て、ここの部屋は窓をいっぱい開けると内も外も暑さが一緒になって御利益もなくなるので、と細目に引くと風がすっきりと通った。地獄に一抹の涼風でしょう、と女は壁ぎわの風の路に座りこんで、そちらのほうがもっと気持が好いわ、と向かいの壁際を指で指した。涼しさを試して、もうひと月近く前になる間違いの、そのあたりの畳を挟んで向かいあうかたちなった。ここから上野の山の鐘や汽車の音が聞えたものです、と女は寛いで話した。池の蓮の音も聞えると言ったら、白いような眼でみられました、風が渡って池一面に蓮の葉がさあっと鳴る音のことを言ったのに、蓮の蕾がひらく音と取られたようで、でも、ここを通る風ばかりは昔と変わらない、と窓へ眼をやった。そこへ口笛が鳴った。
<古井由吉:『野川』>


★するといま嬉しいことが起きる。ペン軸と覗き穴のなかの小宇宙とを想い出す過程が私の記憶力を最後の努力にかりたてる。私はもういちどコレットの犬の名前を想い出そうとする―と、果たせるかな、そのはるか遠い海岸のむこうから、夕陽に映える海水が足跡をひとつひとつ満たしてゆく過去のきらめく夕暮れの海岸をよぎって、ほら、ほら、こだましながら、震えながら、聞こえてくる。フロス、フロス、フロス!”
<ナボコフ:『記憶よ、語れ』>


★たとえばこの本では、意味がぼくらの脳にあるのではないと言っています。眼や耳などの感覚器官から入ってくることと、まわりにあることを知ることとはあまり関係がないとしています。身体とまわりの世界には境がないと書いてあります。「自己」はどこにも定まっていなくて、世界の中に刻々とあらわれるものだとしています。ぼくらが一つではなく多数の身体を持っているとしています。遺伝か環境かという議論は、人の発達を説明できないとしています。ぼくらのしていることには正しいこともまちがいもないのだとしています。ぼくらが生きつづける理由はぼくらの中にではなくて、外にあるとしています。
<佐々木正人:『アフォーダンス入門』>


★まことのことばはうしなはれ
雲はちぎれてそらをとぶ
ああかがやきの四月の底を
はぎしり燃えてゆききする
おれはひとりの修羅なのだ
<宮沢賢治“春と修羅”>


★社会について何か考えて言ったからといって、それでどうなるものではないことは知っている。しかし今はまだ、方向は見えるのだがその実現が困難、といった状態の手前にいると思う。少なくとも私はそうだ。こんな時にはまず考えられることを考えて言うことだ。考えずにすませられるならそれにこしたことはないとも思うが、どうしたものかよくわからないこと、仕方なくでも考えなければならないことがたくさんある。すぐに思いつく素朴な疑問があまり考えられてきたと思えない。だから子供のように考えてみることが必要だと思う。
<立岩真也『自由の平等-簡単で別な姿の世界』の序章“世界の別の顔”>


★ 落ちる
水の音 木の葉
葉は土に 土の色に
やがては帰って行くだろう 鰯雲の
旅人はコートのえりをたてて
ぼくらの戸口を通りすぎる

「時が過ぎるのではない 
 人が過ぎるのだ」

ぼくらの人生では
日は夜に
ぼくらの魂もまた夕焼けにふるえながら
地平線に落ちて行くべきなのに

落ちる 人と鳥と小動物たちは
眠りの世界に
<田村隆一:“Fall”-『新年の手紙』>


★ 魔女1 この次3人、いつまた会おうか?かみなり、稲妻、雨の中でか?
<シェクスピア:『マクベス』>


★コーヒーをもう一杯道を行くために
コーヒーをもう一杯ここから出て行くために
あの下の谷に向かって
<BOB DYLAN:“ONE MORE CUP OF COFFEE”>


★ぼんやりと浮かんだ
雲のように
さまよいたいと
おもったころから

遠くささやくおまえの声が
いつもあたしをささえた
いつかはきっとおまえのように
ほん泣きするよあたしも

あんたの好きなように
生きてゆけばいいと
すり切れたレコード
おまえのブルース

なにもかもなく生まれてきたのは
誰のせいでもないし
おまえのあとをたどっていた
夢をたぐりよせて

遠くささやくおまえの声が
いつもあたしをささえた

いつかはきっとおまえのように
飛んでみせよ私も
あしたはきっとおまえのように
飛んでみせるよ私も イェ~

イェ~、イェ~、イェ~

<カルメン・マキ“空へ”>



★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★




ことばの流星群09-12A  ★★★★★★★

2009-12-13 10:57:38 | 日記
★ 女は庭仕事の手をとめ、立ち上がって遠くを見た。天気が変わる。
<M.オンダーチェ:『イギリス人の患者』>


★張りめぐらされた蜘蛛の糸を巧みに避けながら、廃れていくばかりの庭を隅々まで、彼も豪勢に住みなしているらしい。ふと思い立って、水栓を締めた。水流をつくることをやめて、左手の人差指を宙に突き出してみた。すると彼は、中空に大きなひとめぐりの呼吸を入れた。それから速やかに接近してきて、目の前で小さく別の旋回をみせたかと思うと、人差指の指す方向に向いて、その指に止まった。
喜びとともに息を凝らした。やはり彼だ。短いようで、長い時間だった。人けの絶えようとする、周囲の目からも奇妙なほど隔絶されている庭の中央で、指先にしばし、大きな複眼と透き徹った四枚の翅を載せていた。
 <平出隆:『猫の客』>


★僕らがいるのはどうやら最後のフロンティアであり、本当に最後の空を見ているらしい。その先には何もなくて、僕らは滅びていく運命にあるらしいことはわかっているのだけれど、それでもまだ、僕らは「ここから、どこへ行くのだろう」と問いかけているのです。僕らは別の医者に診て貰いたい。「おまえたちは死んだ」と言われただけでは、納得しません。僕らは進み続けたいのです。
<エドワード・W・サイード:『ペンと剣』 >


★ よくいるかホテルの夢を見る。
<村上春樹:『ダンス・ダンス・ダンス』>


★ 背筋をまっすぐにのばして目を閉じると、風のにおいがした。まるで果実ようなふくらみを持った風だった。そこにはざらりとした果皮があり、果肉のぬめりがあり、種子のつぶだちがあった。果肉が空中で砕けると、種子はやわらかな散弾となって、僕の腕にのめりこんだ。そしてそのあとに微かな痛みが残った。
<村上春樹:“めくらやなぎと眠る女”>


★路上に置かれた水中花の瓶のすぐ後ろの、デパートの階段に、売り手とみられる蓬髪の老人が背筋を伸ばして腰かけていました。銀縁の眼鏡をかけ、頬がこけた表情は、よくみると上品で、いかめしく、大学の古代史の教授みたいでした。
水中花の瓶と老人の位置から、線で結ぶとちょうど三角になる所に、妻とおぼしい痩せた老婦人が、携帯用の小さな木の椅子に座っていました。古びて変色しているが刺繍の入った白い絹のブラウスをつけていました。
老婦人は、いてもたってもいられないという風情で、細い腰を浮かすようにして、白髪が額にまでかかった老人の顔と水中花の両方を、せわしなくのぞきこむようにするのです。夫とみられる老人は、故意にか、その視線に反応しません。哀しげな目を、見るでもなく、水中花に向けたままです。
水中花はいっこうに売れません。老人、水中花、老婦人を結ぶ三角形のなかに、あまりにも切迫した雰囲気があり、それが、客を遠ざけているようにも見えました。
<辺見庸“闇のなかで”-『ハノイ挽歌』>


★ そこで、彼(スピノザ)は「奇蹟」ということに対して面白いことをいっています。ユダヤ教であれ何であれ、奇蹟、すなわち反自然的なことが起こった時にだけ、それが神の仕業であるというのはおかしい、と。なぜならば、自然的な出来事、毎日太陽が昇ること、あるいはごく普通のありふれた自然界の現象のほうが神の仕業ではないのか、と。そのことのほうが奇蹟なのです。つまり彼にとって、そのような神の仕業を探究することが自然科学ということになるわけですね。ウィトゲンシュタインが同じことを述べていまして、「この世界に神秘はない。この世界があることが神秘だ」という言い方をしています。つまりこの世界、別の言葉では自然といってもいいのですが、そのことが神秘(奇蹟)だというわけです。その中に、あるいはそれを超えて、特別に神秘があるわけではない。
<柄谷行人:“世界宗教について”―『言葉と悲劇』>


★ 坂は、タライに立てかけた洗濯板みたいに港に向かって下っていた。
<矢作俊彦:“ボーイ・ミーツ・ガール”―『夏のエンジン』>


★君は奴隷であるか。奴隷なら、君は友となることはできぬ。君は専制君主であるか。専制君主なら、君は友を持つことはできぬ。
あまりにも長い間、女の内部には、奴隷と専制君主とが隠されていた。それゆえ、女にはまだ友愛を結ぶ能力がない。女が知っているのは愛だけである。
女の愛には、彼女が愛さぬいっさいのものに対する不公平と盲目がある。また、知をともなった女の愛にさえ、そこにはなお、光とならんで、発作と稲妻と闇がある。
女にはまだ友愛を結ぶ能力がない。女はいまも猫であり小鳥である。最善の場合でも牝牛である。
女にはまだ友愛を結ぶ能力がない。しかし君たち男よ。君たちのいったい誰に友愛を結ぶ能力があるか。
<ニーチェ:『ツァラトゥストラ』の“友”>


★ 地図をひろげる。ところどころに点を散らした広大な空白がある。太平洋である。
<開高健:「フイッシュ・オン」>


★ぼくは生涯において、三人の異なった女性を知り、そしてぼくの内部の三人の異なった男性を知った。ぼくの生涯の歴史を書くことは、この三人の男性の形成と崩壊を、またこの三者のあいだの妥協をえがくことだろう。(ベンヤミン;1931年5月の日記)
<野村修『ベンヤミンの生涯』>


★ 雨がつづいた。それは烈しい雨、ひっきりなしの雨、なまあたたかい湯気の立つ雨だった。
<レイ・ブラッドベリ:“長雨”>


★ 13世紀の詩人たちは、彼らの詩の本質的な核心を「スタンツァ」と、つまり「ゆったりとした住まい、隠れ家」と呼んでいた。というのもそれは、カンツォーネのあらゆる形式的要素とともに、「愛の悦び」を保管していたからである。そして詩人たちは、この「愛の悦び」を唯一の対象/客体としてその詩に委ねていた。だが、この対象/客体とはそもそも何なのか。いかなる楽しみのために詩は、あらゆる技芸の「子宮」として、その「スタンツァ」をしつらえたのか。その「詩法」は、そんなにも堅固に何を閉じこめているのか。
<ジョルジュ・アガンベン『スタンツェ―西洋文化における言葉とイメージ』プロローグ>


★ 港の空の色は、空きチャンネルに合わせたTVの色だった。
<ウィリアム・ギブスン:『ニューロマンサー』>


★ それに答えてポーロ ―「生ある者の地獄とは未来における何ごとかではございません。
もしも地獄が一つでも存在するものでございますなら、それはすでに今ここに存在しているもの、われわれが毎日そこに住んでおり、またわれわれがともにいることによって形づくっているこの地獄でございます。これに苦しまずにいる方法は二つございます。第一のものは多くの人々には容易(たやす)いものでございます、すなわち地獄を受け容れその一部となってそれが目に入らなくなるようになることでございます。第二は危険なものであり不断の注意と明敏さを要求いたします、すなわち地獄のただ中にあってなおだれが、また何が地獄ではないか努めて見分けられるようになり、それを永続させ、それに拡がりを与えることができるようになることでございます。」
<イタロ・カルヴィーノ:『見えない都市』>


★ その日のうちに、姉はこの世の人でなかった。
<古井由吉:『行隠れ』>


★ その時、空間と時間は境を失って、俄に融合してしまう。現在の瞬間に生きている多様さが、歳月を並置し、それを朽ち果てないものとして定着させるのだ。思考と感受性は新しい次元に到達する。そこでは、汗の一滴一滴、筋肉の屈伸の一つ一つ、喘ぐ息の一息一息が、或る歴史の象徴となる。私の肉体が、その歴史に固有の運動を再生すれば、私の思考はその歴史の意味を捉えるのである。私は、より密度の高い理解に浸されているのを感じる。その理解の内奥で、歴史の様々な時代と、世界の様々な場所が互いに呼び交わし、ようやく解かり合えるようになった言葉を語るのである。
<クロード・レヴィ=ストロース “どのようにして人は民族学者になるか”―『悲しき熱帯』>


★ 私は頬を打たれた。分隊長は早口に、ほぼ次のようにいった。
<大岡昇平:『野火』>


★社会記述の方法にかんして、ベンヤミンの方法は示唆的なものを含んでいる。ひとついには、彼が群集なるものを社会秩序や理性の立場から外在的、批判的に眺めるのではなく、むしろ内在的な仕方で、歴史的な生の様態として、また同時にメディアや技術に媒介された経験の構造として分析したからである。もうひとつには、システムの概念やそれが導入する予断――物事の可能性の条件を確定しようとする超越論的な思考――に依拠しなかったからである。それは彼が自分の「運命」を生きていくなかで、歴史の現在や時間に対する関心と考察を深めていったからでもある。そこにはシステム論的な単位としての社会(の同一性)に準拠する確定的な記述とは異なり、さまざまなテクストの引用からなる「蓋然性の空間」が記述されている。人間の生の諸形象が星座をなしてたわむれる不確定な場がそこに浮かびあがってくるのである。
<内田隆三:『社会学を学ぶ』>


★ 1984年の5月のその夜。迷路のように入り組んだ古代の街路に、風笛が奏でるこれが最後の哀調を帯びた音色が流れた。エルサレム旧市街を占領していた英軍将兵の、引揚げの合図である。
<ラピエール&コリンズ:『おおエルサレム!』>


★マジョリティ(多数者)の大半は「先祖伝来の土地、言語、文化によって構成された共同体」という堅固な観念に安住している。そうしている限り、マジョリティたちにはマイノリティの真の姿は見えず、真の声を聴き取ることもできないであろう。
固定され安定しているように見える対象も、それを見る側が不安定に動いていれば別の見え方をする。マジョリティたちが固定的で安定的と思い込んでいる事物や観念が、実際には流動的であり不安定なものであるということが、マイノリティの目からは見える。
<徐京植:『ディアスポラ紀行』>


★ 万治3年7月18日。幕府の老中から通知があって、伊達陸奥守の一族伊達兵部少輔、同じく宿老の大条兵庫、茂庭周防、片倉小十郎、原田甲斐。そして、伊達家の親族に当たる立花飛騨守ら6人が、老中酒井雅楽頭の邸へ出頭した。
<山本周五郎:『樅ノ木は残った』>


★気がつくと、運命から切り離されたエメラルド色の蜥蜴へと三たび姿を変えていた。開きっぱなしのその瞳孔は、何万回目かの雨が砂浜にどっと降りつけるのを、灌木の枝間から動くことなく見つめている。雨はやがて琥珀となるだろう。
もうどこへも行かないし、砂浜には誰もいない。
<青山真治:“砂浜に雨が降る”―『ホテル・クロニクルズ』>


★ ――「雨の木(レイン・ツリー)」というのは、夜なかに驟雨があると、翌日は昼すぎまでその茂りの全体から滴をしたたらせて、雨を降らせるようだから。他の木はすぐ乾いてしまうのに、指の腹くらいの小さな葉をびっしりとつけているので、その葉に水滴をためこんでいられるのよ。頭がいい木でしょう。
嵐模様のこの日の夕暮れにも、驟雨がすぎた。したがっていま暗闇から匂ってくる水の匂いは、その雨滴を、びっしりついた指の腹ほどの葉が、あらためて地上に雨と降らせているものなのだ。パーティがおこなわれている斜め背後の部屋の喧騒にもかかわらず、前方に意識を集中すると、確かにその樹木が降らせている、かなり広い規模の細雨の音が聞こえてくるようなのでもあった。そのうち眼の前の闇の壁に、暗黒の二種の色とでもいうものがあるようにも、僕は感じた。
<大江健三郎“「雨の木」を聴く女たち”>


★ 愛とは、私であるということと、他者(あなた)であるということとが、同じことになってしまうような体験なのだ、と。愛とは、私であるという同一性が、他者であるという差異性と完全に等値されている関係なのだ。
<大澤真幸 “これは愛じゃない”―『恋愛の不可能性について』序章>


★ どんより鉛色に曇った空の下、山あいから列車が抜け出てくる。女の声「あんなに表日本は晴れていたのに、山を抜けたら一ぺんに鉛色の空になっている」
<早坂暁:『夢千代日記』>


★ <出来事>の記憶を分有するとはいかにしたら可能だろうか。<出来事>の記憶が他者と分有されるためには、<出来事>は、まず語られねばならない、伝えられねばならない。<出来事>の記憶が他者と共有されねばならない。だが、<出来事>の記憶が、他者と、真に分有されうるような形で<出来事>の記憶を物語る、とはどういうことだろうか。そのような物語は果たして可能なのか。存在しうるのか。存在するとすれば、それはリアリズムの精度の問題なのだろうか。だが、リアルである、とはどういうことなのだろうか。無数の問いが生起する。
<岡真理:『記憶/物語』‘はじめに’>


★ 眠りが固まらなかった。眼窩の奥、頭の中心部に茨の棘でさしたような甘やかな痛みがあった。
<中上健次:“黄金比の朝”>


★ ときおり、男の部屋で女が一夜を過ごせることがある。夜明けまえ、市内三つのミナレットで祈りが始まり、二人を目覚めさせる。南カイロと女の家のあいだには、インディゴ市場がある。男と女はそこを通る。一つのミナレットの呼びかけに、別のミナレットが応え、美しい信仰の歌が矢のように空気中を飛び交う。だが、歩いていく二人には、自分たちのことを噂し合っているように聞こえる。炭と麻の匂いが漂いはじめ、冷たい朝の空気の奥行きが増した。聖なる町を二人の罪人が歩いていく。
<M.オンダーチェ:『イギリス人の患者』>


★ 正月三ガ日。元旦。起きて外見る。人の姿車の影なし。また眠る。起きて外見る。人の姿車の影なし。また眠る。
<武田百合子:『日日雑記』>


★ 日が長くなり、光が多くなって、太陽がまるで地平線を完全に一周しようとするかのように、だんだん西に、いくつもの丘の向こうに沈んでいくとき、あたしの胸はじんとする。
<ル・クレジオ:“春”>


★枯木灘
ボッと体に火がつく気がした。いや、私の体のどこかにもある母恋が、夜、妙に寒いと思っていた背中のあたりを熱くさせている。高血圧と心臓病で寝たり起きたりしている母でなく、小児ゼンソク気味の幼い私が、夜中、寒い蒲団のなかで眼をさますと、今外から帰ってきたばかりだという冷たい体の母がいる。さらにすりよると、母は化粧のにおいがした。母に体をすりよせて暖まってくると、私は息が出来なくなるほど、喉が苦しくなる。
枯木灘のセイタカアワダチソウは、その息苦しさを想い起こさせる。私は、この旅の出発点でもある新宮へ向かった。とりつくろうものが何もないゴロゴロ石の海を見ておこう。
セイタカアワダチソウの根が持つという毒に私がやられてしまった、と思った。
<中上健次“吉野”―『紀州』>


★サウス・ダコタのラピッド・シティで、母が氷をナプキンに包んでぼくにしゃぶらせた。ぼくはそのころ歯が生えはじめたばかりで、歯茎が氷の冷たさで無感覚になった。
その夜、ぼくらはバッドランズを横断した。ぼくはプリマスの後部シートのうしろにある棚に寝そべって星を眺めた。窓ガラスにさわると、凍りつくように冷たかった。
平原の真ん中に、白い石膏でできた大きな恐竜たちが輪になって立っていた。ぼくらはそこで車を停めた。そばに町はない。恐竜たちと地面からそれを照らし出しているライトだけだ。
母はぼくを茶色の軍用毛布に包んで抱き上げ、ゆっくりハミングしながら、そこらを歩き回った。曲は「わが心のペグ」だったと思う。自分に聞かせるように、やさしくハミングしていた。心はどこか遠くをさまよっているようだった。
ぼくらはゆっくりと、恐竜たちの間を出たり入ったりしつづけた。足と足の間を、腹の下を、くぐり抜けた。ブロントザウルスのまわりを一周した。ティラノザウルスの歯を見上げた。恐竜たちはみな、目のかわりに青い小さなライトをつけていた。
そこには誰もいなかった。ただぼくと、母と、恐竜たちだけがいた。
<サム・シェパード:『モーテル・クロニクルズ』―80/9/1 ホームステッド・ヴァレー、カリフォルニア>


★ われわれの身体とは、自ら動くもの、言い換えれば、世界の眺望から切り離せないもの、いや実は実現されたこの眺望そのものであるが、こうしたものであるかぎりでの身体こそ、たんに幾何学的綜合だけではなしにあらゆる表現の働きの、文化的世界を構成するあらゆる獲得物の、可能性の条件である。思考とは自発的なものであると言われているが、それは思考が自分自身と合体するという意味ではなく、反対に、思考は自らをのり越えてゆくという意味であって、発語はまさしく、思考が真理へと自分を永遠化してゆく運動にほかならない。
<メルロ=ポンティ 『知覚の現象学』>


★よだかは、実にみにくい鳥です。
<宮沢賢治:“よだかの星”>


★だが飛行機がふたたび雲から出て揺れもなくなると、2万7千フィートのここで鳴っているのはたくさんのベルだ。たしかにベルだ。ベン・ハンスコムが眠るとそれはあのベルになる。そして眠りにおちると、過去と現在を隔てていた壁がすっかり消えて、彼は深い井戸に落ちていくように年月を逆に転がっていく―ウェルズの『時の旅人』かもしれない、片手に折れた鉄棒を持ち、モーロックの地の底へどんどん落ちていく、そして暗闇のトンネルでは、タイム・マシンがかたかたと音をたてている。1981、1977、1969。そしてとつぜん彼はここに、1958年の6月にいる。輝く夏の光があたり一面にあふれ、ベン・ハンスコムの閉じているまぶたの下の瞳孔は、夢を見る脳髄の命令で収縮する。その目は、イリノイ西部の上空に広がる闇ではなく、27年前のメイン州デリーの、6月のある日の明るい陽の光を見ている。
たくさんのベルの音。
あのベルの音。
学校。
学校が。
学校が

終わった!
<スティーヴン・キング『 IT 』第2部“ベン・ハンスコム、ノックダウンのふりをする”>