★ ただ欲望というものと社会というもののみが存在し、それ以外の何ものも存在しないのである。
★ 社会的再生産の最も抑圧的な、また最も致命的な形態でさえも、欲望そのものによって生み出されるものなのだ。あれこれの条件のもとで欲望から派生する組織の中で生み出されるものなのだ。我々は、このあれこれの個々の条件を分析しなければならないであろう。
★ したがって、政治哲学の基本的な問題は、依然としてスピノザが提起することができた次の問題(この問題を再発見したのはライヒである)に尽きることになる。すなわち、「なぜ人々は、あたかも自分たちが救われるためででもあるかのように、自ら進んで従属するために戦うのか」といった問題に。いかにして人は「もっと多くの税金を!パンはもっと減らしていい!」などと叫ぶことになるのか。
★ ライヒが言うように、驚くべきことは、或る人々が盗みをするということではない。また、或る人々がストライキをするということでもない。そうではなくて、むしろ、餓えている人々が必ずしも盗みをしないということであり、搾取されている人々が必ずしもストライキをしないということである。
★ なぜ人々は、幾世紀もの間、搾取や侮辱や奴隷状態に耐え、単に他人のためのみならず、自分たち自身のためにも、これらのものを欲することまでしているのか。
<ドゥルーズ+ガタリ『アンチ・オイディプス』;國分功一郎『ドゥルーズの哲学原理』から引用>
ちなみに、河出文庫『アンチ・オイディプス』の宇野邦一の翻訳も参考にかかげる(どちらの翻訳が“良い”という比較をするためではない);
★ ほかのなにものでもなく、ただ欲望と社会的なものが存在する。社会的再生産の最も抑圧的、屈辱的な形態も欲望によって生産され欲望から出現する組織において生産される。まさに私たちは、この組織がどのような条件において出現するかを分析しなければならないだろう。だからこそ政治哲学の根本問題とは、スピノザがかつて提起したものと同じなのだ(それをライヒが再発見したのである)すなわち「何ゆえに人間は隷属するために戦うのか。まるでそれが救いであるかのように。」どうして人は「もっと税金を!もっとパンを減らして!」などと叫ぶことになるのか。ライヒがいうように、驚くべきことは、ある人びとが盗みをし、また別の人びとがストライキをするということではない。そうではなくて、むしろ餓えた人びとが必ずしも盗みをしないということ、搾取される人びとが必ずしもストライキをしないということである。なぜ人々は何世紀も前から、搾取や屈辱や奴隷状態に耐え、他人のためだけでなく、自分たち自身のためにさえも、これらを欲するようなことになるのか。