★ 語らいの自由さが失われてゆく。かつて、語らいあう人間のあいだで、相手の話に耳を傾けるのは自明のことだったが、いまでは、相手の靴や雨傘の値段を尋ねることが、それにとって代わりつつある。社交上のどんなお喋りにも、生活状況に関するテーマ、お金というテーマが、いやおうなしに侵入してくる。その際に話題となるのは、人それぞれの心配事や悩み――それならお互い助けあうことができるかもしれないのだが――ではなくて、世の中全体をどう見るか、ということなのだ。まるで、劇場のなかに縛りつけられて、舞台上の演目を、好むと好まざるとにかかわらず、繰り返し思考と話の対象にせざるをえない、といった具合である。
★ 「貧しきことは恥ならず」[ドイツのことわざ]。だが世間は、貧者を恥じ入らせる。そうしておきながら、このちっぽけな金言で貧者を慰めるのだ。この金言は、かつては通用しえたが、いまではとっくに凋落の日が来ている金言のひとつである。その点、あの残酷な「働かざる者食うべからず」という金言(新約聖書『テサロニケの信徒への手紙2』)と何ら変わるところがない。働く者を養ってくれる労働があったときには、この者にとって恥とはならない貧しさもあった。この貧しさが、不作その他の巡りあわせのせいで、その人の身にふりかかった場合はそうだった。しかしながら現在の生活苦は、何百万もの人びとが生まれながらに落ちこむもの、貧窮してゆく何十万もの人びとが巻きこまれるものなのに、彼らを恥じ入らせるのだ。
★ 汚辱と悲惨が、見えざる手の業として、壁のごとく、そうした人びとのまわりに高く積みあげられてゆく。個人は、己に関してなら多くのことに耐え忍ぶことができるけれども、しかし妻が彼の耐え忍ぶ姿を目にし、また彼女自身も我慢を重ねるならば、正当な恥を感じるものである。そのように個人は、自分ひとりで耐え忍ぶかぎりは、多くのことに耐え忍んでよいし、隠しておけるかぎりは、すべてのことに耐え忍んでよい。だが、貧しさが巨大な影のように、自分の属する民族と自分の家のうえに被いかぶさってくるなら、そうした貧しさと決して講和を結んではならないのだ。
★ そのときには己の五感を、それらに与えられるあらゆる屈辱に対してつねに目覚めさせ、そして自分の苦しみが、もはや怨恨の急な下り坂ではなく、反逆の上り小道を切り開くことになるまで、五感を厳しく鍛えなければならない。しかし、この点で何も期待するわけにはいかないのが現状なのだ――すべての恐ろしいかぎりの運命、暗いかぎりの運命が日々、いや刻々、ジャーナリズムによって議論され、ありとあらゆるまやかしの原因とまやかしの結果のかたちで説明されるため、誰ひとり、己の生を虜にしている暗い諸力を認識することができない、という状況が続くあいだは。
<ヴァルター・ベンヤミン『一方通行路』―『ベンヤミン・コレクション3 記憶への旅』(ちくま学芸文庫1997)>
* 1926年3月から数ヶ月、パリ滞在。このときに『一方通行路』の中心部分が書かれた。「10月になれば、大部分きみが未見の文章を含むアフォリズムの一巻をきみに送れる、とぼくは希望している。そのなかでぼくの新旧の相貌が交錯して」いる、とベンヤミンは4月にショーレムに伝えた。 ― 野村修『ベンヤミンの生涯』(平凡社ライブラリー1993)年表による