Don't Let Me Down

日々の雑感、引用。
言葉とイメージと音から喚起されるもの。

“社会的なもの”がない社会

2013-10-14 12:13:15 | 日記

★ 「医学は社会科学であり、さらに政治とは広義の医学に他ならない」――これは、細胞病理学の確立者として名高いドイツのR.フイルヒョウが1848年の革命の最中に、コレラやチフスの犠牲者が貧困層を集中的に襲っている事実を前にして説いた言葉である。

★ フイルヒョウの言う「社会科学」は、価値自由という原則を何らかの形で意識しなければならない、私の見知っているそれとは違って、明確な価値を理念として目指している。それは、どこか伸びやかで、人々の苦難や苦境を身近に見つつも、いや身近で見ているからこそ、力強く希望を与えるものに見えた。

★ 無論、フーコーなどを読みかじってしまった私としては、フイルヒョウの言う「社会科学」とその医学との結びつきについて、一定の距離を保ち続けないわけにはいかなかったが、それでも、現在の社会科学がフイルヒョウの説いたそれとは異なるものに変容していったその道筋を、自分の目で確かめなければならないと思った。

★ そのためには、「社会的なもの」に関する「社会学的忘却」とは何であり、それが何を、どのように忘却させたのかに関する歴史的な考察が必要だろうと私はかねがね思ってきた。本書ではそれを試みたつもりである。

★ 他方、この20年間で、政治的な言葉としての「社会」が、日本で急速に減衰していることについては、そのことの是非のみならず、それとは別に、社会学にいる人間として、それがなぜなのかを自分なりに明らかにしなければならないと思った。

★ 本書を執筆しながら、私は、「social」や「sozial」という西洋語について自分は何も理解していないし、今後も理解できないのではないか、あるいは、この言葉をたとえば「社会的」という日本語に変換することで、自分は大変な間違いをしているのではないか、という気持ちに何度かとらわれた。「社会的」という言葉は、私にとってますます不透明になり、この日本語を用いて言われていることのすべてが意味不明に思え、また逆に、ここで私が日本語で書いていることも誰にも伝わらないのではないかと思った。

★ 翻訳者の使命は、外国語によって自国語を激しく揺さぶることである、とベンヤミンは言った。私がろくな翻訳者でないことは端から承知だが、異なる言語の間を行ったり来たりすることで生じる揺さぶりとは、ひょっとしたらこういうことなのかもしれないと思う瞬間もあった。

<市野川容孝『社会』(岩波・思考のフロンティア2006)あとがき>