本号は「特集*進化論の現在」ということで、進化論の人文社会学における扱い、影響を知りたいと思って購入した。現代思想らしい、あきらかに一般読者向けではない堅い(固い)文章が続く。ユヴァル・ノア・ハラリの本を読むのとはわけが違う。そして、2段組み230ページというボリュームもあり、読むのに難儀したが、なんとか読了した。半分も理解できていないかもしれないが、様々な分野からの話題が提供されているので、少しは知見が広まったのではないだろうか。それから、主題・副題の「進化論の現在ーポスト・ヒューマン時代の人類と地球の未来」という未来的な方向性で書かれた文章はあまりなかった。どちらかというと、個々の学問分野の過去における議論について総括している文章がほとんどだった。また、進化論と人文学との交点でもある進化心理学に関する話題や、イデオロギーと疑似科学が結びついた旧ソ連のルイセンコ進化論に関する議論がなかったのも残念だ。
たくさんの小論文が集められているので、それぞれのタイトル、著者(専門分野)、私の一言まとめを記して備忘録としたい。
・「進化生物学の現在」長谷川真理子(行動生態学)ー進化をめぐる誤謬が3つ(種の保存、完璧、進歩)まとめられている。
・「体系学の舞台は変転し続ける」三中信宏(進化生物学)ー生物学の問題がコンピューター科学や数学・統計学の周辺科学と絡みあうようになるのは、分子データを扱うようになるよりも前、形態データが扱われていた時代のことであった。
・「考古学と進化論」中尾央(自然哲学)ー生物体が環境に働きかけ、環境を作り替えることによって選択圧そのものを変えてしまう、ニッチ構築理論というものがある。
・「「表情研究」の現在と課題」中嶋智史(実験心理学)ー表情の適応的意義は不明であったが、近年、複数の表情筋の組み合わせから表情の解析を行う手法(FACS)によって、様々な哺乳類、とくに霊長類における表情の表出についての系統的な研究が開始されつつある。
・「自然における意識の位置づけを問い直す」米田翼(哲学)ー19世紀後半、進化生物学と実験心理学が合流して「比較心理学」という研究プログラムが成立し、その創始者の一人ジョージ・ロマネスは、人間と動物の「心の連続性」について述べた最初の人物とされている。
・「21世紀のハーバート・スペンサー」藤田祐(近代イギリス思想史)ーダーウィンの「種の起源」(1859)を受けて、スペンサーは「適者生存」(1864)という言葉を提唱したので、スペンサー社会進化論が「社会ダーウィニズム」と呼ばれることが多いが、ダーウィンではなくラマルク進化理論であるという説もある。
・「進化論の被造物」伊藤剛史(イギリス史)ー近代イギリスには2つの動物観が現れた。一つは、ダーウィン的な人と動物の差は程度の差にすぎず、本質的なものではないというもの。もう一つは、人には動物を虐待から守るべき責務があるというもので、すでに19世紀には動物虐待防止法が制定されている。
・「社会的動物/家畜的人間」橋本一径(表象文化論)ー社会ダーウィニズムや社会生物学が、社会性の起源として動物たちの利他行動に着目したとき、ミツバチは再発見された。あらゆる動物に等しく権利を認めることを突き詰めれば、やがて昆虫の権利や、果ては植物の権利を認めるか否かといった議論ー巨大な困難ーに行き着くことは避けられない。
・「<自然な科学>としての進化論」吉川浩満(文筆家)ー自己啓発の源流にニューソートという宗教運動があり、その教義は「人間が心の中で強く思ったことは必ず現実化する」(ポジティヴ・シンキング)というものである。ニューソートでは、「進化」という語が多用されるが、その理由は進化論(ダーウィニズム)が目的論を自然主義的な枠組みで扱えるようにしたことと関係がありそうだ。
・「「肥満の流行」とメタファーとしての「進化」」碇陽子(文化人類学)ー肥満差別という差別概念がある。これに反対するのがファット・アクセプタンス運動である。肥満差別においては、適者生存の考え方が根底にある。
・「人はなぜ虫をきらうのか」足達太郎(応用昆虫学/熱帯作物保護学)ー虫は人間の役に立ってきたが、いっぽうで人間に深刻なわざわいももたらしてきた。畑の作物を食いつくしたり、病気を伝播したりし、しだいに「害虫」とよばれることになる。
・「進化論と日本人種論」徳田匡(歴史社会学)ー「系統樹」を発表したのは生物学だけではなかった。ダーウィンの「種の起源」(1859年)に先立つ1953年に比較言語学者のアウグスト・シュライヒャーが言語の系統樹を発表している。比較言語学の特徴の一つは、「言語」を人間から切り離して「自然」として考察する。
・「デヴィッド・グレーバーの人類学と進化論」片岡大右(社会思想史/フランス文学)ー人類学とは、単に人文・社会科学の一部門にとどまる学問ではない。理系の人類学ー自然人類学あるいは生物学的人類学ーは、ダーウィニズムの刷新と結びついて目覚ましい成果を上げてきた。そうした成果を背景に、進化生物学の側から文化および社会人類学に対いて投げかけられる学問的総合の呼びかけを前にして、ティム・インゴルドのような文系の人類学者は警戒心を示す。
・「バイオソーシャル・ビカミングス抄」奥野克巳(文化人類学)ー再度、インゴルドが登場する。男が狩りをする社会では、男は家族に与える肉を持って帰るために狩りをしようと考える一方で、獲物を獲ることは捕食者と獲物間の相互関係という生態学的な力学の影響を受ける。前者は社会人類学(社会関係)、後者は動物生態学(有機体)で理解されるかもしれないが、インゴルドはこのように二面で捉えるのではなく、ひとつの同じものだと主張する。
・「パンデミックの時代なのだろうか?」ディペッシュ・チャクラバルティー人間たちは常に自らの技術を改善しアップデートするが、それと同時に微生物は、しばしば人間自身によって作り出された何らかの状況で進化し宿主を変えていこうとする。終わりなき戦いである。
・「性・優生学・人類の未来」加藤秀一(社会学/性現象学)ー現代の進化生物学をかくあらしめるのに多大な貢献をした人々の中に、堂々と優生学の必要性を訴える人物がいる。「分子進化の中立説」をとなえた日本の遺伝学者・木村資生も、血縁淘汰説をとなえたW・D・ハミルトンもそうである。ハミルトンの主張は、現代は医療によって弱いものが淘汰されなくなったというものだが、進化を進歩と混同し、適応を向上と同一視しているようなところがある。何らかの遺伝子変異をもつがゆえに従来は短命だった個体が、医療の発展によって救命され、長じて子孫を残しうる確率が高まったなら、それはその個体あるいは遺伝子が新たな環境の変化に適応したというだけのことである。
・「クリスパー(CRISPR)哲学とラマルクの危険な思想」美馬達哉(医療社会学/神経科学)ー前出の藤田の主張にも近いことが書かれている。ダーウィニズムを事後的な自然淘汰のメカニズムを重視する思想で、ラマルキズムを事前のバイアスによる方向性を持った突然変異を強調する思想とみなす限りは、優生学を含む人類による意図的なデザインによる遺伝改造の試みはダーウィニズムではなくラマルキズムと親和的である。これまで、社会ダーウィニズムと呼ばれてきた思想は、かつて一度もダーウィニズムであったためしはなく、社会ラマルキズムであった。
・「神経生態社会性にむけて」ニコラス・ローズ、ラスムス・バーク、ニック・マニングーメンタルヘルスを、神経科学的な面からではなく、社会的な問題として考察している。権力と社会的排除、社会統制と抵抗、アイデンティティ、ジェンダー、人権化とスティグマ化、自己、主観性と主体化、規範、正常性と正常化、知識とその権威は、精神病と名づけられるようになったものを理解するための中心的な概念になった。