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18年にもなりますか

感じた事、出来事、いろんなこと書き綴ってます。

痛勤は当たり前じゃいけない

2008-01-25 09:04:21 | 風景
昨日とは打って変わって、今朝は8時過ぎに出勤。出張のちょっとした準備を終えて再び通勤電車に乗ったが、都心に向かう電車だった為にとんでもなく混雑した車両に乗らなければいけなくなった。

時差出勤だの、電車の本数増加だのといろいろな施策を打っているにもかかわらず通勤が痛勤なのには変わりない。

しかも以前この日記に書いたように、下車する時などは、気持ち悪いぐらいに無言のままに人を押しのける。

子どもから「ねえ、どうして電車を降りる時、黙ったままで他の人を押しのけて平気なの?」と尋ねられてきちんと答えられる親がどれだけいるだろうか?

見慣れてしまう事で何も感じなくなっている都会の風景。これを当たり前という感覚の背景には何があるのだろうか?

私には人と人の関係性のいびつさが見え隠れしてならない。


昼間の地下鉄

2008-01-24 11:53:18 | 風景
久しぶりに思いっきり寝過ごして、目がさめたらなんと午前10時を回ったところだった。

確かに今日は、午前にはアポイントもなく、少しゆっくり出来る日だったから体の緊張もとけたのかも知れない。

いまから慌てても仕方ないので、今日は午後からの出勤と決めて久しぶりにゆっくりと朝の支度を済ませて、地下鉄に乗った。

そこで気づいてたのは朝の通勤電車に比べて、圧倒的に眠っている人が少ないと言う事。

当たり前かもしれないが、よくよく考えて見れば、朝であろうと昼であろうと、差は無いと思うのだが、世間はそうは認識していないらしい。

都会に住む人の生活のなかに、通勤電車で仮眠をとると言うのは、もはやあたりまえのの生活リズムとして組み込まれているらしい。

でも、それってちょっと変じゃない?

当たり前のように毎日見る風景だから、違和感はないかも知れないが、そういう生活リズムはやはり少し変だと思う。

変なのかそうでないのかの論争をしたいわけではないが、いつもそういったチェックが出来るようにしておくのは大切だと思う。

身の回りのこういう風景は時に良識や当たり前といった感覚を鈍らせることもあるが、注意の機会を与えてくれている。


シャキッと

2008-01-23 09:23:21 | 風景
今朝の東京は、朝から雪が降る天気。これまで何度も雪の予報があったがこれが初めての雪らしい雪である。

こういう朝は確かに布団から出にくいけども、蒸し暑い夏のべったりと粘りよっかかられるような暑さに比べて、遙かに精神的に負担
が少ない。

朝のまだ早い時間帯の空気は、都会の真ん中であってもそれなりに澄んでいて気持ちいい。

この、背筋を伸ばしたくなる、凛とした瞳を連想させる、雪の朝を楽しみたいと思う。


白い恋人

2008-01-09 07:19:05 | 風景
 食品にまつわるさまざまな事件が発覚した2007年だったが、2008年早々「白い恋人」に出逢う機会があった。



 この写真のとおり、個包装されている1つ1つに製造年月日と賞味期限が印字されている。こうすれば、外箱のラベルの貼り替えで偽装するわけにも行かない、石屋製菓の気持が伝わってくる。

 品不足でもニュースになっている白い恋人だが、1つ1つに日付をプリントすると、もちろん1工程も2工程も増えるし、印刷する機械、インクなどのコストも増えている筈である。個包装されてただちに箱詰めして出荷すればもっとどんどんと商品は店頭に並ぶのだろうが、この工程のおかげで、供給が追いついていないのであろう。



 しかしこれが本来の形ではないだろうか。



 たしかに、品不足がつづくと、店舗からは矢の催促がくるだろうし、値引きしろだとかといった圧力もかかるかも知れない。しかも、「お客様が待っている」なんて言う殺し文句が加われば、ちょっとぐらいイケナイ事をしても・・・なんて気持にもなってしまうだろう。


 しかし、当たり前の事をきちんとやれば、どうしても時間がかかったり、コストに跳ね返ったりする。

 競合他社がどんなやりかたで、短納期や低コストを実現しようとも、まっとうに正直に追求すれば、自ずと限界がある。

 自分たちのやっていることを見失わない為にも、頑固にそういうことを守り通すことこそが信頼回復なのではないだろうか?

 白い恋人はその真っ只中にある。




先生いじめ

2007-12-26 23:04:12 | 風景
 東京都西東京市の新任教師が自殺したニュース。夜中でも携帯に児童の親からの電話がかかる現実、新任でなくても職務遂行が困難な状況であることは明らかである。


 これは、まあ集団いじめのようなもの。

 ふつう、夜中に電話はかけない。


 ふつうが出来ない、いまの小学生の親、小学2年の担任となったらしいから、親の年齢は30代。

 やっぱりここでも出てくる30代の親。本当にこの世代の非常識ぶり、傍若無人ぶりはひどいものがある。

 常識はずれであるという自覚がそもそも無い。「いいじゃん」「勝手じゃん」「別に・・・」世代。

 まともな説教に耳を貸すことさえない。

 と見られても仕方がないことを現実にやっているのだ。自分の子は、「モノ」扱い。うるさけりゃ、口をふさぐし、言うこと聞かなきゃ、たたき落すし、しつけと称して虐待、折檻のかずかず、自分のストレス解消を、子どもいじめで代償しているのに気づきもしない。

 さらには、1対多の状況を見つけると、執拗なほどのいじめを行うことも自覚がない。それが今回の若い先生の自殺の背景だと想う。

 

 大勢だと何をしてもいい。一人では問題解決できない。お金がなきゃ、強盗するし、じゃまだといえば殺人するし、自分中心以上の状態。自分以外すべて無意味な存在だとでもいいそうな勢いである。


 社会性が未発達のまま、年齢だけ重ねたやっかいな存在だ。社会性が未発達で躾ができるか?社会生活が営めるか?


 まるで花粉症のように、アレルギーのように、ストレスに弱く、すぐに発作を起こす。社会アレルギーではないかと疑ってしまう。

 

 
 アレルギーならアレルゲンを除去しなければならないが、アレルゲンたる社会は厳然と存在するので、発作を起こす側を除去しなければならない。


 発作を起こす側を、社会性育成学校にでも送り込んで、社会性を再教育する。そうすると虐待もいじめもへるかもしれない。