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大学の政策仕分け、どんどんやれ

2011年11月22日 00時16分18秒 | Weblog
 
 日本の大学のレベルが低い。東大が30位、京大が50位、後は100位以内には日本の大学はなし。

 東大、京大などは相当レベルが高いとわれわれは信じてきた。なぜか?

 文科省は予算が少ないからだと平気で述べる。ランク上位のアメリカの大学の予算は年間2兆円、東大は300億円ぐらいだ。この金額の差が世界レベルの低さに現れていると嘯く。

 私は以前、演劇で有名な大学の教科書を見た。俳優の仕事は「声に始まり、声で終わる」と言われている。声に関してはかなり明確な判断を持っている私の目には、幼稚園レベルと思われた。何も知らない、研究しない教授が我田引水、役に立たない論理・方法をしかも抽象的に述べていた。生徒がどんなに勉強しようとしても、育つ道筋も方法も示していない。

 私はアメリカの大学院で演劇の演出を専攻した。ある教授は学生時代に劇で主役を演じ大学内のコンクールで演技賞をとったという。日本の演劇科の教授で若いときにレベルの高い演技を経験した人がいるのか。最近は演劇界で有名な人を教授に登用している所もあるが、こと声に関してはみんなド素人ばかりだ。だから大学の演劇科を出てもプロの俳優にはなれないといわれている。

 つまり日本の大学はその道のトップを生み出すのではなく、肩書きを与える場所なのだ。

 あるとき東大の教授とお話した。そのとき「東大の教育学部を出て義務教育の教師になる人はゼロに等しい」といわれた。教育学部でありながら、現場の教育に寄与しない。他の例で言えば、東大農学部を出て新聞記者になった女性がいた。私は「早稲田に新聞学科があるのに何故東大を選んだのですか」と聞いた。彼女は「何でも良いから東大に入りたかった」と答えた。つまり早稲の新聞学科より東大の農学部の方が新聞社に就職し易いからだ。

 教授も似たようなものだ。専門知識ではなく有名大学入学・卒業が先ず必要なのだ。
 ある私立大学の教授募集には「博士号取得者」がごまんと押し寄せる。修士号などは鼻から相手にされない。もし私が演劇科の教授枠に応募してもアメリカの修士ぐらいでは相手にされない。もしコロンビヤ大学の博士号が応募すれば一番に採用される。

 生徒が育つに全然ピントが合っていない。この連鎖が日本の大学のレベルの低さにあると私は判断している。

 大学の政策仕分けをやるのなら、このあたりをどうするかを議論すべきだ。今回もあまり役にたたない時間とお金の無駄だ。仕分け人もド素人だからだ。