夢から慈しみの世界へ

神と自然と人間の共生
神一元・善一元・光明一元の生活
人間の生命の実相は『仏』であり、『如来』であり『神の子』である

我々の死後の存在は何処に・・・愛する人は何処に

2019年01月18日 22時47分02秒 | 健康・病気・精神分析・心理学・先祖供養・霊的実在・心霊の諸相
愛し子の 波間に光る 天の川 

今日は初観音

『観音の縁日』は我が愛する子へ『回向』させて頂く尊い縁日です。

律儀で何事でも全力で成し遂げる子でした。



我々の死後の存在は何処に・・・愛する人は何処に



我々が隣人、家族を愛し、友と語らい、一筋に求めた理想、献身は

『死後』、肉体の消滅によって、肉体と同じように煙のように消えてしまうのでしょうか。

悪行三昧、悪戯に生きる事も、

ひたむきな献身も善意もことごとく同じ価値観でしょうか。

もしそうであればこの世界には直向きな愛も、

如何なる善意も無いと等しいことになります。

それではあまりにも痛ましい人生であります。

だからこそ喜べば喜び来たる、

他に祝福を与えると祝福が自分自身に来る、

悪意を持てば悪意が返ってくることのように

『因果の法則』が働くのです。

それ故に死しても善業も悪業も

現世から来世へと引き継がれ精算が行われる所以があると思われます。

一枝に真を生きた椿さえも、

潔く散り、永遠のよろこびを大地にまかせ、

ふたたび生命を輝かせるのです。



死後の霊魂

肉体を去った念(こころ)は

その念(こころ)の力で一つの個性を持続して

幽界(死後の世界)で生活を続けることになります。

これらが『霊魂』と云われています。

念(こころ)が浄化するにしたがって、

その念(こころ)に相応しい霊界(死後の世界)に留まり、

悪を念じたり、不浄を念じたり、執着を持ったような念(こころ)の浄まらざものは、

それにふさわしい境遇(幻しの世界)を念の力で造りあげ、

その境遇の世界『幻しの世界』で苦しむことなる。

是がいわゆる『地獄の世界』である。

本当は『実在していない地獄の世界』の苦しみは

自分自身の心で造りあげ、自分自身が自ら苦しんでいる『幻しの世界』である。



だからこそ明恵上人が歌われた


ながき世の 夢をゆめぞと しる君や さめて迷える 人をたすけむ



ながい人生は夢(現象の世界)であり、

真実の世界ではないということを知っている君は 

心が現している虚像の世界からさめて(覚り)。

迷える(現象の世界で苦しいでいる)人々を救いなさい。




臨死体験で『幽体離脱』を体験する人々


自分の肉体を脱ぐのをはっきりと自覚しており、

私たちが科学的用語を使って理解しているような死は、

存在しないことにも気づいている。

死とは蝶がマユを脱ぐのと同じで、

肉体を脱ぐだけに過ぎません。

より高い意識の世界への移行であり、

その世界では歓喜に満ち、苦しみの無い愛に満ちた永遠の生命を理解し、

ますます『魂』が生長することが出来るようになれるのです。

            Eキュ―ブラ―ロス(Elisabetb Kubler-Ross)





一枝に真を生きる椿



愛し子の 波間に光る 天の川







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