夢から慈しみの世界へ

神と自然と人間の共生
神一元・善一元・光明一元の生活
人間の生命の実相は『仏』であり、『如来』であり『神の子』である

青い、青い、どこまでも青い秋の空が続く・・・・・・・無限の世界

2015年10月19日 19時02分54秒 | 誌編
青い、青い、どこまでも青い空・・・・・
   (三回忌に贈る言葉)


君の輝きし青春の面影があの青い空にうかぶ

真実を求めて生きる君のひたむきな真ごころ

生きる喜びを胸に秘め明るい君の笑顔が映る

ああー青春の響きが今此処にこの一瞬に轟き

紅く燃える情熱と愛が優しくほほ笑む君の瞳

この青い青い空を駆け貫ける永遠の魂が煌く





肉体は死んでも『人間は』死なない
すべての人間の肉体は、やがては死なねばならない。しかし、肉体は死んでも『人間』そのものは死なない。
人間そのもは滅ぶべき肉体ではないのである。・・
・・・・・・・
苦痛は不調和のあらわれのように、今迄思われていたのでした。しかし霊界の通信(おとずれ)が『苦痛は霊魂の進化のために、なくてはならぬものだ』と教えて呉れたとき、此の世界は苦痛があっても究極的には調和しているのだと云うことが判って来ました。
もう私にとっては苦痛の境涯を閲しつつある人も被害者でなければ、苦痛を与える人も加害者でなくなりました。
それは無限向上のための切磋琢磨であると信ずるようになって来ました。
私はこう信ずることによって、今まで敵として見えていた者が、自分を生かす味方に変貌することを体験しました。
其処には宇宙の最高理念を実現せんがために、互いに切磋琢磨しながら進む行くための相互の心境を映す『鏡』があるばかりだと解ってきたのです。 人間死んでも死なぬ







道ばたの爽やかな仏様

2015年10月15日 21時09分07秒 | 日記・エッセイ
寒々とした朝の出勤時に車窓から黄色い帽子を被った小さな小学生が登校している姿を見ていました。校門の入り口近くに小さなお堂にお座りになられている、仏様が、紺の前垂れが風に揺られ小奇麗になられていました。
爽やかな温かい気持ちになりました。誰かがお世話をなされておられるのでしょう。
お堂の直上の小高い台地は『陣の辻』と呼ばれ、江戸時代の古戦場の激戦地だった所です。
その小高い台地の跡に現在は小学校が立っています。
道ばたの仏様は長い道中の真実を見て来られたのでしょう。






どんな絶対絶命に立たされてもそのまま受けた時、そこにおのずから道が開けて来るのであります。『もうこの病気はたすからぬ、ままよ、神様まかせだ』
こう思って騒ぐ心を投げ出したとき多くの病人は癒されました。

金教教祖も『ままよと云う心にならねばお陰得られぬ』と言っておられます。
『ままよ』とはどうなろうと厭わぬこころであります。『わがままのない心』であります。
我を投げ出して天地に平伏した心であります。そうしたとき浮かぶのであります。
水泳を知らぬ人が水に落ちて『ままよ』と云う心になったら沈まなかった実話もあります。静思集












オーロラの神秘的な世界

2015年10月14日 20時28分28秒 | 自然の育み・環境
色々な物質と時と場所の悪戯が融合して吾々に幻想的な世界を魅せる。
まさに神業としか思えません。
色々なメカニズムでこの様な現象が現われる事だと思われますが、
色々な議論は抜きにしてこのオーロラ世界を楽しみその魅惑的な芸術を楽しみたいと思います。
現代は現地に行かなくともこの様に素晴らしいオーロラを見ることが出来ます。
ありがたいことです。




初めに、神は天地を創造された。
地は混沌であって、闇が深淵の面にあり
神の霊が水の面を動いていた。
神はいわれた。

『光あれ』
創世記一

いかなる形、いかなる面てにもまして
セイドが愛した美は
石のようにまどろむことをせず
光を放って舞い、かき消えてゆく美。
いたるところに美を追う彼は、これを
炎のなか、あらしのなか、大空の雲のなかに求めた。
彼は湖の面を打ち、さざ波が
緑柱石のように輝くのを、あくことなく眺めた。
湖上に小石をうまく投げ、
その一瞬の音楽に、耳をかたむけた。
うなずきかける極地と、そこをとりまく地方から
気高い音が、彼のために、時折鳴り響いてきた。
中心の天体と周遊する天体から
彼だけにきこえる声を聞いた。
大地震える時は、韻をふんで震え
海のみちひきは、抒情詩の格調をもっていた。
情熱の洞穴、悲嘆の深淵で、彼の見たものは
力強いエロスの神が苦悩して進み
闇を照し、呪いを払い
宇宙の果てまでも輝かそうとする姿。
このように、彼は毎日を愛に捧げ
愛を心より礼拝し、賞賛を軽蔑していたが
その間、不順な野心と不正な利得が
誘惑の手を彼にさしのべ、しりぞけられた。
彼はパンのために生きるよりは
美のために死ぬることを倖せと考えた。

エマソン

10月13日(火)のつぶやき

2015年10月14日 05時30分39秒 | 誌編

先祖供養不思議な体験? 肉体は死んでも、人間は個性的人格として存続するのである。 goo.gl/rsLMMC


先祖供養不思議な体験? 肉体は死んでも、人間は個性的人格として存続するのである。 goo.gl/Dsy6J0



先祖供養不思議な体験② 肉体は死んでも、人間は個性的人格として存続するのである。

2015年10月13日 20時14分22秒 | 真理の言葉
ある座談会で横に座っている人の手が僅かに霊動しているので、貴方には奥様が居られますか、そして娘さんもですかと尋ねますと、
いいえ、居ませんと答えられました。そうですかと言わないうちに、随分昔に離婚しましたが、事情があり、いまだに戸籍の上では夫婦ですと答えられました。奥様に大変な事情がありそうですが、奥様は現在ご健在ですかと尋ねましたら、分かれた妻には色々な事情があり悩みがありましたが、妻と娘の安否は解りませんと答えられました。その奥様と娘さんは貴方を頼っておられ今此処に来ておられますとお答えしました。すると大変驚かれた様子でどうしてそのような事が解るのですかと言われました。






肉体は死んでも、人間は個性的人格として存続するのである。

肉体は死んでも、人間は個性的人格として存続するのである。・・・・人間の魂には人格があり個性があるのである。
肉体が死んでも、人間は個性をもち人格を備えた実体として霊界に移行するのである。人間そのもには死はないのである。地球という天体に降りて来て、或る仕事をする期間だけ着ているところの宇宙服の一種が肉体であるのである。
地球生活は、魂の向上のための学校のようなものである。
一定期間地上で色々のことを修行し、勉強し、その環境条件の下に於いては、それ以上、その魂が吸収すべき勉学の要素がなくなれば、他の上級学校へ入学するために、今までの環境条件の学校から卒業して去るのである。
それを仮に吾々は『死』と呼ぶのである・・・・・端的に謂えば『死は無い』のである。
・・・・これを仏教では三途の川の手前の脱衣婆というのがいて着物を脱がせるというような喩えをもって説かれているのである。吾々の霊魂の肉体は物質的な衣服のほかに、エーテル体という半物資的エクプラズムの体をもっているが、
これには色々な過去の習慣なども印象されている。新しい魂の学校に入学するためにはそのような習慣の体も脱がせられなければならないのである。人生を支配する先祖供養








愛に輝く時、全ての苦しみと不幸は癒される

2015年10月12日 20時39分09秒 | 誌編
森の中 愛の囁き 聞こえるよ

世界にひろがる喜びの歌声

若葉から枯葉にお色直をした樹々たち。

未来への愛の結実の約束を果たすため。

豊かな大地に身を寄せ、眠る枯葉たち。

夜露に濡れた草々、樹々たちへの安息。

清い愛の朝陽が輝く、救い主の御手よ。

やがて新しき愛が萌え、そして結実し。

世界にひろがる愛の喜びと平和の歌声。





愛の天国を実現する祈り

私は神の子である。神は無我の愛である。それゆえに私の内には『神の無我の愛』が宿っているのである。
いな『神の無我の愛』こそ私の実相であり、私のいのちであり、私の本体であるのである。それゆえに、もし私が『神の愛』を私の生活実現することができなかったならば、私のいのちは生きていないことになり、私の本体は生きていないことになるのである。たとい懸河の雄弁をもって真理を説くとも、もし『愛』が私のその弁舌の背後になく、生活に『愛』が実践されていなかったならば、私の生活は死んでいるのである。愛は神より出で、世界と人間とすべての関係をなめらかに潤滑する油となるのである。もし愛が人々の心のうちになくして、人間関係が結ばれるならば、必ずやそこに摩擦が起こり、争いが起こり、衝突が起こり、たがいに傷つき、たがいに破壊し、不幸が続出することになるのである。
愛はすべての人間の心と行動とを柔らげ、一切の摩擦と衝突と争いとを無くするのである。
すべての行為の背後に、その奥に愛があるとき、その行為は必ず自分を生かし、また多くの人々を生かす事になるのである。愛は生活に美しき彩りを与え、人生を麗しきものとし、人生を住みよき場とし、人生に生き甲斐を与えるのである。それゆえに私は常に人生を愛をもって彩り、深切をもってモットーとし、ていねいに愛を籠めて何事にても行なうのである。すべての物事を深切丁寧に行なったとき、私の魂には生活の歓びが湧いてくるのである。愛は、自分の接するすべての人々に歓びを与え、すべての人々に生き甲斐を感ぜしめるだけではなく、自分自身の魂に歓びを与え、自分の魂を生長せしめ、自分の生命を発達、自己が『神の子』としての完全な実相を現実世界に実現せしめることになるのである。
それゆえに愛を生活に表現し、実践する人は常に繁栄し、健康となるのである。
愛は人々に幸福を与えるがゆえに与えれば与えられるの法則にしたがって、自分自身にあらゆる幸福をもち来たすのである。
人生に神の無我の愛が潤いを与えるとき、天国から花びらがさんさんと降り来るがごとく、人間の世界は美しく飾られるのである。・・・・・・・・
愛を実現する力を与えたまいしことを神に感謝いたします。ありがとうございます。真理の吟唱






木漏れ日の中を走る

2015年10月11日 15時18分48秒 | 日記・エッセイ
コインランドリーの乾燥時間の間、妻を乗せ山あいの細い道を走ると、ススキに晩秋の風がそよぎ、
山錦もうそこまで迫っています。


つれづれに ススキそよぐや、青い空




善き言葉の種を蒔きましょう

言葉を発するならば、必ず善き言葉を発しなければならない。悪しき言葉は人の心を傷つけ、自分の心を損なうのである。イエスは公の神殿をけがす者を戒める時以外には、決して人の心を傷つける悪しき言葉は使わなかったのである。
人々を指差して『罪人』とは言わなかった。常に『汝の罪は赦された』と云う風な言葉を使われたのである。
『汝の罪は赦されるかも知れない』と云うような曖昧な言葉を使われなかった。
断定的な善き言葉は断定的な信念を呼び起しその善き言葉の通りの事柄を現実界に呼び起して実現することになるのである。
善き言葉、耳に快き言葉を常に吐かなければならない。
しかし往々にして『甘言』は耳に快く、『忠言葉』耳に逆らう。だから愛を以って語る辛き言葉が必要な時もあるのである。
特に公の問題は主張を明確にして、たとい人々の耳に逆らう事も堂々として主張すべきである。  真理










10月10日(土)のつぶやき

2015年10月11日 05時08分56秒 | 誌編

日本の美しい文化の相撲甚句と環境問題

2015年10月10日 21時41分44秒 | 自然の育み・環境
友人の手作りの相撲土俵での土俵開きに招待されました。
諫早相撲甚句会の代表の方とその一門による相撲甚句が厳粛な御祓いの後奉納され、
その謡いが朗々とコスモスと真赤な鶏頭が咲きみだれる谷間に響わたりました。相撲甚句は江戸時代の頃から始まり、邦楽の一つだと云うことです。
日本の伝統芸能を真近に接し、聞くことが出来たことは有り難いことでした。
以前は、ほとんどの中学校にも相撲土俵があり、友達と相撲をして遊んだものでした。
身近な日本の文化が失われて行くような気がしてなりません。





伝統文化を失った民族は滅びると云われていますが、この身近な緑豊かな里山に育まれた日本の美しい風景と日本精神を失いたくありません。

再度、里山に育まれた自然と山に生きる生き物達と調和した関係を築き、共に豊かに、健やかに生き、
緑豊かな自然と山に生きる生き物達を友人として助けあって暮らして行く事を願っています。
伊勢神宮の式年遷宮のように持続可能な再利用(リサイクル)、二十年ごとに日本の国の魂を生まれ変わらせることによって、
国家が若返り、そのことにより永遠を目指そうとするのである。
これは「常若(とこわか)」という言葉で表す思想です。
伐採したら元の姿に復元をする植林の思想も大切だと思えます。
この様な日本独特の環境保全、リサイクル、もったい無いと物質を神様からの賜わりと考え
無駄なく、大切に扱い、衣食住、必要最小限の質素な生活をする『茶の心』の如く、
日本の美しい心を育てることが、現代の環境問題の解決に必要だと思えます。



美しい青い空の冥王星

2015年10月09日 20時58分01秒 | 自然の育み・環境
2015年10月8日 タイム誌にNASAの宇宙船は、冥王星の青い空と赤い氷が存在することを発見しました。と報じられました。





この青い、青い海と森に恵まれた地球にソックリな冥王星の丸い、青い空、素晴らしい存在です。
感動しました。宇宙に地球と同じような惑星が存在するという事は想像していましたが見事な青い空です。
表面の氷がどうして赤い色に着色したかは解っていません。


森と地球に捧げる祈り

生きとし生けるものを生かし給い、有りとし有らゆるものを育み給う、
森よ、地球よありがとうございます。
この優しい森と地球に神の無限の愛と生命と癒しがながれ入り給いて、
美しく、浄らかで、健やかな、緑に溢れた豊かな森と青い、青い地球が光明燦然と輝き給う。
吾らを生かし給える森よ、地球よありがとうございます。
吾らを生かし給える森よ、地球よありがとうございます。

黄金色に染まり、豊作に満たされる大地

2015年10月08日 21時26分13秒 | 歴史
懐かしいふる里


私のふる里は日本で最初に稲の栽培が始まり、弥生時代の夜明けの地域でもあります。
古代より住吉大神を氏神として祀ってきました。綿津見大神を祀っている志賀島神社の安曇族に対して一族は住吉族といわれています。また奴国のあった処です。
平成十二年外環状道路建設のための曰佐遺跡の発掘調査によって、此の地から先土器時代の遺物や縄文土器等が大量に発見され、明の時代の中国製輸入陶器や、平安末期から室町時代の集落跡も発見され、此の地域は六千年もの太古から先進的な人々が住んでいたことが考古学的に証明されました。筑紫国、那の津口に官家が造営されてより、此の地方は中国大陸や、朝鮮半島との外船の往来するところとなり、曰佐はその応接の要地であったため、その航海の安全や鎮守の神として筑前那珂郡に住吉三社が居かれ、上社は那珂川町の現人神社・下社は博多区の住吉神社、当社は、その中津瀬の神として祭られたもので、その起源は宣化天皇の御宇(五三六年)の前後であると記されています。



幼い頃は稲作とホルスタイン牛を放牧して搾乳した牛乳を馬車で出荷していました。先祖代々より、神功皇后が勧請したといわれる名島神社の大神、小早川隆景が海城である名島城内に祀った名島弁財天、庭には稲荷大神を地祀りしていました。
日佐住吉神社の絵馬殿に上がり遊んだことが懐かしく思い出されます。
祖母に連れられ海風があたる名島神社、弁財天にお参りに行ったことが心深く残っています。
座敷には中央に神殿があり、左側に仏壇、右側に床の間がありました。
鴨居にも神々が祀られていました。現在も代々引き継がれ、沢山の神々をお祀りし、お世話をさし上げておられます。
有り難いことです。感謝申し上げます。