夢から慈しみの世界へ

神と自然と人間の共生
神一元・善一元・光明一元の生活
人間の生命の実相は『仏』であり、『如来』であり『神の子』である

木漏れ日の中を走る

2015年10月11日 15時18分48秒 | 日記・エッセイ
コインランドリーの乾燥時間の間、妻を乗せ山あいの細い道を走ると、ススキに晩秋の風がそよぎ、
山錦もうそこまで迫っています。


つれづれに ススキそよぐや、青い空




善き言葉の種を蒔きましょう

言葉を発するならば、必ず善き言葉を発しなければならない。悪しき言葉は人の心を傷つけ、自分の心を損なうのである。イエスは公の神殿をけがす者を戒める時以外には、決して人の心を傷つける悪しき言葉は使わなかったのである。
人々を指差して『罪人』とは言わなかった。常に『汝の罪は赦された』と云う風な言葉を使われたのである。
『汝の罪は赦されるかも知れない』と云うような曖昧な言葉を使われなかった。
断定的な善き言葉は断定的な信念を呼び起しその善き言葉の通りの事柄を現実界に呼び起して実現することになるのである。
善き言葉、耳に快き言葉を常に吐かなければならない。
しかし往々にして『甘言』は耳に快く、『忠言葉』耳に逆らう。だから愛を以って語る辛き言葉が必要な時もあるのである。
特に公の問題は主張を明確にして、たとい人々の耳に逆らう事も堂々として主張すべきである。  真理










10月10日(土)のつぶやき

2015年10月11日 05時08分56秒 | 誌編