夢から慈しみの世界へ

神と自然と人間の共生
神一元・善一元・光明一元の生活
人間の生命の実相は『仏』であり、『如来』であり『神の子』である

道ばたの爽やかな仏様

2015年10月15日 21時09分07秒 | 日記・エッセイ
寒々とした朝の出勤時に車窓から黄色い帽子を被った小さな小学生が登校している姿を見ていました。校門の入り口近くに小さなお堂にお座りになられている、仏様が、紺の前垂れが風に揺られ小奇麗になられていました。
爽やかな温かい気持ちになりました。誰かがお世話をなされておられるのでしょう。
お堂の直上の小高い台地は『陣の辻』と呼ばれ、江戸時代の古戦場の激戦地だった所です。
その小高い台地の跡に現在は小学校が立っています。
道ばたの仏様は長い道中の真実を見て来られたのでしょう。






どんな絶対絶命に立たされてもそのまま受けた時、そこにおのずから道が開けて来るのであります。『もうこの病気はたすからぬ、ままよ、神様まかせだ』
こう思って騒ぐ心を投げ出したとき多くの病人は癒されました。

金教教祖も『ままよと云う心にならねばお陰得られぬ』と言っておられます。
『ままよ』とはどうなろうと厭わぬこころであります。『わがままのない心』であります。
我を投げ出して天地に平伏した心であります。そうしたとき浮かぶのであります。
水泳を知らぬ人が水に落ちて『ままよ』と云う心になったら沈まなかった実話もあります。静思集