夢から慈しみの世界へ

神と自然と人間の共生
神一元・善一元・光明一元の生活
人間の生命の実相は『仏』であり、『如来』であり『神の子』である

宇宙の実相は、蓮の花の形が示すがごとく蓮華蔵世界である。(釈迦世尊粘花の公案)

2016年05月15日 21時27分42秒 | 真理の言葉
宇宙の実相は、蓮の花の形が示すがごとく蓮華蔵世界である。(釈迦世尊粘花の公案)

電話が鳴り響き、訃報の知らせがありました。
人の存在がある日突然に失われる。
今まで共に歩んで来た仲間が居なくなるとその仲間の今までの道のりを辿り、思いを寄せると色々な感情が巡ります。
何気なく挨拶を交わし、共に仕事をこなしていたことが、その仲間の表面的な存在である肉体が失われると不思議にもその仲間の肉体の奥にある内面的なものをより強く見詰めようとします。
戒名は本義では生前に授けるものですがほとんどが死後、葬送の儀式の中で僧侶が白木の位牌に戒名の前に
『真実の世界へ還帰』すると云う意味の法語を付与して戒名を書きますが、このような事から肉体が失われると真実の世界へ一歩近づくと考えられます。
肉体が存在している時にはそれ程に煩悩(まよい)に満ちてふり舞わされていることなのでしょうか。
肉体そのものの物質には価値がなく、肉体に佛の生命(こころ)が宿ることによりこの世に生かされている意義があるのではないかと思えます。
神道でも遺骸を穢れとして忌み嫌います。
親鸞上人も『閉眼せば賀茂川に投げ入れて魚に与えよ』。と言い残したそうであります。
これも遺骸そのもには真実なるものは存在しないと云うことであります。
肉体の奥に佛、如来の生命が存在していることが真実なるものであります。





釈迦世尊粘花の公案


お釈迦さんが、金波羅華即ち金色の蓮華の花を粘って示され、
これが宇宙の実相であるという意味を実物の花の形を示して、宇宙は蓮華蔵世界であって蓮華の如く中心にハチスの実があることを示されました。
だけどもそこに集まっている人間、天人およそ約百万人『茫然として措くことなし』お経にある通り、何の意味か解らなかった。
ところが、唯一人迦葉尊者という弟子が、ニッコリと笑ったのです。
その時にお釈迦さんが『吾に正法眼蔵、涅槃妙心、実相無相微妙の法門あり。摩加迦葉に付属す』と言われた。
『仏教の正味の真理はここにあり、此の真理をお前に授けたから、あとは宜しくたのむ』と仰ったのです。
この宇宙の実相は、この金波羅華の花の形が示すがごとく蓮華蔵世界であって、
中心座に毘盧遮那如来・大日如来、日本語に翻訳すれば中心座に天照大御神がましますということが真理なのだと
お釈迦は、三十五歳の十二月八日、尼連禅河畔の菩提樹下に座して悟りを開かれた。
その真理をそのまま『大方広仏華厳経』というお経にお説きになったけれども、
その真理は当時のインドの大衆には理解されなかった。
続く・・・・・













5月14日(土)のつぶやき

2016年05月15日 04時34分36秒 | 日記・エッセイ

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花は吹かれゆく、
風の聖霊は樹の精霊から
美しさを解き放ち、
母なる大地の精霊にいだかれる。