夢から慈しみの世界へ

神と自然と人間の共生
神一元・善一元・光明一元の生活
人間の生命の実相は『仏』であり、『如来』であり『神の子』である

苦痛、涙の奥に聖地がある。(生きとし生けるもの、ありとしあらゆるもの、山川、国土を愛する)

2016年05月19日 22時02分28秒 | 自然の育み・環境
苦痛、涙の奥に聖地がある。(生きとし生けるもの、ありとしあらゆるもの、山川、国土を愛する)

寒暖の差が激しい変化に、心と体を調和することが難しいですが。
刀剣を鍛える時に高熱に晒した真っ赤な鋼を打ち、またその鋼を水に入れて冷やします。
そのように温度差のある環境に晒して鋼を鍛えます。
このような経験を経て名刀が顕われます。
日本の美しい四季の移り変わりの中で、このような寒暖の差があることは、人の心を自然に鍛える作用が秘められています。
この国の人々は自然に対して優しい情感を持っており、またその自然環境の変化に鋭敏であります。
また自然環境の変化に寛容であります。
それ故に自然を人間の智慧のみで調和せしめるような事に対して否定的な感情があります。
歴史的に自然に人生を托したり、模したりして自然と一体になる心が内観的に自覚され、その心根が古事記、万葉集などに顕されています。




苦しみ、痛みを味わう経験は霊魂の進化のためになくてはならぬものだと理解した時、
この世界は苦しみ苦痛があっても究極的には調和しているのだと判ってくるのです。
苦痛の境涯を味わっている人も被害者でもなければ、苦痛を与えている人も加害者でなくなります。
それは無限向上のためにの切磋琢磨であると信じることが出来ます。
今まで敵として見えていた者が、自分を生かす味方に変貌することを体験することでしょう。

どんな小さな草花でも、小さな昆虫でも、みんな同じ毘盧遮那如来(びるしゃなぶつ)の生命の兄弟である事が
根本自覚となって初めて単に人類のみを愛するのでなくて、愛が拡大して単に『人類愛』のみならず生類愛にまで高められる。
そして一切の生きとし生けるものを愛することができる。更に生きとし生けるものだけじゃなくて、ありとしあらゆるもの・・・・・山川・国土というような全ての鉱物も、ひとしく毘盧遮那如来の生命の顕現としての兄弟である。
・・・・その真理が解る時、今まで、物質で構成されていると思われていた環境が物質でなくて、
自分の心が生きとし生けるもの、ありとしあらゆるもの互いに感応して自由に
自分の心で思い通りに変化させることが出来る、『唯心所現』の世界であることが理解出来るのです。