夢から慈しみの世界へ

神と自然と人間の共生
神一元・善一元・光明一元の生活
人間の生命の実相は『仏』であり、『如来』であり『神の子』である

国家は生命体である。

2016年05月22日 22時57分19秒 | 歴史
国家は生命体である。

懇親会の会場のロビーから外を眺めると長崎港の松が枝埠頭に豪華客船が停泊していました。
長崎港を眺めていると今停泊している豪華客船の近くで三菱重工業により目隠しの倉庫を作るなどして、
極秘に国家の命運を握る連合艦隊最後の旗艦『戦艦武蔵』が建造されました。
この長崎港の歴史にも、徳川幕府の鎖国の時代の出島、キリスト教、ヨーロッパの文化の伝来、
明治維新に影響を与えた坂本竜馬、原爆投下、炭鉱の軍艦島等激しく歴史の洗礼を受けて来ました。
親戚にも三菱重工業造船に勤務中に原爆を受けましたが、幸い投下地より離れ、地形的にも山等がありましたので助かりました。
しかしそのような先人の尊い、たゆまない努力の結実である世界的な歴史遺産で多大な恩恵を受けております。
今は亡き父が調理長を勤めていました江戸時代からの料理屋である料亭花月では、
国賓であるオランダのベアトリクス女王、各内外の名士が訪れています。
重要文化財に指定されている花月の座敷に坂本竜馬の刀の傷跡等を見ますと歴史が今此処に生きていることが実感されます。
このロビーから眺めていると様々な想いが巡ります。





国家は生命体である

国というものは必ずしも自然界の土地とか山森とか河川とかいうものではないのであります。
普通、国家というものは、『主権』と『領土』と『国民』との三要素が渾然と調和して一体となったものであると謂われているのである。
領土の上に国民の集まった集団があってもその集団を統率する『主権』がなければ国家と称することも
『国家』と認めることも出来ないのである。
それは肉体があり、細胞の集団があっても、全体を統率し総攬するところの『生命』又は『霊魂』がなければ
それは生きた人間だということができないのと同じである。
そして、死物や無機物や無生物に『主権』が存在することはないから、
国に『主権』が存在するということは、国が生命体であることをあらわしているのである。





























5月21日(土)のつぶやき

2016年05月22日 04時39分43秒 | 日記・エッセイ

苦痛はいつまでも続かない。
なぜなら苦痛は神が創造したものではないからである。
嵐の後は必ず大空が澄みわたり晴天が来たるのです。
苦痛は神の御栄えを現さんが為の導きであるのです。