夢から慈しみの世界へ

神と自然と人間の共生
神一元・善一元・光明一元の生活
人間の生命の実相は『仏』であり、『如来』であり『神の子』である

人間の本性は超時空で無限である(幸福は今此処に、今の心の中に存在するのです)

2016年05月05日 18時56分38秒 | 真理の言葉
人間の本性は超時空で無限である(幸福は今此処に、今の心の中に存在するのです)

連休で普段より車が混み合いますが秩序整然と車の行列が続き、日本の素晴らしい一面を感じました。
休日を利用して奥様を連れ添い、風光り新緑映える小高い丘の墓苑にお墓参りに行きますと皆さんも同じ思いのようであります。
墓苑は沢山のお参りがありました。
称名念仏を唱え、短い経を読誦してお参りしますと夫々の思いが上がってくる様であります。

評論家は様々な素材をまな板に上げて巧みに思考して調理をして、出来上がった一品(論評)を他に提供しますが、
自らが食することが無い傾向があります。
しかし自らがその一品(論評)食してその論評の毒味をする必要があると思えます。




時間は心とともに始まる。空間も心の中にある。因果関係は時間無しには存在しない。
因果関係は時間の持続の中に起こるという観念がなければ因果関係はという観念もありえない。
従って時間、空間、因果関係は心の中にある。人間の霊的本体は心を超えて形のないものであるから、
時間を超え、空間を超え、因果を超えているとすれば、それは無限でなければならない。
無限なるものは二つあることはできない。
本当の人間は一人で無限大で、偏在する霊である。
見せかけ上の肉体人間は本当の人間の限定物に過ぎない。
本当の人間はすなわち霊は原因と結果を超越していて時間と空間に束縛されないから、自由でなければならない。
従って本当の人間の姿は時間を超え、空間を超えて自由である。
仮そめの肉体人間は今此処に存在していながら、自由に交通できるのである。
去来なくして、去来出来るのである。
釈尊のように帝釈天宮へも、夜麻天宮へも座を立たずして自由にいけるのである。
大無量寿経に『彼の佛如来は去って去る処なく、来たって来るところなく、生なく滅なく過現未来に非ず』と説かれている。
空間も距離もすべて心の中にあるのだから、空間も距離もあるように見えていながらも本来存在しないのでる。
空間が無いのであるから『去来なくして、去来する』のである。
だから極楽浄土も彼岸の未来世、または過去世に存在するのでなく、今此処に、今の心の中に存在するのです。















                     




5月4日(水)のつぶやき

2016年05月05日 04時38分17秒 | 日記・エッセイ

悪に抵抗することなかれ(五月晴れと憂鬱の五月病と自閉的な不適応) goo.gl/Rg5wzg


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悲しみ、怒り、憎しみ、憂鬱の奴隷から脱け出して、
晴れやかな太陽が輝く世界を刻みましょう。