夢から慈しみの世界へ

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神一元・善一元・光明一元の生活
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美しい桜の花の根本の生命は何処にあるのであろうか

2016年05月13日 21時38分08秒 | 真理の言葉
美しい桜の花の根本の生命は何処にあるのであろうか

出講先で先祖供養の為に仏壇の前で鈴を八度打ち、十念仏を唱えますと仏壇の上空に念仏が木霊し、
まるで広い宮殿の中を念仏が反響しているようでありました。
佛を唱えると佛が現れ
佛と佛が響き合い
佛の生命(いのち)が木霊する。
此の霊感的な事実が実感として、感情的に心に染み入りました。
あり難いことでありました。




桜の花が開くというのは、その花の形の原型は、桜の樹の『生命』の中に、
その花の個性ある構図が『既にある』(理念という)からであって、
その『既にある花の形』(理念)は物質ではないから、物質界のものを観る装置等の超電子顕微鏡で探って見ても
見えないものである。
その桜の『花の原型は生命の中』にあるのだが、生命は物質界を知覚するための、五官のはたらきや、
人間が利用する測定機では視ることが出来ないのである。

霊的形相を理念と呼ぶ

生命に内在するところの心に描かれている原型(霊的形相)を『理念』と呼ぶのである。
『理』の字は『玉』偏である。
『玉』は宝石のことである。
その宝石は『玉(たま)』であるが、その宝石を神さまの『霊(みたま)』にたとえて、
神さまの霊(みたま)の表面に浮かんだアイデアの形、姿を『理』として象形文字をもって是をあらわしたのである。
『理』は神に内在する理道(すじみち)が神の『みたま』の表面にすがたをあらわしたものである。
それは神の心に『念』として浮かんだものであるから、『理』と『念』とを熟語として『理念』と呼ぶのである。
続く・・・・・





















                     




5月12日(木)のつぶやき

2016年05月13日 04時38分28秒 | 日記・エッセイ