夢から慈しみの世界へ

神と自然と人間の共生
神一元・善一元・光明一元の生活
人間の生命の実相は『仏』であり、『如来』であり『神の子』である

彼と一体となりたいと願う、愛の切なさ

2016年05月14日 10時11分25秒 | 真理の言葉
彼と一体となりたいと願う、愛の切なさ

視覚の大切を感じる今日この頃です。
視力の事ではなく、平衡感覚のことです。
以前は立って黙祷しているときには身体がふらつくことは無かったのですが、
最近は長く黙祷して立っているとふらつき加減になります。
筋力が落ちているのではないかと思えます。
此のことで始めて人間の身体維持のために、目、耳、鼻、唇、臓器、手、脚等の各器官は
バラバラでは無く互いに助け合っていることに気がつきました。
自分自身が頭脳智を尽くして各器官を司っても、調和せしめることは出来ません。
互いに助け合うことが出来るのは此の中に無限なる叡智をもった中心者がおられることになります。
此の中心者が神であり、人のいのちであります。
身体的能力、筋力の衰えに対して、自分自身はある程度は、世間並みに年齢相当に落ちていく事は誰でも認識しているのですが、
現在意識ではハッキリとは認識していないようであります。
以前は当たり前であったことがそうでは無くなります。
現象的な現実が失われて来ますと、五官的な肌では感じることの出来ないことがだんだんと理解することが出来るようなります。
今まで築いてきた物事が剥落してきますと、真実の世界が近づいて来るようであります。

人間は神の子であり、永遠の若返りであり、永遠の生命であり、永遠に無病である。
老衰を早めるも、遅らすも心しだいである。




もし私の妻、娘が原子爆弾で、顔も体も一面に醜いケロイド状態になったとしても
私は、こんな醜い顔の妻、娘は愛することは出来ない。
もっと美しい顔や娘なら愛することができるけれど等と考えなかったに違いないのであります。
そのように放射能で焼けただれた妻や娘をなお一層深く愛し、不憫に想い、少しでもその傷が癒え、
快くなるように何とか手当てをしてやりたいと願い、心から思う。
愛するとはこのような感情なのであります。
美醜を超えて彼と一体になるのが愛であります。
『国を愛する』ことは国が豊かであるとか立派であるとか、貧しいとかの外観ではなく
『自分自身の生命』と『国の生命』との一体の自覚感情であります。
続く・・・・・





5月13日(金)のつぶやき

2016年05月14日 04時38分39秒 | 日記・エッセイ

美しい桜の花の根本の生命は何処にあるのであろうか goo.gl/Uu53vd


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神は無限の世界から無限の力を与えあなた生み出した。
その神と仲良しになることは、川の水の流れのように思うままに生き、
雲が漂うように何処までも自由に行くことが出来るである。