夢から慈しみの世界へ

神と自然と人間の共生
神一元・善一元・光明一元の生活
人間の生命の実相は『仏』であり、『如来』であり『神の子』である

自分の個性は何処から来て、これから何処に行くのであろうか。

2015年12月09日 20時18分49秒 | 真理の言葉
自分の個性は何処から来て、これから何処に行くのであろうか。

座談会で、子育ても終わり、仕事も無事終え、奉仕の仕事もひと段落した今日、ふと、自分は何処から来て、これから何処に行くのであろうか。自分本来の個性は何だったのだろうかとつぶやかれました。

私たちはこうして、次々に生まれ生まれ続けていますが、一体どこから生まれてきたのかという原始についてはわからないのですし、次々に死に死に死に代わってゆくのですが、しかも一体どこに死んでゆくかという終極については理解していないのです。
三次元の世界で説明しますと、自分の生命(個性)は無量無辺百千万億那由侘劫より永遠無窮生き通しであります。




時間は心とともに始まる。空間も心の中にある。因果関係は時間なしには成立しない。
継起という観念がなければ因果関係という観念もあり得ない。
従って時間、空間、因果関係は心の中にある。人間の霊的本体は心を超えて形のないものだから、時間を超え、空間を超え、因果関係を超えているとすれば、それは無限でなければならぬ。
そうして、われわれの哲学における最高の思弁が現れる。無限なるものは二つあることはできない。
もし魂が無限だとすれば、ただ一つ魂があり得るだけである。
したがって、本当の人間は一人で無限大で、偏在する霊である。そして見かけ上の人間は本当の人間の限定物に過ぎない。
大無量寿経に『彼の仏如来は去って去る処なく、来たって来るところなく、生なく滅なく過現未来に非ず』
この真理が理解できれば、『西方十万億土にある極楽浄土』また『西方十万億土にある彼方極楽浄土』の問題も時間空間も結局存在しないのであるから、
すべての因果関係、極楽浄土等は今の心の中にある。




地獄も極楽も我が心の中に在る。

我が内に神が此処に、そして天国が今此処にある。

お前は何を求めているのだ!
私は永遠を求めているのだ。
どこにも永遠を求めることは要らない。お前が永遠そのものだ。
自分自身が永遠者である。