夢から慈しみの世界へ

神と自然と人間の共生
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艶々した明るい笑顔の友人

2015年12月11日 20時37分15秒 | コラム・人文
艶々した明るい笑顔の友人

病院の勤務を終え、玄関を一歩外に出ると、明日から土曜、日曜と二日間休日であると思うと体全身の力が解けてホットする瞬間であります。
スーパーで同級生と合い、艶々した明るい表情で俺今、土方に行っていると言いました。
私などは年中ビルの中の仕事なので、明るい日の当たる処に居るだけで、疲れてしてしまうのに、君はこの齢で、土方が出来る事は素晴らしいと言いました。
するとニッコリ笑ってじゃまたねと言い、去って行きました。
この同級生は折に付け、私に親しみを持って声をかけてくれます。
中学生の頃は同じ学生服を着て、皆同じように思い、同じような感情を持っていましたが
年を重ねる毎に、それぞれ行く先も運命も違ってきます。
しかし同級生は不思議にも、同じ学生服を着て居た当時と同じ親しみの感情を持ち続けています。
やはり青春の一ページは生き生きとした生命が永遠に続くものなのでしょうか。
帰宅すると今日は元気ですねと言われました。






わが生涯に最もなくてならぬものは吾々をして自分の中にあるところの力を完全にひきだしてくれるところの誰かである。
この役目は友達がしてくれるのである。
よき友と席を同じゅうするとき、吾々は容易に偉大となるのである。
よき友は吾々の中に宿るところの美徳をひきだしてくれる偉大な磁石の働きをしてくれるのである。
どんなにか良き友は吾々自身の中にある宝庫の扉を豊かにひらいてくれることであろう。
別に、何を、その友に自分が尋ねるのでもない。何を了解したというのでもない。
一言半句も言葉はいらないのである。ただ一緒にいるだけで互いの魂が開くのである。
かくの如き友こそ本当の交わりであるのである。
真の友達はわが内在の可能性を二倍にし彼の力を自分に付加してくれ、
自分に対してほとんど不可能とも見えるものを可能ならしめてくれるのである。

      ラルフ・ウォルドー・エマーソン(Ralph Waldo Emerson)