夢から慈しみの世界へ

神と自然と人間の共生
神一元・善一元・光明一元の生活
人間の生命の実相は『仏』であり、『如来』であり『神の子』である

愛という永遠なる果実・・・・・人間の理念

2015年12月27日 19時25分28秒 | 健康・病気・精神分析・心理学・先祖供養・霊的実在・心霊の諸相
愛という永遠なる果実・・・・・人間の理念

りんごの本性、実体は何処にあるのかを考える時、リンゴを分析分解して四つに切り分けた部分もりんごであり、
モット切り分け細分化して顕微鏡等で分析すると、科学的にはりんごで有っても、もう人間の五感の感覚では
りんごとして認識して見ることも味わう事もできない。
『りんごの実体』がないことになります。
しかし『りんごの実体』として考えるとき『りんごの実体』はりんごを細分化して顕微鏡等で『部分』を見るのは
りんごでは無くなります。
大地にそびえているりんごの木に生っている『全体』としてりんごの姿を見ることが『りんごの実体』を観ることであり、
『りんごの理念』であります。
人間も同じであります。『部分』なる指をもって人間の『本当の姿』とは云わないのであります。
病まざる、迷わざる、死せざる、穢れない、悩まざる完全なる光明燦然たる『全体』の存在が人間の『本当の姿』であり、
『人間の理念』であります。
また因果を経てりんごの実に成るまでには大地、空気、日光等様々な要素が必要であります。
このようにりんご一つを取って考えてみても『りんごの理念』は人間の感覚では認識できない大いなる地球全体と連携し、
その背後に絶対者(神)の力が貫いています。
色々な要素、因果を経て美しいりんごの実として見ることが出来、美味しく味わうことが出来るのです。
若しりんごの傷んだ部分を顕微鏡等で観察して、肉眼で見えないその小さな傷を切り捨てお店に陳列したら
誰も買わないだろうと思えます。
それはりんごの生命(価値)が無いと判断しているからであります。
人間の生命もりんごと同じように、人間の身体の悪い部分を切り捨ていくと、終には生命が立ち行かないようになります。
しかし人間の生命はその悪い、傷んだ部分にも無限の愛、生命、力が宿っています。
内に秘められた自分自身の無限の愛、生命、生きる力、喜び、調和の素晴らしい姿を認めて
勇気と自信を持って明るい世界へと脱皮するならば、悪い部分である病気、罪、穢れ、悩み等が消滅して
本来の美しい身体と心が顕れて、素晴らしい愛と生命の果実を得ることが出来ます。


全ての人間は無限の価値ある存在であります。
人間の遺伝子暗号は誰のものでも九九、九パーセント同じと云われています。
人間の能力は誰でも同じようなもので、わずかな差で個性という性質が現れているにすぎないと云われています。
人は最初から九九、九パーセントは共通なものがあり、天才も凡人も、悪人も善人も差がないことになります。



  

『苦しみ、悲しみの奥に聖地がある』
                              オスカーワイルド

安らぎや英知や愛や喜びという永遠の果実は自分自身の『悩み』という種によって実るだと、
私たちが自分の体験から納得するならば、勇気が湧いてきます。

                               ニユーイングランド・ディーコネス病院マインドボデイ・クリニック所長 
                                            心理学者・心理療法家 ジョーン・ボリセンコ


善人なおもて往生をとぐ、いはんや悪人をや。しかるを、世のひとつねにいはく、
悪人なお往生す、いかにいはんや善人をやと。

                                        親鸞上人




12月26日(土)のつぶやき

2015年12月27日 04時44分38秒 | コラム・人文

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